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アミ小さな宇宙人 第12章 宇宙生命体への階段

この章では主に、新しい時代(水瓶座の時代)について、
また、宇宙人から地球に向けられたメッセージについて書かれている。

ペドロの前には何人もの人が空中に浮いていた。
ー愛の力ーが体を持ち上げていると言う。

愛の力とは、第2章でペドロが一瞬だけ宙に浮くことができたように、
「飛ぶなんて無理だ」とか頭で考えることをやめて、
「飛べる!」と強く信じ、
夢中になり、
絶対に無理だと思っていたことを実現させた、
その力の事。

この浮いている人たちは、そのような精神状態の訓練をしている最中らしい。

少し遠くの野原に50人ほどのグループが輪を作って足を交差させ座って瞑想している。
この人たちは宇宙の中の、それほど進歩していない世界(地球も含まれる)に向けて、あるメッセージをテレパシーを通じて送っていると言う。
そのテレパシーは頭で考えても読み取れない。

「頭で考えるのをやめて、目を閉じ、胸に注意するようにしてごらん。きっとメッセージを受け突れる」とアミは言う。

すると何か特別な感動に近い感覚、そしてその後に”理想的な感覚”がペドロの中に入り込んできた。とても気高い明るさのような感覚が体の内側から湧き上がってきた。
受け取った感情の言葉は以下のようなものだった。 

ーー全て、愛に基づいていないものは全て、壊されて、時とともに忘れ去られ
捨てられていく

愛に基づいている全てのもの
友情や夫婦
家族や組合
政府や国家
個人の魂 人類の魂
これらはみな
堅固で確実で
繁栄し実を結び
壊れることを知らない

これが私の掟だ
これが私の約束であり
私の法だーー

このメッセージは、進歩していない世界に送信されるが、純粋に再生されるかどうかは受信する人の意識の水準による。
知性(頭の脳)と、愛(胸の脳)のバランスが正しく取れている人にはメッセージは正しく受け取られ「新しい時代」の創造の為にその脳が使われる。

新しい時代、とは地球という惑星の発達の段階で、数千年もの間続いた野蛮な時代の次に来る新しい愛の時代「水瓶座の時代」のこと。
水瓶座の時代は、より繊細な宇宙のエネルギーに支配されるようになり、全ての人の愛の成長を助けるようになる。

時代は新しい愛の時代に移りつつあるのに、今はまだ古い時代のシステムが人々を傷つけている。だが最近はこの新しい時代の流れもあり、地球でも愛についてよく語られるようになってきているとアミは言う。
水瓶座の時代に入り、以前の時代にも増して強くなったこれらの愛の放射の力、メッセージを受け取る人が多くなっている。

この新しい時代の感覚を持つ人間は、いち早くこれらの繊細なメッセージを受け取るものの、まだ新しい時代に順応できない残酷で戦争も当然、と言う古いシステムに従わざるを得ない結果になっていて、より苦悩に対して敏感で傷つきやすくなっている。

映画を観に行こう、と言うアミ。
観客で満員の野外映画館のような場所。

そこでは、
人が想像したことがスクリーンに映ってそれを観客が見ることができるらしかった。
それは静かな音楽に合わせたカラーの抽象的な画像や、アニメーションを見ているようでとても美しいものだった。
次から次へと人が変わり、その人の頭の中で起こっている”イメージ”を披露した。
子供も披露していたが、子供の場合まだ集中力が弱いので所々鮮明度に欠けたり、ぼやけたりしていた。

オフィルでは、音楽家が音楽を想像して観衆がそれを聴くと言うコンサートもあると言う。

次に案内されたのは幻想的で娯楽施設でいっぱいの遊園地のような場所だった。

「より進化した人間ほど子供のようになってくるんだ」とアミは言う。

進歩した大人の精神はまるで子供とそっくりで
遊びとか幻想とか想像といったものが必要。

そしてその最たるものが大宇宙であり、
その”創造者”は”愛”。

アミは「我々の言葉では、創始者、神性、神などを意味するたった一つの言葉がある。」と言う。

それは”愛”と言う言葉だと。

つまり、”愛”そのものが全ての創造主であり”神”なのだ、と。


愛を持つ者の中には神が宿っている、

と言う事になる。



ー余談ー(ていうか、読書ログより長くなってしまった)

この章に出てくる宇宙からのメッセージにある、「愛に基づいている全てのものは壊れない」という
ことについて。

少し前の自分では全く見分けがつかなかったけど、最近結構これがわかるようになってきた。

分かりやすいところで、物質的なモノに例えると、

例えば愛のある物、作品っていうのは、だいたい、受け取り手の事を一番には考えていないことが多いと思う。

まず作り手の満足感が一番大切にされるべきもので、その次がその物が向けられるたった一人の人。たった一握りの人のために
可能な限り労力を労力とも思わず惜しまずに注がれた熱意や技術で作られたものであり、
その作品への真摯な姿勢は必ず見えない贈り物として作品を通して受取り手に届くんです。
これは本物だ、と。

多くの人に売る為に作られた物じゃなく、ごく親い誰かの為に作られたもの、っていうのがポイントです。

また、「オタク」と呼ばれる人たちは最近アニメがメインカルチャーに押し上げられ市民権を得てきて注目されてきたと思うのですが、
このオタクこそ、実は最もその辺のアンテナが鋭い人たちの集まりなんじゃないかと思っています。

オタクって、アニメオタクに限らず、どの界隈にもいますよね。
好きなものを徹底的に追求するという姿勢はもっと尊重されるべき、と思うんです。
例え対象が何であれ、です。

そういう「ものすごい好き」という感情は実は誰の中にもひとつくらいはあって、
いくら消そうと思っても、胸の中でくすぶり続け
「中学生じゃないんだから!」っていくらもみ消そうとしても誰がなんと言おうと完全に消せるものじゃない。

その消えそうで消えない燃えかす寸前みたいなのって、歳を追うごとにだんだんチクっと痛むようになったりして。

思い切って捨てよう!と思ってもなかなか捨てられなかったり。
だったら、どんどん風を注いで燃えあがらせればいい。ちょっとやそっとじゃ消えないくらいの大きな炎にしてしまえばいいって思うんです。

ほんとは君の中で くすぶる熱い光
太陽に叫ぼうよ ほら見上げて見て
燃えよ あの空に燃えよ
明日なんか来ると思わずに燃えよ
クールな振り もうええよ
強がりも もうええよ
汗かいてもええよ
恥かいてもええよ

簡単じゃないかもね でも難しくはない
迷いながら探すの それはみんな同じ

「燃えよ」 by 藤井風


その結果、それまで周りにいた人と馴染めなくなったり、会社を辞めることになった人は残念な人でしょうか?
上っ面の笑顔だけで付き合ってる関係って、人生かけてしがみ付くほど価値のあるものでしょうか?
毎日ストレス抱えながら体調不良をなだめすかし、大した心躍るような歓びもなく続ける作業労働って、本当にあなたじゃないと出来ないことでしょうか?

そういうの手放して、軸をちゃんと「自分」に戻せたなら、もう自分に言い訳しなくてよくなります。ていうか言い訳できなくなります。
少なくともその人の言葉、作り出すものは本物になり、自信を取り戻すことができるようになります。
そうすると、自ずと目の輝きは増し、余裕も生まれ、全身から愛を解き放ち始めるはずです。

毎日カップラーメンしか食べれなくでも、広いマンションに住めなくても、
その「好き」という炎さえ燃やし続けられていたら、そんなこと気にならないはずです。
(食べるのがすごく好き、インテリアに興味がある!という人は別ですw)

その結果、例え滅んでしまうとしても(滅びの定義とは??)、すごくやりたかったこと、すごく欲しかったものや憧れに本気で手を伸ばせた人生の最期は、きっと笑っていられると思うんですよね(『BANANA FISH』のアッシュみたく(/ _ ; ))

自分から手を伸ばしたその先には「YES」しかないんです。

話が逸れましたが、そんな風に真摯に注がれた情熱によって生み出されたものは全て、「愛に基づいたもの」だと思うのです。もちろん、モノだけじゃなく人間関係や、組織、個人の魂もその魂がつなぐコミュニティも。

ガソリンを注がれ燃え盛った炎は簡単には消えない(壊れない)、というわけです。



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