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見えない日常 #7 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸孝子氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

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Chapter 7

 保釈金を払って拘置所から出てきたーーというのは仮釈放の状態で、いろんな容疑が足し算されて、私とボーイフレンドには7年ほどの刑期になる罪状が付けられたままだった。

 文化の違いに起因する誤解や言いがかりのようなものばかりで、思わず笑ってしまったものもあった。例えば、「子どもがTakakoのお尻の穴に指を突っ込んだ」と書かれているのだ。警察はたぶん、子どもにもいろいろと聞いたのだろう。そういう書き方をするといかにも卑猥に聞こえるけれど、日本には〝カンチョー〟という有名ないたずらがある。それで刑期が2年ほど加算されているのだから、なんとかしなければ! 落ち込んでいる暇なんてなかった。

Kancho, 2022

 この誤解について説明するために私が話をするべき人は、刑事弁護士のハワードだった。

 私はすぐに、日本の文化や子どもの遊びを弁護士に伝えるためのリサーチを始めた。まずは、カンチョーをアメリカ人にわかるように英語でどう説明すればよいのかについて。その他には、「みんなのうた」で放送されて国民的大ヒットとなった「おしりかじり虫」についても調べた。私には、「子どものお尻にキスをした」という罪状も付けられていたから。

 当時、日本にいる友だちが「おしりかじり虫の影響で、うちではお尻をかじることが流行ってるんだ。子どもはお尻をカプっとやるとすごく喜ぶから」と言っていた。それは私の家族の中でも流行り、楽しいふれあいの時間だった。しかし〝お尻をかじる〟なんてことはアメリカの人々にとっては、恋愛の相手とでしかあり得ないらしいのだ。そんな人たちに、どうやってこの曲の面白さを説明すればいいのだろう……。

 他には、「クレヨンしんちゃん」に出てくるチンコプターを説明するために、日本からDVDを取り寄せた。そこで初めて知ったのが、「クレヨンしんちゃん」がアメリカでは児童ポルノに分類されているということだった。だから、DVDを取り寄せるのは厳密に言うと児童ポルノの個人輸入になってしまう。「税関で取り上げられるかも……」と思ったけど、いちかばちか送ってもらって、無事に手に入れることができた。弁護士の事務所に「クレヨンしんちゃん」のDVDを持って行き、カンチョーやチンコプターを見せた。弁護士はニコリともせず「これは子どもに人気あるだろうねぇ」と言うのだ。

 私は、リサーチしていても、説明していても、いつもププっと笑ってしまう。深刻な状況だし、私も真面目に弁護士に説明しようとするのだが、途中でおかしくなって、結局いつも吹き出しながら説明していた。

 このリサーチの途中で、「ああ、私が説明しようとしているのは、親子のスキンシップのことなのかな」と気がついた。少なくとも私にとって、スキンシップは当たり前の行為で、わざわざ「これからスキンシップをしよう!」なんて思ったこともないし、そのことについて深く考えたこともなかった。

 初めてスキンシップについて調べてみると、それは英語圏では通じない和製英語だった。てっきり英語をしゃべる人たちはみんな知っている単語だと思っていた。さらに、スキンシップが日本のお風呂の文化や家族内で裸をどう考えるかといったことと、密接に関連していることを知った。日本のお風呂好きやお風呂文化が特別であることを、私はこの時初めて知ったのだ。

 ボーイフレンドはまだライカーズアイランドにぶち込まれたままで、弁護士とろくに話ができなかったから、私と彼のそれぞれの弁護士が、私の説明を共有した。ふたりとも文化の違いをよく理解してくれて、「君は良い母になろうとしてただけじゃないか」と言ってくれた。この弁護士たちが、私の説明を検事に伝えて、7年の刑期をなんとかするために交渉を進めてくれたのだ。私たちがどうなるのかは、このふたりにかかっていた。そして、弁護士にとっては私のリサーチが必要不可欠だった。

 アメリカと日本では裁判のシステムが異なる。アメリカでは、まず弁護士と検事との交渉が始まる。アメリカの刑事事件は90%以上が交渉や司法取引で終わるのだ。司法取引の結果に納得できない場合は、裁判に進んで陪審員や裁判官が判決を下すのだが、そういった事件は10%以下ということになる。

Map of Japan, 2020

 10才の子どもとなんで部屋で一緒に裸でいたのか、ということも説明する必要があった。子どもが「ひとりでお風呂に入るのはいや」と言うから一緒に入り、夏だったので風呂上がりに暑過ぎてまだ何も着てなかった。そんな日常の風景が写真に写ってしまい、容疑をかけられてしまったのだ。

 このトラブルに巻き込まれて初めて、多くのアメリカの成人は子どもに裸を見せないことや、3才くらいになるとお風呂も一緒に入らないことを知った。血のつながった親子でも、どちらも裸で同じ空間にいるには10歳という子どもの年齢は成熟し過ぎている。何か良からぬことが行われているに違いない。彼らはそんなふうに捉えるのだ。

 私の行動を説明するためには、日本のお風呂の文化を説明する必要があった。これもまた、自分にとっては日常の一部で、取り立てて考えたことがなかった。

 日本では、子どもと一緒にお風呂に入るのは親の大切な仕事のひとつである。たぶん一番の理由は危険だから。日本では、1年間に交通事故で亡くなる人よりもお風呂の中で亡くなる人の方が多いのだ。

 お風呂は、スキンシップの時間、学びの時間、お話の時間でもある。子どもは親に体を洗ってもらいながら、体を清潔に保つ方法を教えてもらう。親子で湯船につかって温まるあいだに、子どもは数の数え方を覚える。私は息子に、英語で20まで数えることを教えた。男と女の体の違いや、子どもと大人の体の違いも、自然と学ぶのだろう。親子が湯船の中で向き合う時間があるから、時に子どもは悩みを話し始める。どうやったら解決できるかを一緒に考える。親子の大切なふれあいの時間。

〝裸の付き合い〟という言葉があるように、大人になっても温泉旅行に行って、家族や友達と一緒にお風呂に入ったり、社員旅行で同僚と一緒にお風呂に入ったりする。混浴の温泉では男も女も一緒に入る。

 私にとって当たり前だと思っていたこのことが、アメリカでは当たり前ではなかったのだ。何かやましいことや犯罪が行われているのではないかと疑われたのである。

Apple, 2003

 この時期、私には4人の弁護士がついていた――。いかにもアメリカ的に聞こえるフレーズだ。でも、格好つけて言っているわけではなく、本当にそんなにたくさんの弁護士に助けてもらわないと、普段は私たちを守ってくれる法律にがんじがらめにされたまま身動きが取れないような状態だった。
ロジャーは私のワーキングビザを取ってくれた弁護士。最初から私を助けるために報酬など関係なく動いてくれていた。ハワードは刑事弁護士。ジョナサンは移民局の弁護士。2人とも、ロジャーが見つけてくれた。テリーは家庭裁判所の公選弁護人。「公選弁護人は使えない」という評判に反して、彼はとても優しく、優秀な弁護士だった。


〈Chapter 8〉に続く
3月4日(月)公開

木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表する。写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。

〈近年の展覧会〉
「Arnold Newman Prize for New Directions in Photographic Portraiture 2023受賞者展」(The Griffin Museum of Photography/アメリカ・マサチューセッツ)
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展)」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県、MARUTE ギャラリー/香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」優勝
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers

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