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見えない日常 #9 木戸孝子(写真家)

 家族の親密な関係性を収めたシリーズ「Skinship」が、このところ欧米の数々の写真コンテストで高い評価を受けている写真家の木戸きど孝子たかこ氏。同作のテーマに至るきっかけとなったのは、彼女がニューヨークでの生活で思いがけず遭遇した〝逮捕〟だったーー。

前回〈Chapter 8〉はこちら


Chapter 9

 ボーイフレンドがベイルアウトして職場に戻ると、彼の給料は2倍に増えていた。ボスは、彼の大切さを身にしみて感じたらしい。「君にはずっとここで働いてほしい」と言ってきた。いられるものならいたいのだけど……。

 アメリカの裁判のシステムは日本とはだいぶ違う。まず弁護士が、刑を軽くするために、検事と何度も交渉をする。交渉が終わると、弁護士が電話をくれて交渉の結果を伝えてくれるので、被告人は法廷で何を言われるかを知ったうえで出廷できるが、自分はしゃべる場面はない。私たちのケースは、何度かの交渉の後に、7年の刑期が1年まで短くなった。でも、そこからはなかなか短くならなかった。

 2007年10月1日に逮捕されて、月1回のペースで法廷があり、2008年3月10日が最後の法廷の日となった。検事との最後の交渉が終わった後、刑事弁護士のハワードが電話をくれた。

「検事は『裸の子どもの写真を撮ったこと自体が犯罪だ』と言って引き下がらない。『次の2つの中からどちらかを選べ』と言ってきたよ。1つ目は、misdemeanor(軽犯罪)を認めて、1年間刑務所に入る。2つ目は、felony(重罪)を認めて刑務所には入らない。条件付きの釈放だ。その条件というのは、30日以内に日本に帰国し、3年間はアメリカに戻らないというもの。このどちらも選びたくなければ、裁判を始めなければいけない」

「えっ?」となった。これではまるで、日本に帰ることがアメリカで1年間刑務所に入ることよりも重い罪のようだ。〝アメリカにいる〟ということ自体が、外国人にとって最高で最優先の事柄だと、彼らは位置付けているのだろうか。それとも、刑務所に入らなくてもよいことを選ぶように仕向けて、私たちを重罪犯にして手柄を立てたいだけなのか。

 ライカーズに戻るのはごめんだ。でも、やってもいない犯罪を認めるのもいやだ。どうするべきなんだろう……

New York Culture Center, 2003

 私たちは、最初からずっと助けてくれている弁護士のロジャーに相談した。ロジャーのアドバイスはこうだった。
「裁判を始めずに、plead guilty(罪を認めること)した方がいい。裁判になると、判決を出すのは裁判員なんだ。彼らは一般の人で、法律のプロじゃない。君たちにとても不利になると思う。しかも負けた時は、刑期が1年どころじゃなく長くなる。意地を張って裁判を始めて、より長い刑期になってしまうケースは多いんだよ。君たちに長い間刑務所に入ってほしくないよ。刑務所なしで日本に帰れるんだ。plead guiltyした方がいい。罪を認めても、君たちが何も悪い事をしていない事実は変わらないんだから」

 ロジャーは一度息を継いで、さらに続けた。
「ただ、一つだけ、とても心配なことがある。罪を認めた後に、移民局に逮捕される可能性があるんだ。外国人が重罪犯になると、移民局のカテゴリーでも自動的に重罪犯になる。彼らは、囚人を理由もなくアメリカ国内のいろんな拘置所に引き回すように連れて行く。それが始まると、日本の家族だけはなくて、我々のような弁護士さえも、君がいったいどこの拘置所に入れられているのかわからなくなってしまうんだ。移民局は、弁護士も手のつけられない権力を持っているんだよ。
 移民法は9.11以降、〝外国人はテロリストの可能性がある〟という建前で、どんどん差別的なものになっている。誰が大統領になっても移民法はどんどん悪くなる一方だよ。アメリカ人にとって、移民局の不正行為は外国人に対することだから、自分たちの不利益ではない。だから不正を暴き正そうと本気で行動する人はほとんどいないんだ」

 うちのお母さんは、あまりの心配でガクッと痩せていた。このままでは、病気になるかもしれない。死んでしまうかもしれない。しかも刑事弁護士に払った報酬は裁判になる前までのもの。裁判を始めるならまたお金がかかる。そんなお金なんてもうどこにもない。それに、もう2度と刑務所になんか行きたくない。私たちは、重罪を認めて、日本に帰ることに決めた。

Grand Central Station, 2004

 私たちは、3月11日に出発する日本行きの片道の飛行機のチケットを買った。往復チケットを買うより高かったけど、あえて片道のものを買った。それとパスポートを持って、3月10日に最後の法廷に立った。初めて、自分でしゃべる場面があった。その言葉はひとこと「Yes」だけ。これで重罪を認めたことになり、あとは裁判官が検事と弁護士との交渉の結果をそのまま判決として読み上げた。刑務所に入ることなく翌日に日本に帰るつもりだったが、残念なことにロジャーの心配は的中した。法廷に移民局の職員が来ており、私たちは即座に逮捕されたのだ。

 ロジャーとハワード、そしてボーイフレンドの弁護士のアルバートの3人の弁護士がすぐさま抗議をする。
「移民局に彼らを逮捕する権利はない。この人たちは自由だ。明日、日本に帰るんだから、逮捕する必要はないじゃないか」

 しかし、移民局の若い職員は、「それはニューヨーク市の判決でしょ。僕たちは連邦なんだよね。それにボスに逮捕して来い、て言われたから」と言って、私たちを逮捕した。手錠をかけられる前に、3人の弁護士にたくさんのお礼を言ってハグをした。ロジャーが、それまでに私を落ち着かせて元気づけるために何度も言ってくれた言葉を、最後にも言ってくれた。
「You’ll be ok. Just don’t panic」(大丈夫だから。パニックにならないようにね)

Foggy Night, 2003

 私たちを乗せた移民局の車は、何が緊急なのかよくわからないけれど、サイレンを鳴らしてブルックリン・ブリッジを渡った。車窓から見える景色はきれいだった。「見納めだね」とボーイフレンドと話した。移民局に逮捕されたということは、もうニューヨークに戻れないことを意味した。

 あるときに、私たちをサポートしてくれた友達が「ふたりは犠牲者なんだから」と、会話の中で言ったことがあった。なぜかしっくりこなかった。後で気がついた。私は自分たちのことを犠牲者だとまったく思っていなかったのだ。私たちは犠牲者ではなくサバイバーだった。今度は移民局の拘置所にぶち込まれるかと思うと、悔しくてたまらなかったけれど、生き延びてとにかく無事に日本に帰ろう、とふたりで誓った。


〈Chapter 10〉に続く
5月7日(火)公開


木戸孝子(きど・たかこ)
1970年、高知県生まれ。 創価大学経済学部卒業後、プロラボ勤務を経てフリーランスフォトグラファーとして独立。2003年、ニューヨークのInternational Center of Photography卒業。 その後、ニューヨークで、白黒銀塩写真のプリンター、リタッチャー、高知新聞への連載などを行いながら、自身の作品制作、発表を行う。現在、高知県に在住し、国内外で作品を発表する。写真集に東日本大震災の被災地を撮影した『The Unseen』(2021年)。

〈近年の展覧会〉
「Arnold Newman Prize for New Directions in Photographic Portraiture 2023受賞者展」(The Griffin Museum of Photography/アメリカ・マサチューセッツ)
「LensCulture受賞者展」(Photo London・Somerset House/イギリス・ロンドン)
「ZUHAUSE NO.6(VONOVIA Award受賞者展)」(Sprengel Museum Hannover/ドイツ・ハノーファー)
「The Unseen(個展)」(多賀城市立図書館/宮城県、MARUTE ギャラリー/香川県)
「The Exhibition Lab Exhibition 2021(グループ展)」(Foley Gallery/アメリカ・ニューヨーク)

〈近年の受賞歴〉
「2023 Arnold Newman Prize」ファイナリスト
「2023 Daylight Photo Awards」優勝
「LensCulture Summer Open 2022」優勝
「VONOVIA Award fur Fotografie 2022」3位
「Women Photograph Project Grant」グラント受賞
「IMA next」テーマ「Touch」優勝
「Photolucida Critical Mass 2021」トップ50 Photographers

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