今話題の勉強の”努力”と”才能”に関して

話題のポスト

今、Xでは東大卒アイドルが3年前にしたあるポストが話題になっている。

内容をテキストで引用すると
「勉強なんてこの世界で唯一努力報われる分野なのに環境のせいにして努力しない人間が本当に嫌い。持たざる者が人生逆転したいなら勉強するしかないんだよ。私は学校にも居場所なくて塾にも行かず、人生変えてやるって反骨心だけで古本屋で買った問題集1人でヨレヨレなるまで解いて東大受かったよ。」(以下:元ポストと呼ぶ)
というものであった。

これを読んで私が抱いた感想は
概ね同意できる
というものだった。
ここで”概ね”と言ったのは「勉強が唯一努力が報われる分野」という点である。
他の分野では努力が報われないかと言われれば、それは否である。
私はあくまで「勉強は努力が反映されやすい分野」であるという認識をしている。
だから”概ね”同意している。

さて、私の感想はどうでも良くて、世間の反応はどうだろう。
私は賛成側であるので、反対派閥の意見を見てると
「中学受験して、中高一貫通ってる」
「努力しても東大にはいけないよ」
「努力できる環境があって良かったね」
「努力できるのも才能」
「勉強に才能がいらない理由ないじゃん」
「綺麗なノートを書いてた子も、テストでは100/500点だった」
「努力しても身長150cmじゃダンクできないだろ。それと同じ」
と、様々意見が噴出しているようだった。

これらの反対意見に私はいくつか確認したいことがある。
まず1つ目に
・元ポストで「勉強に才能がいらない」なんて言っていない
努力が報われる分野としか言っていない。

2つ目に
・東大に入ることは前提とされてない
このアイドルは結果として東大に合格したが、努力すれば全員東大に入れるなんて言ってない。

3つ目に
・勉強は他の分野に比べて、努力が報われると言っている
だから、スポーツを例に出すのはそもそも論外でお門違いである。

4つ目に
・努力ができる環境とは具体的になんだろう
例えばヤングケアラーで勉学に時間を取れないなら事情はわかる。
反対意見を言っている人の中にもそういった境遇の方はいたのだろう。
ただ、本当に全員努力できない環境だったのだろうか。
そして、努力できる環境とは具体的になんなのだろう。

以上の4点をそれぞれ掘り下げてみる。
1:元ポストで「勉強に才能がいらない」なんて言っていない
私もさすがに勉強に才能は関係ないとは言えない。自分も学生時代、他の子の才能に圧倒されたことはあった。
元ポストでは勉強が唯一努力が報われると言っているが、それを少しマイルドに変換して、「勉強は努力が報われやすい」とすると

結果=A + B*才能 + C*努力量 (A,B,Cは定数、才能は固有の定数)
というふうに立式できる。
そうすると、勉強は他の分野に比べて係数Cの値が大きいというふうに言い換えることができる。
反対意見にもあった「身長150cmではダンクはできない」という例においては係数Bが係数Cに比べてはるかに大きく、努力をいくら積んでもダンクをするという結果には結びつかない。
もう一度言うが、元ポストは勉強における係数Cが他の分野よりも大きいから努力が報われやすいと述べたのだと私は解釈する。

2:東大に入ることは前提とされてない
何故か、反対意見では東大に合格することを前提として話が進められている節がある。東大合格はこのアイドルの努力の結果であって、全員にそれを強制していない。
あなたが生まれ持った才能だけで決まるラインを努力で引き上げることができる。Cランクから1つ上のBランクにあげられる。努力しないからCラインのまま。誰もSSランクの東大を目指せと言っていない。元ある才能のひとつ、ふたつ上を目指せたらそれだけでも変化は生じる。だから、努力をしましょうという話です。

4:努力ができる環境とは具体的になんだろう
塾に通うことだろうか。中高一貫校に通うことだろうか。
このアイドルは確かに中学受験をして、中高一貫校に通っていた。
そして、目標は東京大学に設定した。
では、このとき中高一貫校に通っているというのはアドバンテージなのだろうか。東大合格者の多くは開成高校や灘高校など名だたる中高一貫校出身者が多い。つまりは、中高一貫校に通っていることは東大受験において大きなアドバンテージではない。学校で自分がどれだけ勉強したかが合格するための鍵となる。これを努力と言わずして何を努力と称すのか。
この人が合格した大学が地方国立や中堅私立であったのなら、中高一貫校であることは大きなアドバンテージであるため、環境が良かったと揶揄されてもおかしくはない。そういった前提を理解する必要がある。

努力できる環境がなかったという人は具体的にどういう状況だったのだろう。そして胸を張って、その努力できなかった環境で全力を尽くしたと言えるのだろうか。その環境がどう変化していれば努力できたのだろうか。
とても気になる。


長文となりました。
まとまりのない文章はいつものことですが、今回より一層まとまりがないのは、元ポストを見かけてから他の人の意見を見ていくなかで、どうも納得がいかないポストが散見されたため急遽勢いで書いたからです。
勉強ができる人、できない人の両方がいるのは事実です。勉強できない人の全員が努力を怠ったとも思いません。ただ、勉強ができる人のなかにも血の滲むような努力をしたひとがいる事実もあります。
東大というものがYouTubeやテレビ番組で特集されることで少し身近に感じることが多くなりました。しかし、はっきり言って東大は別次元です。あれを一般人が目指そうなんてまず無理です。だからといって、東大に入れないと幸せに暮らせないというわけではありません。地方国立大であっても、私立大学であっても幸せに暮らすことができます。
学歴がないと不幸が確定しているわけではありません。周りの学歴がある人を羨んだり貶すようなことばかりするのではなく、別の幸せ形を見つけ学歴に囚われなくなることが一番の幸せでしょう。




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