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親愛なる生理様①

 全然、親愛なるなんて言いたくないんですけど、毎月その日を迎えるたびに、つい文章にしたくなってしまうものですから、せっかくだしnoteに書いてみようと思います。

「生理」という言葉さへ、人前で言えるようになったのはここ1〜2年のことです。どんな状況であっても「今日、生理で」「生理痛が酷くて」なんて、誰かに言えたことはありませんでした。


私の嫌悪感

 記憶にあるのは、二つ年の離れた姉が初潮を迎えた頃、母と叔母と姉と私で大型スーパーに買い物に行った時のこと。(私はもとより単独行動が好きなため、レジで合流するのが基本なのですが)私はそのスーパーで生理用品の売り場に私以外の三人がいるのを見かけました。なぜか、私はとっさに彼女たちから隠れるようにその場を離れました。

そこにいたのは「私たち」という顔をした母たちでした。女の仲間入りを果たした姉を祝福し、様々なHOWTOを教える女の先輩たちと、それを当たり前のように受け入れている姉。

疎外感ではなく、焦燥感でもなく、憧れでもなく、

私はただ嫌悪感を抱いていました。

それ以来、まだ初潮を迎えていない私も「もうすぐ仲間になる人」として扱われるようになり、生理に関するHOWTOを聞かされるようになりました。当時の私は、ティーン向けの雑誌や姉が友人から借りてきた漫画を読む習慣があったため、自然と女性の発育のことや性的な知識が身についていました。

そのせいか、知っていることをいちいち「特別なこと」のように教えられることがとても嫌でした。

自分に初潮が来た時もこうして「特別なこと」のように扱われたり、「私たち」という独特な団結力のある集団への仲間入りを歓迎されたりする未来は見えていました。

それを想像するだけで、なんだかむず痒い。私はそんな未来の自分のために、今のうちに、恥ずさしさと嫌悪感の混ざったような気持ちを少しでも軽くしようと思い

「私に生理が来たらお赤飯じゃなくて緑のご飯にしてね」

と冗談を言うようになりました。(緑の着色料を使って米を炊いてくれ、という意味)

日に日に生理への嫌悪感が増す私は、生理の話題だけでなく生理用品のCMにも敏感になり、こんなセンシティブなものがなぜ当たり前のようにお茶の間に流れるのか、と怒りさへ覚えました。しかし、私が生理を変に意識しているとみんなに思われるのは恥ずかしいため、父や弟の前でも公然と流れるCMをとにかく気にしないフリをすることに必死でした。


こんにちは、生理様

 もれなくして、その日は来てしまいました。4月生まれの私は小学5年生の誕生日前には初潮を迎えました。クラスでは一番早かったように思います。それは朝、自宅でのこと。私は家族の中で一番早く起きて、他の家族を起こさずに学校に勝手に行くような、自立している(というよりはなんでも自己完結している)子どもだったので、はじめての生理でも騒ぐことなく、何事もなかったように血液のついてしまった下着をビニールに入れて捨て、新しい下着を履き、当たり前のように生理用品をつけ、いつも通りに小学校へ登校したのでした。

いよいよきたか、とは思いましたが、喜びの感情は一ミリもありませんでした。

初潮を迎えてから3カ月ほど経った時、とうとう母にバレました。いちいち報告するのも恥ずかしいし、とにかく大ごとにされたくなかったので自分の中で生理の整理がついた頃に(笑)母親には言えばいいか、なんて思っていました。

バレた理由と言いますと、生理用品の減るスピードが上がった、というものです。私の家は幸い生理用品が誰でも手の届く所にあったために処理に困っていなかった私でした。なのでバレました。

「なんで言ってくれないの。」
「いつからなの。」

その次の日の夕食にはお赤飯が炊かれていました。緑ではありませんでした。

祖母や乳母は「おめでとう」と言い、父は「大人の仲間入りか」と言いました。私はとりあえず、気まずさや恥ずかしさや嫌悪感を隠し、ふざけたように笑っていました。


変わってしまった何か

 それ以来、私の女性を見る目は変わりました。目の前に立っている先生も、よく行くスーパーのおばさんも、自転車を漕いでる高校生も、映画にでている海外の女優さんも、この世の中の女性はみんな、こんなに恥ずかしい思いをして生理を受け入れているの?これのどこがおめでたいの?なぜ女だけ?私はこれから一生、生理と付き合っていくの?

私はもう、戻れないの?

私は正直、自分は汚れてしまった、そう思っていました。もう自分はまっさらじゃない。きっともうネバーランドには行けない。私はピーターパンの物語が大好きだったので、ピーターが毛嫌いする大人になるという過程に、今、正に自分がいるという事実に大きなショックを受けました。

しかし、生理への大いなる嫌悪感はあったものの、クラスの子よりも少し早めな成長は私にわずかな自信をつけさせました。こっそりポーチを持ってトイレに行ったり、プールの授業を見学したりすることで「あいつは始まってる」と思われることが少しばかりか特別に思えて、ある意味いい気分を味わっていたのかもしれません。

けれど、いざトイレに入り、ナプキンを取り替えるときの「ビリビリ」という音を誰かに聞かれるのは大変恥ずかしく、私は学校でも家でもトイレに行く時は周囲に人がいないこと必ず確認するようになりました。万が一、近くに人が来てしまった時はできる限り音を立てず静かにナプキンを取り替えることに精を出していました。どうしても、生理中であることを他者に知られるのが嫌だったのです。

そしてその度に「あと何回、これを繰り返すのだろう。」と、これから続く悪夢を絶望的に想像していました。

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