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育休中に学んだこと③「ダメな自分はダメじゃない」

私は、どちらかというと第一印象が悪くない方で。

「優しそう」「ちゃんとしてそう」と思われがち。
(大人しそう、真面目そうとも言われるが、それが逆に「自己主張しなさそう」とマイナスにとられることもあるにはある)

他人からの評価が、自分にとっては大きすぎる洋服を着せられてる感を感じることも少なくなかった。


第一印象からの「ちゃんとした人」認定は有難いことなのだが、それが自分自身を縛ることにもなっていたし、もともとの性質もあってか「ダメな自分や弱い自分を人に見せるのは恥ずかしい」と思い込み、周囲に頼ることが苦手だった。

それが、出産し、問答無用の育児がスタートすると、そうも言ってられない。
そうも言ってられないのに、実母にすら「助けてほしい」という言葉はほとんど言ったことがない。

「迷惑をかけたくない」「心配させたくない」もそうだし、今後また別の何かがあった時に「あのとき一人じゃ出来なかったんだから、今度も大変よ」と気持ちを折られるのは嫌だと危惧したせいでもある。



私の母は心配性で真面目な人なので、過保護ではないけど、過干渉な親だったんじゃないかなぁと今にして思う。
そして、私がなにか「〇〇やりたい」というと、その本気度を図るためなのか、まず否定から入る。

それが思春期の私には息苦しくて不自由で、「大人になって早く一人でなんでも出来るようになりたい」とずっと思っていた。

一方で母も、私を縛っているつもりはなくて、むしろ私のことを自分の言うことなど聞かないなんでも一人で決めて事後報告で無鉄砲な子だと思っていたようだ。


だけど、本当は母は、ただ私を心配しているだけで、無理をさせて辛い思いをさせたくないだけなのだ。



「母親だからって、しっかり子育てしなくちゃと思わなくて良いんだよ」


娘が6か月を過ぎて、夜のねんねのリズムが崩れがちだった時に、母にそう言われたことがある。

「あぁ、私は弱い・出来ない自分を自分で認めたくなかっただけで、ダメな部分を見せたってそれが私自身の評価を下げるわけじゃないのに」とようやく気づけた。


子育てが教科書通りに出来てないのは、当たり前なのだ。

育児本やネットの情報はあくまでも一例で目安でありヒント。「こうするべき」じゃないし、なにより私や娘自身のことじゃない。

娘がどうしたいか、私も娘も心地よい選択は何か、が大切なのだ。


心地よい選択をするためには、まず私自身の心が安定している状態が望ましい。

安定していて、心に余裕があってゆとりがあるためには、自分一人でなんでも抱え込まないほうが良い。


自分に出来ないことは「出来ません」と言えるほうが良い。
「今は出来ないけど、落ち着いたら出来そう」とか「ここまではやるけど、これ以上は手伝ってほしい」と素直に具体的に要望を言えたら良い。


そうだ、そうだ。
もっと夫にも「コレをやってほしい」と言えば、絶対なんでも協力してくれるのに。

「察してよ」と無理なことを思いすぎて、勝手にイライラしてしまっていた自分を反省した。言わなきゃ、そりゃ伝わらないよ。
(そうして自分を振り返ると、夫の不注意や「やってほしい」とお願いしたことを忘れられていたりしても、意外と腹が立たなくなった気がする)


娘自身のことに関しては、「この子はここがダメだなぁ」なんて思ったことは一度もない。

ただ本能のままに存在する娘をそのまんま、受け入れているからかもしれない。

娘も、まだ言葉には出来ないけど、私のことを「ママ、家事を完璧にしてないからダメだなぁ」などと思っていないと思う。
夫もそう。
「頑張りすぎなくて良いよ。よくやってるんだから」と私に言う。


私自身が、自分の至らなさを許せなかっただけ。
出来ないことがあったって、失敗することがあったって良い。
それはその事実があるだけで、私自身がダメなわけじゃない。


「ダメなわけじゃないから、別にいっかー」で終わらずに、「どうしたら、うまくいくかな?」と考えられるようになるために、まずは今の自分をまるっと受け入れられるようになれた。

小さい一歩だけど、育休中の大きな学びになったと思う。


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