タクシードライバーと寄付精神

働くスタンスというのは人それぞれだ。

シンガポールに旅行した時、ウーバーもタクシーも両方使った。ホテルのエントランスにひっきりなしにきているタクシーにのるのも便利だった。値段もそんなに高くない。

ウーバーの運転手は、グーグルマップ通りに運転してくれる。目的地に早く着けるかは、グーグルマップが近道を提案してくれるかどうかが鍵だ。

なぜか私は同じ場所に2回行った。1日目のタクシーは、高級タクシーが普通のタクシーの乗り場に割り込んできて「same! same!」と言っているので乗ったら、相場より高く支払わせられた。面倒なので払う。さらに、目的地以外のところ(遠め)をおすすめしてきて少し疲れる。15分くらいかかった。

次の日は普通のタクシーに乗れた。目的地を告げると、運転手は何も言わずに車を走らせた。前日と半分以下の時間で到着。車を停めて彼は言った「seven」。7ドル払ったら、何も言わずに去っていった。所用時間は7分だった。素晴らしくスムーズな移動で、旅行の満足度が上がった。私はその男をセブンの男と呼んでいる。

タクシー運転手は、ナビを見る人もいれば、何も見ずにひたすら目的地に向かう人もいる。最適なルートで運転してくれる人もいれば、わざと遠回りする人もいる。ようするに個人の裁量で行われている。

満足度と支払い額は比例しない。

面倒なことを省くためにお金を払う場合もある。

スムーズな移動価値を提供してくれたセブンの男には、出来るだけ長く運転手を続けてほしい。

ふと思った。私は寄付の精神が乏しいのではないか。7ドル請求されたとしても、他の人はそれ以上の支払いをしているかもしれない。

もったいない精神は美化されてきた。無駄を省いた節約は良いことだ。自分のための節約精神は持っていると思う。

でも価値にお金を払う精神は乏しく、育てていく必要があると思った。

今日はこんなところに着地しました。

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