あ
おうちから出られなくなったことがある私が、そっと書き留めておきたい小さな詩集です。
わりかしどうでもいいもんだ なんて思えたのはここ最近 ほんの少し前はほら 絶望と希望をたんと感じる なんてったって特別な日で でも前回も前々回も そういや私はひとりだった この部屋にたったひとりだった 何もない、それを たんと感じたもんだった 前回こそ あなたと生きると決めていた だのにあまりに虚しくなった だってちっともキラキラしやしない キラキラさせてくれやしない それは宝物なんだ。 私の宝物なんだ。 私にはあなたのそれも宝物に思えるんだ。 だって共に生きる人だから。
あなたにつねられたいくつかの 私にできた千鳥柄 わざとじゃないって知ってます。 小鳥のスカーフ巻くあなた だもんできっとささやかな 優しさと愛とでつつましく 穏やかな毎日を夢見てる けれども私は知ってます 鳥は小鳥に戻れぬと スカーフを取りその羽で あなたはもっと飛んでいい
僕はただのアリです。 世界を生きるあなたから見たら ふと地面を見たらそこにいた 本当にただのアリなんです。 毎日、毎日踏ん張って お天道様の顔色伺い 毎日、毎日踏まれないよう 必死に生きておりますの。 なにをそんなにビクビクしてるの? なんだか大変そうだねキミは。 そりゃビクビクしますとも 誰のせいだとお思いで? 大変ですともそうですよ 他人事だから仕方ない でもいいんだ、僕は僕。 一歩一歩、歩いてる。 振り返ればちゃんと道がある。 歩いてきた道がある。 え、これだけ
生理コンプレックスを抱えたまま女子校を卒業した私は、6年ぶりとなる共学へ。それから私は、こうして生理について文章を書けるまでになった理由となる様々な出会いを経験します。 まず、大学入学早々、「生理こーーーーい!」と廊下で叫び、生理が来たら「うっしゃー!生理きたーーー!」と飛んで喜ぶ友人に出会います。そんな彼女の言動に、初めは私もクラスメイトも驚いていたし、特に男子はどんな顔をすればいいかわからない、というような感じでした。 しかし、こんなにも生理をオープンにしていて、か
みなさんは「出血の止まらない女」をご存知でしょうか。新約聖書マルコによる福音書にでてくる、12年間も出血、つまり生理が止まらない女性のお話です。 宗教において、血や生理は穢れを意味します。彼女は周囲の人に穢れた女であるとされて12年もの間、誰にも触れてもらえずに過ごしてきました。しかし、彼女はイエスキリストが触れることで出血が止まり、元気に暮らします。 そんな、生理が止まらない、何てことがあるものなのでしょうか。 個人差はあれど、生理は月に一度の頻度できて、およそ一週
全然、親愛なるなんて言いたくないんですけど、毎月その日を迎えるたびに、つい文章にしたくなってしまうものですから、せっかくだしnoteに書いてみようと思います。 「生理」という言葉さへ、人前で言えるようになったのはここ1〜2年のことです。どんな状況であっても「今日、生理で」「生理痛が酷くて」なんて、誰かに言えたことはありませんでした。 私の嫌悪感 記憶にあるのは、二つ年の離れた姉が初潮を迎えた頃、母と叔母と姉と私で大型スーパーに買い物に行った時のこと。(私はもとより単独行
私は自分の子どもが欲しくない。 どうしても、どうやっても、 私は自分の子どもが欲しいと思えない。 別に、私は私が嫌いだから、そんな自分の遺伝子を持っている子どもなんてほしくない、というわけではない。 むしろ、自己肯定感は高い方だと思う。 ただ私は、 自分の子どもを良い方向に導く自信がない。 私は基本的に自己完結型で、自分で考えて何事も選択してきた。 選択が人を作ると知ったのは小学校高学年。 きっかけは、 「両親のようになりたくない」 という感情だっ