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親愛なる生理様③

 生理コンプレックスを抱えたまま女子校を卒業した私は、6年ぶりとなる共学へ。それから私は、こうして生理について文章を書けるまでになった理由となる様々な出会いを経験します。

まず、大学入学早々、「生理こーーーーい!」と廊下で叫び、生理が来たら「うっしゃー!生理きたーーー!」と飛んで喜ぶ友人に出会います。そんな彼女の言動に、初めは私もクラスメイトも驚いていたし、特に男子はどんな顔をすればいいかわからない、というような感じでした。

しかし、こんなにも生理をオープンにしていて、かつ、生理をとてもポジティブに捉えている彼女が私にはあまりにも新鮮で、私の中にある「生理の話題はタブー」「女性だけの秘密」という固定観念が覆されました。

そんな私が一昨年、イギリスへ行った時のこと。私は、イギリスからフランスへ移動するためのユーロスターのターミナルで、なんとなく生理がくる予感がしました。生理用品はスーツケースにしまっていたため、トイレの販売機で生理用品を買うことにしました。しかし、海外ならではなのでしょうか。コインを入れても何も出てきません。追加でコインを入れてボタンを押しても、やはり何も出てきませんでした。すると、それを見かねた一人の女性が、私の肩を叩きナプキンを一つくれました。その瞬間、私の中の何かがストンと落ち、恥ずかしさも何もなく、私は生理を受け入れられたのでした。

 以来、私は生理を個人戦だと考えるようになりました。みんなそれぞれがそれぞれのやり方で戦っている。見えないだけで、見せないだけで、世界中で黙々とそのお腹の下の違和感と戦っている人がいる、と。その痛みやだるさは共有できるものではないですが、生理という同じ敵と戦う者同士、時に助け合い、理解し合う。それって素晴らしいことだなと思えるようになったのです。

けれど、私はそこで「生理と戦う女の子たち」といったまとめ方はしたくありません。なぜなら、私が生理コンプレックスを抱えた理由は、その「女の子たち」という枠に括られることを受け入れられなかったからです。

女の子になりたくなかった私

 生理は女性のもの、そう考えられることは自然なことです。生理を始めとする身体的な成長というのは、男女の線引きをよりはっきりとさせます。最近は、スタイリッシュなデザインの生理用品も出てきましたが、生理用品となればいちいち可愛らしいデザインのパッケージだったり、あえて女子のみで生理について学ぶ授業が開かれたりと、女性とはこういうものだ、と押し付けられる環境が最近までは出来上がっていました。

私の性自認は女ですが、初潮を迎えた頃は特に「女の子」というレッテルを貼られることが嫌でした。幸い私は、女の子だから赤のランドセル!ピンクやハート柄の洋服!習い事はピアノ!というようなジェンダーバイアスのない両親の元で育ちました。そのため、私が水色のランドセルを選んでも、姉がショートヘアでズボンばかり履いていても、弟がスカートをはいて小学校へ登校しても、子供の意思を尊重してくれました。

しかし、私は初潮を迎えて以来、世間の作った女の子のイメージにはめこまれていく感覚になりました。「結局あなたも女の子ね」「これからは女性らしく」と大人たちから期待されているような感覚。反抗するにもできない私は「女の子の日」という言葉をいつになっても好きになれませんでした。

このように、生理をまっすぐに受け入れられなかった人は、きっと私だけではないはずです。生理が来ているからと言って、自分を女性だと認識していない、もしくは認識したくない人もいます。中には女性の身体を持っていても、生理が来ない人もいます。女性は生理が来るもの、生理は女性のもの。その考え方、固定観念が幾人もの人を苦しませているのです。


知ることができる時代

 知る手段に溢れたこの時代。私が望むことは、一つ。身体も、心も、痛みもみんな違うと多くの人に知って欲しいということです。そこには、あなたの性別も生理の経験の有無も関係はありません。

そりゃあ、欲を言えば、生理用品やピルや痛み止めの無償化や、生理休暇の制定の義務化など、それらがあれば社会はどれだけ優しいかと思います。

しかし、その未来のためにはまず、知ること。

生理はあまりにも複雑です。生理が重い人、軽い人、PMS(月経前症候群)がひどい人、ストレスやダイエットで生理が止まった人、生理にネガティブな人、生理にポジティブな人がいます。生理ひとつとってもその考え方や症状はあまりにも多様です。

だから、あなたがどんな性別でも性自認でもでも、生理の経験があろうとなかろうと、生理を理由に落ち込んだりイライラしたりしてる人を見て「あー生理ね」と片付けるとか、休みたいと言ってきた人に「本当はそんなに辛くないんでしょ」とか、見学しているクラスメイトに「女はいいよね」とか、そんなことは言わないでください。

私がみたい未来は、もっと生理にやさしい社会。生理が来たからといって「女の子」になる必要のない社会。生理の症状の多様さを性別問わずクラスメイト全員に教える授業が一般化され、生理用品が無償化された社会。


そんな世の中に、近い将来なってほしいです。

最後に

 ここまで文章を書いてきた私ですが、いまだに生理は嫌いです。毎日のように閉経したいと思っているし、生理歴12年にして、生理が来たら悲しくなり「なぜ生理なんて言うシステムを神様は・・・」とトイレで泣く日もあります。

けれどここ数年の間に、生理について考えることすらできないくらい生理が嫌いだった私は少なからず、生理と向き合えるようになりました。その結果がこのnoteです。

ただの自己満足ではありますが、願わくば、生理を考える誰かの目に止まれば嬉しいです。


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