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あかりとインドのヨガ日記㉑-いつか-

いつか

いつか、申し分ないくらいに大好きで、幸せで、ほーーんまに好きなはずの会社をやめて、沖縄にさらっと、なにも持たずに、住んでしまう自分がいるような気がする。

気がしてるだけ。
気がする。

ふと、沖縄の本を読みながら思った。

疲れ

今日はシバ神のお祝いの日やったから、いつもとは違うスケジュール

朝からみんなで自主的に呼吸法の練習して、そのあと、いつもは瞑想の先生にアーサナ教わって、パンを食べて。解剖学とアユルヴェーダの授業うけて。お祝いのビリヤニをおばちゃんがつくってくれて。お祭りに出かけて。ガンジス川に沿ってひたすら歩いて。お祈りをみて。歩いて。

もういや〜〜〜もうむり〜〜って思ってた心がちょっとほどけたような1日やった。

今読んでる本は、

なおさんに(一緒に受けてる日本人の素敵な女性)に勧められたやつを、部屋の隣のカフェでたまたま見つけて読んでる本。素敵なんだこれがまた。

しっとりと、しとしとくる感じで、
しんどくて毒があるし、こうはなりたくないとか、ならんよなって思うのが半分、あったかいな、太陽のあったかさに近いあったかさ?よなあ。
わかるなあって思う気持ちが半分、そんな感じ。

普段は、ずっとアシュラムの中で生活してるから久々に、観光!みたいなことをしていろいろ感じた。

トゥクトゥクに乗ってるときの、エンジンの音、クラクションの音、他の車やトゥクトゥクのエンジンの音が心地よくて。

誕生日

ラジェンドラ先生の息子さんの誕生日やったんやけど、先生に誕生日を聞かれて、私も先生に誕生日を聴いて。その会話が、本当はすごいことなのかもしれんと思った。石原さとみがアフリカで子どもに年齢を聴いたとき、わからんって答えた子がいて、自分の親が誰で、いつ生まれたのかもわからない、知らない子どもがいることを知って泣いたっていう話が、ふと思い出された。というか、その話がすごい、しっくりすとんと心の中にはまった。

日本に帰ったら、あの古すぎるアパートでの生活をたくさん工夫して、好きなように生きるにコミットしようと思った。

インドの人は、なんかこう、物事を工夫するというか、いや、駆使するというか、むしろ酷使してるというか、でもそうやって、なんというか、ちょっとでも良くしようとしてる感じ?好きなようにすることにエネルギーを使う感じ?

料理みたいな。好きな味にするために、スパイスを加えたり、ちょっと長めに煮たり、ただポットでわかしたお湯じゃなくて、鍋でお湯と牛乳を沸騰させて珈琲をつくるみたいな、そういうこと。


しっとりと、自分の暮らしにまっすぐな、自分でいたいと思った。


食べ過ぎ問題は解消されへんけど、

思った以上に、解剖学で(わからんすぎて、好き勝手にケータイで調べてるだけ)ああそうか、筋肉ってタンパク質でできてるのよなあという当たり前のことを当たり前に知ったり、めっちゃ首って筋肉多いんやなあって知ったり、胸鎖乳突筋、石原さとみ、、、って思ったり。

アユルヴェーダで、
ああ〜私はこのタイプかなあと思ったり、それに対する対処法も薬とか科学的なものじゃなくて、スパイスやったりすることも含めて、なんか居心地がよくて。

全部がそうあるべきとは思わんし、科学的なこととか、技術が進歩してることに対していちいち抵抗する必要はないと思うけど、でもそれも含めてやっぱバランスなのよなあ〜って思った。

自然な状態?言葉がなかなか思いつかんのやけど、そのままの動物としての自分?でいることとか、本当の身体の声を大事にすることとか、そういうのを続けることとか。


なますて〜


世界に色が増えるように、色ペン1本購入します。