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見えない日常 #8 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸きど孝子たかこ氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

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Chapter 8

 ボーイフレンドはまだ保釈金を払えず、ライカーズアイランドにいた。何人もの囚人から、「外に出て戦わないと刑期が長くなるよ」と教わっていたので、私も彼も必死で知恵を絞った。彼は、友人、知人ひとりひとりに事情を話し、お金を貸してくれるようお願いすることを決意した。

 ライカーズからは、決められた時間に外に電話をすることができた。それぞれの収容者にアカウントがあって、そこに外の人が入金すれば、そのお金でライカーズの中から電話ができるのだ。つまり、外に誰か助けてくれる人がいないと、電話もかけることができない。彼から電話があるたびに、友人の電話番号を少しずつ伝えた。面会に行く時には本を差し入れることができたので、見返し部分に、彼の友人たちの名前と電話番号を、看守が見てもよくわからないよう日本語で書いて渡した。

 5万ドル全額を一気に貸してくれる人はいなかったけれど、たくさんの人が少しずつお金を貸してくれ、お金が集まり始めた。お金の管理は、彼のボスのお兄さんのドクター・スティーブンがやってくれることになった。

 ドクター・スティーブンはベトナムが大好きな、白人のアメリカ人。一緒にコーヒーを飲みながらこう話してくれた。「Takako、警察のやつらに君たちの現実を絶対に変えられてしまってはダメだ。子どもの裸の写真を撮った? 何が悪いんだ。子どもと一緒に部屋で裸でいた? 何が悪いんだ。君たちは何も悪くないよ。とても仲の良い家族じゃないか。ベトナムのお母さんは、男の子が生まれたら、まだ小さい時に、ペニスをくわえて遊ぶんだ。ベトナムでは、母親が男の子への性教育のひとつとして、これが女の人があなたにすることだよ、と遊びの中で教えるんだ。何も悪くないだろ?」

 ジェイルはやはり恐ろしい場所だ。あそこにいると、「私は自分でも知らないうちに人間として悪い事をしてしまっていたのだろうか」という考えが浮かんで来るのだ。精神状態の浮き沈みにより、その考えが繰り返し現れては消える。ドクター・スティーブンは、そんな私の不安定さを察知して、励ましてくれたのだろう。

 お金は最終的に2万ドルほど集まった。でもそこから事態が動かなくなった。もうこれ以上、頼める人がいない。どうしよう。

 そこに、天使のような囚人が現れた。彼はボーイフレンドと同じ場所に収容されていたヨルダン人で、容疑は殺人。でも彼はやっていないと言う。彼には、そっくりの顔のルームメイトがいた。多くのアメリカ人には、日本人はみんな顔がそっくりに見えるらしいので、中東の人もみんなそっくり、ということなんだろう。「ルームメートがやったんだ」と彼は言っていたらしい。そいつはどこかに逃げて、そっくりの彼が逮捕された。事件が起きたのは9月10日だったのに、検察はそれを9月11日に書き換えた。同時多発テロと同じ日付けに起こった事件にした方が、印象が悪くなるから。

Manhattan, 2001

 ボーイフレンドが2万ドル集めたことを知った彼は、「そのお金を担保にして、ベイルボンドが5万ドルをきっと貸してくれるよ。とにかく片っぱしから電話してみよう。僕が電話してあげるよ」と言い出した。そして数日後、彼はとうとう、5万ドル貸してくれる、というベイルボンドを見つけた。

 ベイルボンドというのは〝保釈金肩代わり業者〟とでも訳せるだろうか。法廷の周りには、ベイルボンドの事務所が何件も軒を連ねている。この業者は、土地や家を担保にして、保釈金の分のお金を貸してくれる。法廷で判決が出た後、無罪でも有罪でも払った保釈金は戻ってくるのだが、ベイルボンドから借りて保釈金を払った場合、借りたお金を返し、さらに保釈金の10%を利息としてベイルボンドに払う、ということだった。

 そんなにたくさんベイルボンドがあるのは、それだけ逮捕される人が多い証拠と言えるだろう。アメリカの警察は、すぐに逮捕する。特に、通報があるととにかく逮捕してぶち込むらしい。ぶち込まれた方は完全に不利になる。保釈金を払って外に出ないと、弁護士ともろくに話ができないのだから、結局は金がものを言う、という事になるのだろう。アメリカの成人の100人に1人はジェイルにぶち込まれるそうだ。ニューヨークの友達は「拘置所にいる人たちの3割は無実だと聞いたことがあるよ」と言っていた。

 ライカーズから出た後、何人かのアメリカ人の友達に「逮捕されたことある?」と聞いてみた。みんな素晴らしい人柄の友達なのだが、全員が逮捕されたことがあった。なんという国だろう。ベイルボンドの商売が成り立つはずだ。

 ベイルボンドは見つかったけれど、もう1つ課題があった。保証人が必要だった。仮にボーイフレンドがベイルアウトして、判決を待たずに国外逃亡した場合、(判決を待たずに日本に帰って、次の法廷までにニューヨークに戻らなかった場合、国外逃亡ということになる)保証人がお金を返さなければいけない。保証人が逃げたら、ベイルボンドは銃を持って追いかけてかまわない、という権利を持っている。そんなやばい保証人になってくれる人がいるだろうか、と思ったけれど、ニューヨークに住む日本人の友人が「子どもの裸の写真撮って逮捕されてたら、日本人みんな犯罪者だよ。僕が保証人になるよ」と言ってくれた。

 そうして、いよいよボーイフレンドのベイルアウトの日が決まった。彼と電話で話した時、夜中に放り出されることを伝えた。

Queensboro Plaza Station, 2004

 刑期が終わったり、保釈金が払われたりした収容者たちは真夜中にライカーズアイランドから出される、ということを囚人たちが教えてくれた。「昔は女性も夜中に出されていたけど、レイプや殺人が何度も起こったから、さすがに女性を夜中に放り出すのはやめたんだよ。でも、男の囚人は今でも夜中に出されるんだ」――と。

 家に帰って来る方法は2つあった。ライカーズアイランドとクイーンズにかかる橋をバスで渡って、1つ目の停留所で降りる。そこから家まで歩いて15分。夜中にこの辺りはほとんどひと気がない。ニューヨークでは、周りに人がいない場所が危ない場所だ。

 もう1つの方法は、バスの1つ目の停留所で降りずに、そのままクイーンズボロ・プラザ駅まで行き、そこでバスを降りて、サブウェイに乗り換え、ディトマス・ブルバード駅で降り、駅から7、8分、歩いて帰る。バスを降りるクイーンズボロ・プラザ駅周辺は危ない地域だ。どちらにしても安全な道ではない。彼は「わかった、どちらにするか自分で考える」と言って電話を切った。

Umbrella Man, 2003

 夜中になってもなかなか戻って来ない。お父さんと一緒にまだかまだか、と待った。お父さんが、家にある彼のトレーニング用の木刀を手に取った。「これを持って迎えに行こう! 向こうがなんかやってきたら、わしがやっつける!」と言い出した。誰にも好かれる穏やかな風貌にもかかわらず、実はかなり、〝がいな〟(高知弁で荒っぽいこと)性格だ。子どもの頃は、背は小さいくせにガキ大将だったらしい。私は、「いかん! ここはニューヨークで。お父さんが逮捕されるか殺される!家で待とう」と言って、お父さんを必死で止めた。

 真夜中をとっくに過ぎてから、彼は帰って来た。10月1日に逮捕されて、ちょうど2ヵ月、あの危険なライカーズアイランドを生き延びて、やっと無事に戻った。


〈Chapter 9〉に続く
4月1日(月)公開


木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表する。写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。

〈近年の展覧会〉
「Arnold Newman Prize for New Directions in Photographic Portraiture 2023受賞者展」(The Griffin Museum of Photography/アメリカ・マサチューセッツ)
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展)」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県、MARUTE ギャラリー/香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」優勝
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers


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