長編小説「インフルエンサー」 第一章


 第一章
 彼はインフルエンサーだった。若くして全てを手に入れた成功者として、周囲の人々は彼を囃し立てた。彼の振り撒くかぐわしい成功の香りを我こそはと浴びる世間は皆、彼の一挙手一投足に目を奪われ、賛美した。彼が笑えば嬉しくなり、彼が泣けば悲しくなる、そんな一体感すら人々にはあったはずだ。
 そう、彼はただのインフルエンサーではなかった。彼は最も優れたインフルエンサーだったのだ。彼の言動全てに謙虚さと誠実さがあり、そこに少々の茶目っ気が含まれていた。彼は完璧ではなく、見事に完成されていた。遠目から眺めるとその美麗さは洗練されて見えるのに、近くで細部を見ると綻びや、よれのような人間味のある温かみがあった。写真で見る笑顔は爽やかな青葉の如く瑞々しいのに、実際に動作として笑う時はケラケラといたずらっ子の少年のような笑い方をしてしまうのが彼だった。
 そんな彼について語る時、成功と美点を連ねた長大なリストの他に語るべき物事はあるのだろうか。いや、あの事件から五年を経た今ではほとんどの人がそのリストすら忘れている。しかし俺は違った。俺は彼の幼馴染みであり、親友だからだ。俺は本当の彼を知っていたし、彼のことをずっと想い続けていた。そして想像した。彼の持つ責任感と重圧、苦悩、ささやかな幸福を追求するささやかな希望、そしてそれを失った激しい絶望を。
 俺が彼について語りたいのは、世間の持つ彼へのイメージと俺の知る彼の人となりとの乖離というありきたりなテーマではない。確かにそれは俺が語りたいことの重要な要素ではあるけれど、語るための手段の一つに過ぎない。
 俺が彼について語る目的は、彼がなぜ消えてしまうことになったのか、それを明らかにするためだ。
 彼は文字通り、消えてしまったのだ。それは自死を選ぶことや世間から雲隠れするための隠居を指すような単純な比喩ではない。消えたとしか表現のしようがないのだ。
 彼が消えてしまったことそれ自体は社会的な事件であったが、その消え方に事件性は無かった。いや、無いはずだったと表す方が正しいのかもしれない。なぜなら、彼自身が俺の携帯にこのようなメッセージを残したからだ。
「僕は近いうちに消える。それは誰にも防ぐことができないんじゃないかな。僕が消えた時、僕のことを探したとして誰にも見つけられないと思う。なぜなら、僕は死ぬわけでも、事件に巻き込まれるわけでも、どこかに逃げるわけでもないのだから。この世界からただ消えるだけだから。このことを君にだけ伝えたかった。たった一人の親友である君に。いや、本当はもう一人伝えたい人がいたけれど、それはもう叶わないことだ。このメッセージは誰にも口外しないでくれ。これが君の良心に対する最後の頼みごとだ。俺が消えた時、このメッセージも同時に消えると思う。今までありがとう。さようなら。そうだ、最後に家出息子のようなセリフを残しておくよ。僕を探さないで」
 俺は急いで返信をした。何かあったのか、大丈夫かと問い詰めるようなメッセージを連投した後に、「何か話したいことがあったら直接聞くよ」というメッセージを最後に送った。しかし、既読の表示がつくことはなかった。そして、俺は悟った。彼は永遠に消えてしまったのだと。彼が話したいことは彼の残したメッセージと彼が消えたという事実に全て含まれていたのだと。
 次の日すぐに、彼の失踪がニュースによって報道された。
 彼の急な失踪事件はマスメディアの格好の餌食となった。
 彼はこれまでの間スキャンダルのようなものを一度も起こしたことはなく、これが彼にとっての最初で最後のスキャンダル的事件だったこともあり、その報道は過激で苛烈なものとなった。根も葉もない憶測が飛び交い、その醜い情報合戦を見ていると、俺はうんざりするような気分になった。マスメディアは失踪した人間の尊厳などお構いなしに彼について面白おかしく書きたてた。彼は金銭トラブルや不義理な女性関係を抱えており、それを精算するための悲劇的な方法として自死を選んだのではないか。そんな論調があった。俺はそれに全く同意できなかった。なぜなら彼が全くもってクリーンな人間であることを個人レベルで知っていたし、また彼が何かに対する責任を取る、もしくは放棄するために失踪という短絡的で独善的な解決法を用いる卑怯な人間ではないことも知っていたからだ。
 俺は彼が失踪した身でありながらも自身に対する報道をどこかで見ていたんじゃないかと想像する。彼はこうなることを十全に予期して消えたのだろう。そんな気がした。
 以前から彼は自分のプライベートを侵害しようとするマスメディアに対してでさえ寛容な態度を崩さなかった。なぜなら自分がそのように報道されることもインフルエンサーとしての職務に入っているものだと認識していたからだ。
 彼は言った。「僕がこうしていわゆるインフルエンサーになったことで、僕のプライベートがマスメディアにとって価値を持つことになってしまったのは致し方ないことなのかもしれない。一種の責任感と諦めの気持ちからそう思っている。またそれを他の業種では得られないような豊かさをインフルエンサーとして得たことの代償としても考えている。僕は真っ当な、清廉潔白な人間であることを商品価値に含んだ、いわばパッケージ化された自分を売り出しているわけだからね。それをマスメディアは検査する。顧客は僕に商品としての不具合がないか知りたいからマスメディアの記事を見たがる。それはファンとして僕の品質を知りたいからかもしれないし、純粋な好奇心として他人の品質不良を知りたいからなのかもしれない。まあそれはどっちでもいいことだ。とにかく僕にはどうしようもできないことだからね」
 俺はここで問いを投げる「どうしようもできないことだとしてもそれは本人にとっては辛いことなんじゃないか」と。
「ああ、辛いさ」彼は苦笑しながら言った。
「でも、本人が辛いかどうかは他人には関係のないことだろう。僕の周辺的情報が利益になるのならそうしない手はないんじゃないかな。それが倫理的にどうかという問題はさておき。人間性すら商品価値に入っているのだから、その人の起こす行動に目を見張られてもしょうがない。僕のいる業界はそういう世界なのだと割り切るしかない。それが難しいのなら辞めれば良いわけだし」
 そう言いながら彼の表情が暗くなりつつあることに俺は気付いていた。
「でも、俺はそれで悲しいんでいるお前を見たくないよ」と声をかける。
「君がそう言ってくれるから何とか僕は自分を保つことができるよ。こんな話、外ではなかなかできないし、僕が辛い時に本当の辛さを少しでも理解しようとしてくれるのは君ぐらいだから」
 彼の失踪後、彼が自分のニュースを見て辛い気持ちにならなければいいなと俺は思っていた。いや、それだけではない。今の俺はこう考えた。彼は自分が失踪したというニュースが世間を賑わすことを予期していたのならば、そのニュースが長くは続かず、彼の存在自体も一年と経たぬ内に忘れ去られてしまうことすら予期していたのかもしれない。そんな気がしたのだ。
 俺は彼の言葉を思い出す。彼が自分という存在の儚さについて語った言葉を。
 スターダムを駆け上がるのが一瞬であったように、栄光ある成功の頂点から崩れ落ちるのもまた一瞬なのだ。そんな風に彼は言っていた。
 俺は成功した彼の姿を風光明媚な宮殿のように例えて彼に伝えたことがあった。もちろんそれは俺にとっては肯定的な意味合いで用いた例えだった。
「お前はいつの間にかでかくなって、今では宮殿のように豪華絢爛な輝きを放っているように見える。そして、お前は宮殿そのものでありながら、客をもてなす支配人でもあるんだ。そこに集まった人たちをもてなし、満足させてから、またお越しくださいと笑顔で告げる。そんな宮殿だ」
 しかし、彼は俺にだけ見せるユーモアを含む皮肉屋な気質から、その賛辞を否定的に捉えた。
「今はそう見えるかもしれない。僕はファンを魅了し、もてなす。しかし、ファンが帰ってしまった後はどうなる? 僕には誰もいない空虚で侘しい宮殿が見える。そして、彼らがもう一度来るとは限らないだろう。宮殿の輝きは束の間の輝きなんだよ。やがては風雨に晒され、雑草やツタが生い茂り、野鳥の不吉な鳴き声がこだまする不気味な廃墟となること間違いなしさ」
 俺は弁明するように言った。「いや、俺はそんなつもりで言ったんじゃないんだ。お前が一人の人間として素晴らしいということを伝えたかっただけなんだ」
 そして彼が笑う。「意地悪な返しをして悪かった。そもそも僕はこの考え方を別にそこまでネガティブなものだと考えていないんだ。単純に栄枯盛衰というか、インフルエンサーはその傾向が他の職種よりも強いのだろうと覚悟しているだけのことだから」
 俺はそれを聞いて安堵し、一緒に笑った。しかしそれ同時に彼のその覚悟には深い哀しみと虚しさが込められていることを俺は見逃してはいなかった。彼が成功の後に得たもの、それは絶え間のない喪失だった。そして、喪失の過程で彼にとって数少ない大切なものさえ失ってしまった絶望を俺は知っている。もしかすると、それが失踪の要因の一つなのではないかと俺は思い始めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?