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軋み、伸びて、うみょん

定期的に性格診断を受けている。
自分の変化というのを視覚的に見るのは瞑想や写経をする前にいい。

環境と合わせて自分が変わることをそのまま見てきた。
今3社目にいるのだが、一社目はいわゆるホモソーシャルな面のある会社だった。
本質というのがあるのかないのかもわからないままだが、末端やコミュニケーション方法は確実に違っていた。

出る杭になりすぎないようにそして意見を聞いてもらえるようにそんな自分のコミュニケーションの形。

次はどちらかというと挑戦的であったりとか意見を言うことこそが正義だった。一回一回の落としどころを図りながら、自分の不利にならないようにどうにか最悪の事態を避けてあとはとりあえずやってやってやって。
どちらかというとはねのけるための防御と自分のための攻撃をする。そんな自分のコミュニケーション。

今は自分の意見ではなく、客観性と検討の深さ、思慮深さ。用意されたものの中での志向性が求められる。緻密に積み上げるその段差は均等なのか、適正なのか。
自分の意見というよりかは材料と調理の段階を正確に説明できることに価値を置かれる。そんなコミュニケーション。

3社目に入ってから半年を過ぎて、自分の変化が今ぶれている。性格の過渡期に来ている。
ただの指標として使っている性格診断のなかで
グルーピングとしては同じところにいるものの、やはり細部は分かれている。
自分の手足が変わっていく、この時間。
自分がぶれる。この時間。

必要なこととはいえもぞもぞする。
タヌキでいえば換毛期。
ちゃんとまずは深呼吸しようと思う。

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