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ゆるめのOL、人間の悩みというのを考えてみた

雲が1つもない青空をみて
なんか、もったいないって思ってた去年。
今は、少なくとも今日は、
そのエネルギーの偉大さに
なんかもうずっとこれ浴びてたいなあって
気持ちになっている、こんばんは、あかりです。

感情が揺れたり傷ついたり、
本来ありたい状態であれていないときって
感受性や感性も敏感になる
という、おそらく
人間としてはあるあるの機能に
あらためて気づいた

感情が揺れること
自分が想定していない状態になること
自分が気持ちよいと感じない状態になること、は
避けたい事項だと思っているし
思っていた

まあだって気持ち良いし
るんるんな方が良いからね

だから、
ちょっとでもそわそわしたり
ざらついたり
ぎゅーっと締め付けられるような感じになると

すぐに原因を考えて
対処できるものなのかを考えて
対処できないのであれば
自分の捉え方を変えて
そうやって
でも結局は、
対処しようとしていた

あと
そういう揺れていること自体を
肯定しようと思って
それをエネルギーに変えようと思って
歌ったり、描いたり

でもなんか
それでも、結局
苦しくなることはあるわけで
どれだけ天気が良くても
どれだけ健康的でも

どれだけ自分のことを理解しているつもりでも
恵まれてるし
感謝しているし

ほとんどのことは
自分の人生や命にとって
とるに足りないことだと思っていても

それでもさ
しょせん、その辺のOLなもんで
平安とか江戸とか
そういうもっともっと前の時代から
人間が抱え続けているような
諸々の悩みについて

すーぐ簡単に
解脱というか
達観することはできなくて

それが人生を
面白くしていると言われれば
まあ、そうなんでしょうけども

これだけ時代が進んでいるように見えて
機械やAIが発展したり
できなかったこと、が、できるようになっても
それってあくまでも
手段が増えたというだけで

たしかな進歩ではあるけど
でも、なんか表面の進歩なんだろうな

死ぬこととか
現在を生きていくこととか
人を好き人なることとか
そういう、なんか
根源的な領域への悩みや思考って

人類という単位で見たときに
どれくらい進歩してるんだろうな
って思う

で、あんま進歩してなくない?
って思う
(進歩する、の定義によるけど)
でも、進歩しないというか
あーだこーだ悩んで悩んで
喜んで、悲しんで
それでも懲りずに
また悩んで、喜んでってなること自体が

こういう心の動きそのものが
人間として生きるということなのかもしれない

さあ、はたらくか
なますて~


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