長編小説「インフルエンサー」第二章

 第二章
 ここで彼との出会いについて話そう。
 俺たちは幼馴染で、お互いが小学一年生の時に出会うこととなった。小学校入学時ちょうどに彼の家族が俺の住んでいた愛知県に移住したのだ。つまり俺たちの生まれはそれぞれに違う。俺は愛知生まれ、彼は宮城生まれだった。
 彼の引っ越した家がたまたま俺の住んでいた家に近かったこともあり、俺たちは自然と仲を深めていった。また、小学一年生と二年生の時には同じクラスでもあった。この二年間を経て俺たちは揺るぎない無二の親友となったのだ。俺はそう思っている。
 何をきっかけに二人で遊ぶようになったかまでは覚えていない。気づけば隣に彼がいた、そう言ってしまってもそれは全く誇張表現ではなかった。
 また、俺たちがそれほどまでに仲を深めたのは、地理的にも環境的にも二人が近くにいたことだけがその要因ではなかった。俺たちの母親同士にも深い親交が生まれたこと、それも大きな要因だと思う。休日の公園で彼と遊んだ思い出と共に、俺の母親が彼の母親と楽しそうに談笑していた光景が思い浮かぶ。彼女達は顔を合わせればすぐさま長い長い会話に勤しんだ。俺たちが家にいない時には、お茶会と称した二人だけのささやかなランチを定期的に開催していたらしい。そこでは子育ての現実的な問題に対して、俺たちの耳を気にすることなく相談することができただろう。
 ここで一つ、この二家族に共通するある事実について言及したい。
 当時から既に、俺たちは血の繋がった父親を失っていた。言い換えるならば俺たちの母親は夫を失っていた。俺たちは離婚という形で、彼らは死別という形で。
 もちろん、まだ幼い子供だった俺たちはその事実が本当に意味するところをほとんど理解できていなかった。だから、お互いの境遇が近いことは俺たちを結びつけるきっかけにはならなかった。成長するにつれてその共通項は磁力を帯びてゆき、やがては哀しみという形で俺たちを強く分かち難く引き寄せることになるのだが、それはさておき。
 しかし母親同士にとっては、その哀しみを共有できることがどれほどの救いになったことだろう。今の俺ならその気持ちを理解できる。彼女達は出会ってすぐに、その境遇の近さを悟ったはずだ。女性にはそのようなテレパシー能力みたいなものが備わっている。
 俺は反抗期を過ぎて母親と裏表なく話せるようになった時に、父との離婚と彼の母親に対する想いについて話を聞いたことがある。
 彼女はこう言っていた。「あんたがちっさい時に浮気するなんて、あいつはほんま最低最悪の男やったわ。(俺の母親は関西出身だった)いやね、今後のことを考えるとそん時に離婚するってのはなかなかリスキーなことやとは思ったで。やけど、そうは言っても、お母さんのことはともかく、あんたという息子がいるってのに他の女にうつつを抜かすってのが許せへんくてな。それやったらお母さんが百パーセントの愛をあんたに注いだ方がいいなって思ってん」
 俺は言った。「俺も母さんの選択が間違ってたとは全然思ってへんで。(俺も母と話すと関西弁になった)だって現に俺は横道に逸れることなくこうしてそこそこちゃんとした人間に育ったわけやし…」
 ここで母が大笑いする。「あんた自己評価高いなあ。確かに横道には逸れんかったけど、ちゃんとした人間かどうかはまだ怪しいで」
「やから、そこそこって付けたんやって」俺は苦笑いして頭をかく。「俺が言いたいのは、母さんに感謝してるってことやから」
 そして、母は優しく微笑む。「あらー立派な息子やわあ。前言撤回やな。まあでもさっきのは冗談やで。ほんまのこと言うと感謝を言わなあかんのはお母さんの方やから。あんたがしっかり成長してくれたことそれ自体がお母さんにとってどれほど支えになったことか。ほんまにありがとう」
 俺はそれを聞いて、会話の方向を少し変えた。気恥ずかしかったからだ。「いやいやそんなそんな。まあ、支えになったのは俺だけちゃうやろ。例えばあいつのお母さんとかさ」つまり、彼の母親のことだ。
 母は言った。「そうやなあ、彼女にはほんまお世話になったなあ。同じシングルマザーとして一緒に励まし合いながら子供を育てられたのはありがたかった。もちろんあんたを育てるのは親としての責任やし、あんたを愛していたからこそ母親を頑張れた。やけど、それが少しも辛くなかったかと聞かれたら、うんとは言われへん。旦那さんがいたらなって思うこともあった。お母さんにも時には寂しくて、孤独を感じる時もあるんよ。そんな時に同じ気持ちを語り合えるって言うのはそれだけで大きな救いになるんよ。彼女も彼女で同じように辛い気持ちを抱えてたと思うし大変やったはずや。まあ、お互いの悩みを聞いて何かが解決するってわけではないんやけど、悩みを一緒に悩めるっていうのが良かった。お母さんだけじゃないんやなって思えた」
 母はそこで一呼吸を置く。そして言った。「あんたにも同じように一緒に悩める親友がいるっていうのは幸せなことやでほんま。あんたそのことはわかってる?」
 俺にもそれは痛いほど分かっていた。俺たちは別々の大学に進むまではいつどこにいても二人で過ごしていたし、彼がインフルエンサーとして多忙になった後も機会を見つけては何度も何度も語り合った。
 そう、俺たちは昔から話し合うことが好きだった。それはなぜだろう。俺が思い当たるのは、俺たちの周りに娯楽と呼べるものが少なかったという事実だ。俺たちの母親は共に少ない財産を切り盛りし、窮屈な家計をやりくりしていたから、家の中には当時のほとんどの子供が持っていたような携帯ゲーム機やビデオゲーム機の類は一つもなかった。俺たちは家における娯楽の少なさについて少しくらいは不満を言っていたかもしれない。でも、それは本気で不満に思っていたわけではなくて、思いついた言葉を思いつきのまま喋っていただけのことだろう。なぜなら俺は子供ながらにして自分の家族が経済的に余裕のないことを感覚的に認識していたし、当時はそれをこのように言語化できないだけで、母が苦しい状況でも自分を育ててくれているということを感じ取ってもいたからだ。また、俺たちは娯楽の少ないお互いの家によく遊びに行っていたのだ。もちろん、娯楽が全くなかったわけではない。慎ましい生活を営む家の中にも、俺たちを強く惹きつける娯楽があった。それは本だった。家にある本は新品の本ではなく、古本屋で揃えたもの、知り合いから譲り受けた物ばかりだったけれど、俺たちにはそれで十分だった。俺たちは本の読み合いをしたり、感想を言い合ったりした。そんな経緯もあって俺たちは話し合うことが習慣になったような気がする。
 俺たちは成長するにつれて図書館に入り浸るようになった。そして、同じ本を読んでいれば感想を共有し、互いに異なった本を読んでいればそれをレコメンドし、本で得た教養や思想について討論をすることもあった。
 こんなふうに話すと、俺たちがさもインテリで大人びた子供であったかのように聞こえるかもしれない。確かにある部分ではそうだったと思う。学校の成績については二人とも申し分なく(彼の方が優秀ではあったが)、学校の宿題もサボることなく期限を守って提出するような生徒だった。しかし、それは基本的なルールを守るという程度のことだ。俺たちも男の子特有の「バカさ」を持ち合わせていたのだ。そしてその「バカ」をリードするのはいつも彼だった。彼は優等生であるとももに、隙あらば冗談を言ったり、ふざけたりせずにはいられない性格だった。
 真面目さとユーモア。それは彼を表す表裏一体の特徴だった。誠実に語る小粋な嘘、軽口に潜む真摯な意志。彼は二つの性質を絶妙な塩梅に織り交ぜる。相乗効果だ。そして俺は思うのだ。極限まで高められた彼の人間的魅力はここに起因するのではないかと。
 彼が一介のインフルエンサーとしてではなく、インフルエンサーの頂点として成功した要因には彼の並外れた容姿よりはむしろ、魅力的な性格による寄与の方が大きかったはずだ。もちろん容姿に関しても彼のそれはイケメンの中でも最上位に位置するものだった。しかし、それが人の心の内奥にまで響くものであったとは言い難い。いや、こう表現するのはあまりフェアではないような気がする。俺の持論がここに介入しているからだ。俺が思うに容姿の持つ魅力は人の心を掴む瞬間的なパワーに過ぎない。つまり、掴み続けるスタミナまでは持ち合わせいないのだ。人の心を強く打つことは時として容易にもなり得るが、長く響かせ続けることは何よりも難しい。なぜなら継続的な魅力というのは表面上の特質のみでは得られず、年輪の如く人間的厚みの支えによってもたらされるものだからだ。俺はそう思っている。
 そんな俺の「魅力論」に対して、彼は究極の答えだった。彼がおよそ八年にも渡ってインフルエンサーとして活躍した事実がそれを証明している。高校二年生の時に爆発的な人気を得てから二十五歳で姿を消すまでの間だ。彼がもし消えなかったならば、そのキャリアはさらに長期的なものとなっていただろう。
 長く活動することそれ自体が難しいとされている職業にあって彼は八年もの間、第一線で活躍し続けたのだ。
 そのような華々しい成功を約束するほどの人格を彼はなぜ獲得できたのだろう。その由縁を辿るために再び俺たちの子供時代に話を戻すことにする。俺はこれまでにも彼について語ってきたけれど、その多くが説明的だったような気がする。それは静止した彼を、いわば彼を描いたスケッチを紹介したに過ぎない。彼を立体的に動かすための具体的なエピソードがそこには必要だ。生きたストーリーとして彼の人生を語ること。それによって俺は消失した彼の謎を少しでも解き明かしたいと思っている。
 

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