2月25日 明日2度目のカテーテル治療

体調不良を抱えるようになってから3年以上が経つ。

体調不良の発症直後は体が動かず、震えが止まらない、吐き気を催し、息ができない、そんな状況だった。

僕はその時から胸の中央部に痛みと違和感を抱えている。
今思い返すと体調がおかしくなった直前に胸の周辺を激しく動かしていてブチッ、ジュワーという感覚を味わっていたから、何かしらの出血があったんじゃないかと思う。

ここ最近になってMRIを撮ったら、外傷性動静脈瘻という病名がついて、僕はようやく自分の症状に納得することができた。

当時から僕は身体的な異常なんじゃないかと感覚的にそう思っていたけれど、その時の医者の判断は違っていた。

僕にとっては死をイメージするほど体調が悪くて救急車を呼んだくらいなのに、レントゲンや胃カメラの結果では何も異常はなく、血液検査も炎症反応を除いては何の異常もなかったので、経過観察をするだけで病名をつけられることはなかった。

しかし体は明らかにおかしくて、胃のバリウム検査をしたら胃が全く動いていないって言われていたし、手の震えや体のだるさは止まないし、本当に辛かった。

そして、その原因が分からないから精神的な問題であると医者に言われた。

僕はもっと体をしっかり検査してほしいと思いながらも医者の言うことだから渋々その漠然とした判断に沿って、治療を進めることにした。

抗うつ薬を飲むことによって症状が軽減していたのも、僕が治療を続けた理由だ。

しかし、薬を飲むことで症状が改善しても、回復することはなかった。

何年経っても改善の状況は頭打ちで、運動をひても生活習慣を良くしても何も変わらなかった。

やはりフィジカルの問題があるんじゃないかという疑念を強めながらも、就活して就職するタイミングだったから、もうこの症状と付き合って暮らすしかないと覚悟を決めていた。

しかし、就職してしばらく後に適応障害になってしまい退職することになった。

ここで再び、僕は精神的な問題、やわな精神を抱えているという病気なのかもしれないと思った。

そこで何のストレスもない、運動と読書をしてやりたいことだけをする、好きなだけ寝る生活をすることにした。

しばらくして適応障害の症状が無くなってからも、抗うつ薬の量を増やしても、以前からの体調不良が無くならなかったので、これはおかしいと思って、縋るように痛み専門のクリニックに行った。

そこで初めてMRIの検査をした。その結果が胸部の激しい炎症反応と外傷性動静脈瘻という診断だ。

そして1月に1回目のカテーテル治療をした。術後に明らかに体調が回復していることを感じた。胸の痛みの範囲が若干狭まったのだ。そして、抗うつ薬を飲むのをやめても生活することができるようになった。

僕は精神的な問題が根本にあるのではなく、フィジカルな苦しみが先にあってその激しいストレスから他のストレスに対するキャパシティのなさや、鬱症状、適応障害を引き起こしたのだろうと思っている。

その治療が終わっても完治はしなかった。痛みの中心部に効いているという感覚がなく、動かしたら痛いし手や胸の不快感も変わっていなかった。

それをクリニックのお医者さんに伝えたところ、無料で2回目のカテーテル治療をしてもらえることになった。

明日、その治療を受ける。

もし、僕の感じる痛みのポイントにカテーテル治療で直接薬を散布できたなら治るんじゃないかと僕は期待している。なぜならその周辺部においてはカテーテル治療が効いていたから。

どうだろう、これで全く改善しなかったら僕は絶望するだろうな。
生きることを諦めたいし、生きるにしても普通に生きることはないと思う。

もし、治ったなら、僕は3年間で失った日々を取り戻そうと頑張ることができる気がする。そして、体調不良発症直後の僕をMRIで検査をせずに心療内科に回した医者たちを永遠に呪う。

僕はフィジカルな感覚として苦しくて、痛い、気持ち悪いと訴えたのに彼らは耳を貸さなかったから。

血液検査での炎症反応やバリウム検査で胃が動いていないことを放っておいて。

その判断が無ければ、最短で有効な治療ができたのに。その判断のせいで僕は精神的な病気を抱えていることを僕の中で納得させる戦いをする羽目になった。3年も薬にお金をかけてしまった。
3年以上苦しんだのは何だったのだろうと思う。良い企業を退職してしまうことにもなった。

早く体が治って欲しい。治りさえすれば3年間でできなったことを取り戻そうという気持ち、ちゃんと検査しなかった医者達を激しく恨む気持ちを糧に、行動できるようになるはずだ。
そう、僕はこの病気のせいで自由に動けなかった。自由に動いて、本気で何かに取り組めるようになりたい。

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