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育休中に学んだこと⑤「感謝しかない」

娘の慣らし保育が、終盤に向かっている。1日ごとにお迎え時間が伸びている。
今日はなんと、お迎えが16時!!昨日は14時だったので、2時間も伸びた!


昨日なんて朝預けるときには泣いたけど、お迎え時は平然とした顔で私のもとへスタスタ歩いてきて、先生に「ばっばい!(バイバイの意)」と手を振っていた。
バイバイの言い方も意志が感じられるし、手の振り方まで力強い。



そして今朝。
やっぱり私と別れるときは「わ~」と言いながら、先生に抱っこされてバタバタしていたけど、その「わ~」が本気で泣いてるというより、「私は抗議してるんだ」みたいな。
「預けられるってわかってるけど、一応言っとくよ!!」みたいな。

今までのただただ泣き叫ぶ感じと違ってきているなぁと感じた。

保育園に預けられるということを受け入れつつあるのかもしれない。

これを「成長」と呼ぶにはあまりにも大人の都合が良すぎる解釈だけど、それでも子どもの順応性の高さというか。素直さには感服する。

娘を優しく、あたたかく受け入れてくれてる保育園の先生にも感謝である。



復職日までは、保育園に預けてからお迎えに行くまでは私の自由時間なので、家事や用事を済ませたりnoteを書いたり本を読んだりして過ごしている。

娘が生まれて1年4か月の中で、一番物事がスムースに進む時間。
身体も軽いしサクサク歩けるし、こんなに物事って順調に進むものなの?と驚く。
大人1人で行動すると、予定の組みやすさ・所要時間の予測の正確さに目を見張る思いである。

私の友人で、初めて子どもを保育園に預けた時は、(寂しくて)泣きながら帰ったという子もいたが、私自身は涙の一滴も流すことなく、「解放!」という気持ちだった(娘なら大丈夫という根拠のない信頼と保育園の先生にも安心感しかなかった)

この解放感は、妊娠前には得られなかったものだと思う。

やっかいな仕事が終わった達成感とも、強制的に参加させられた飲み会からやっと抜けられた安堵感とも違う。


なんというか。
「感謝」かもしれない。

自分だけに使える時間をもらえたことへの感謝。
無意識に気を張っていた緊張感をちょっと緩ませてもらって、リストアップしておいたやるべきことをこなせることに対しての感謝。

ありがとう!私もがんばるよ!
という気持ち。


娘が生まれた直後、実母が手伝いに来てくれたり夫も育休を半年間取ってくれたこともあって、私は娘のお世話しかしなかった。

そして、夫の育休が終わるとワンオペだったけど、その頃にはスムーズとは言えなくても慣れてきていたこともあって、娘と2人で出かけたり遊んだりすることに自分の時間とパワーを使っていた。

娘が10か月くらいの頃からは、オンラインコミュニティでの活動や本を読んだり資格試験の勉強をしたり、自分へのインプットとアウトプット(noteでの発信など)を意識して日々を過ごすようになった。


そんな中で、「目を離すことのできない乳幼児がいる」と「なかなか思うように物事が進まない」のは当たり前である。

当たり前だとわかっているのに、娘の成長とともに私も自分の時間を取りたい欲が増してきていることで「今日、あれやろうと思ったのに出来なかった・・・」とストレスに感じることもあった。


「予定通りに出来なかった」ということだけが自分を追い詰め、自己嫌悪。

負のループから抜け出せるようになる第一歩は「出来なくても、自分はダメなわけじゃない」と思えるようになること。

どんな小さなことでも「今日はこれが出来た」と自分を認めてあげること。


「なんで私はうまくできないんだろう」「自分ばっかりやることが多すぎる・・」と自分の出来ないことばかりにフォーカスしてしまうのは、「もっとやれるはずだ」と自分自身に期待をかけすぎてしまっていることもあるけど、周りが見えてなさ過ぎたんだと思う。


小さなことでも「今日はこれが出来た」と自分を認めてあげられたら、そうできたのは、夫が家事をしてくれたおかげだったり娘が1人遊びが出来るようになった成長のおかげでもあったり。
実は、周囲にとても助けられて支えられている自分に気づく。



私がフルタイムで復職するって決めたことで、慣らし保育を頑張ってくれている娘に、心から「ありがとう」

そして、私に「家事をきちんとやってほしい」なんて言いもしないしそもそも思ってもいない、やりたいことをやらせてくれる夫にも「ありがとう」

実母にも義母にも、娘の育て方に関して、一度も「こうした方が良い」なんて言わずに私たちを信頼してくれていて「ありがとう」


もちろん、復職させてくれる会社や私の希望(時間的制約があることなど)を聞いてくれる上司にも「ありがとう」


ただすれ違っただけの人の優しさも本当に沁みる。
娘に「かわいいね」って声をかけてくれてありがとう。
エレベーターのボタンを押して、待っててくれてありがとう。

世の中に対して、こんなにも感謝の気持ちを感じることなんて、これまでたぶんなかった。

そういう想いを経験させてくれている娘に、また感謝なのである。




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