見出し画像

雑談も「自分時間」として楽しむ

結婚する前は、「結婚して、友達に会う時間が減るのは嫌だな」と思っていた。

娘を産む前は、「子どもがいたら、自分のやりたいことも自由にできないだろうな」と思っていた。


当時の私は、「自分時間」と言えば「自分ひとりで自由になんでもする時間」という認識だった。


それが、娘を出産し、「自分時間」に対する認識が少し変わった。


育休中、保育園の入園が決まる前は、朝起きてから夜寝かしつけるまで、一日中娘と一緒に過ごし、日々の成長が嬉しくもあっという間に時間が過ぎる。

この4月から娘が保育園に通うことになり、私もフルタイムで復職したことで、日中は仕事の時間。8時間があっという間に過ぎる。

そして、就業後は自転車を飛ばして保育園にお迎え。

そこから、あわただしくお風呂に入れてごはんを食べさせ、寝かしつけの準備。


いまのところ、独身時代や娘を産む前に比べて、「私が一人きりになる時間」はあまり持てていない。(在宅勤務時の仕事時間は含まず)

でも、不満があるかと言われると、そういうわけではない。

結婚前や出産前に危惧していたほど、不自由さもない気がする。



産後は、物理的に「自分ひとりで自由になんでもする」なんてほぼ不可能だと思い知ったからだろうか。



「自由な時間」が確保できないという前提から、私の中で、「自分時間」の定義が「自分のことを振り返る・自分の内側を見つめる時間」というふうに変化したんだと思う。


夜寝る前、「今日やったこと」「明日やること」「今自分が思ってること」などをメモするだけでも、ずいぶん気持ちがスッキリとする。


一人で気ままに出かけたりしなくても。
そばで夫がTVを見ていたり、娘がベッドで寝ている横だったとしても。

私にとっては、思考を整理し、自分の本音を自覚する時間として、「自分時間」が必要なのだと思う。


「文字にする」も効果的だけど、他の人に話を聞いてもらったり、自分で口に出して言語化してみることでも、自分の頭の中が整理されていく。


今日、とあるミーティングの内容を整理したくて上司に「雑談」として話をしてみた。

自分の中では「報告」とか「相談」という形式ではないと思ったので、「雑談なんですけど・・・」と切り出した。


言葉が出るままに話したので、要領を得なかったかもしれないけど、上司は私の話を最後まで聞いてくれ、私の話を整理してくれた。

端的な表現でわかりやすく。


そこで初めて、私の「モヤッ」の正体は「自分の次のアクションがクリアに出来てない」だったのだとわかった。


人と話していると、直接の話題ではないのに、自分が持っている課題のヒントになるようなことが不意にひらめいたりすることもある。


今日の上司との雑談がまさにそれ。
私は頭の中がクリアになったおかげで、めちゃくちゃ爽快な気分になれた。
(就業間際に雑談の時間を取ってくれた上司には感謝である)

こうしてnoteに書くことでも、そのわずかな「自分時間」が私の心を穏やかに保たせてくれてるんだと思う。


「自分時間」は自分を労わる時間でもある。
そのあり方は、形を変えても楽しめる自分でいたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?