いつかのお話
次男と夫と私の三人で、寝る前におしゃべりしていた時のお話。
「ぼく、また何かを育ててみたいんだ」
「そうかそうか、じゃあまたカブトムシを飼おうか?」
夫が聞くと、カブトムシは一度飼ったから違うものがいいと言う。
じゃあ、たとえば?と問うと、「おさかな」との返答。
「お、おさかな?」
「うん、ぼく、おさかな好きだから」
次男は肉より魚派で、お刺身があればひとりで食卓にのったお刺身をぺろり全部たいらげてしまうほどなのだが、ここでの〝おさかな”はきっとアレだと推測した私が助け船を出した。
「メダカかな。いま教室で飼っているんじゃない?」
「えーとね、メダカはね、1組と2組では飼っているのだけど、3組では飼ってないの。ぼく、メダカでもいいけど、ほかのおさかなでもいい」
「メダカかーーー。じゃあさ、鳥はどうだい?お父さん、鳥飼いたいなー」
小鳥好きで、結婚前はずっと小鳥と生活していた夫は鳥LOVEをアピールし始めた。
「お母さん、お母さんは何か飼いたい?」
次男が聞いてきてくれたのだけど、今の私のなかに一番に浮かんできたのは〝生きものは見送らなければならない”という哀しみ。
そして今のぐちゃぐちゃな家の中や、子ども達の事でてんやわんやの私に、新しい家族を迎えることは出来るのだろうかと、即答できずにいた。
すると夫が、
「お母さんは犬が好きだからさ、いつか犬を飼おう。お父さんも犬と暮らしたいなー。犬、犬、犬と暮らしたいなー」
猛烈に犬男と化した。
「もし犬を飼ったらさ、名前を( 次男 )が考えてくれよ。どんな名前にしたい?」
夫の質問に次男からどんな答えが返ってくるのか楽しみで、私も前のめり。
「えっと、お母さんが昔飼っていた犬の名前は何だっけ?」
「ポチだよ」
「ポチは、耳が垂れている犬だったんだよね」
「うんそう。ポチはビーグル犬でお耳は垂れていたよ」
「お父さんが飼っていたのはゴン」
「そうそう、ゴン。よく憶えていたなー」
「お父さん、ゴンの耳は立っていた?」
「ゴンは、ゴンは、耳は立っていたね」
「じゃあさ、いつか犬を飼ったとき、耳が垂れていたらポチツー、耳が立っていたらゴンツー。ポチとゴンはもういるから、今度の犬はツーなの」
次男のナイスアイディアに夫と私は大笑い。
そしていつか犬と暮らすのもいいな、暮らせる日がくるといいな、きっとそういう日がくるだろう、と思うとしあわせな気持ちになって眠りについた。
※見出し画像、ラストの絵は、父が描いたポチです。ポチはうちで子犬を産み、育てました。私が次男と同じくらいの年齢の頃でした。ポチの出産、子育てを見ながら、犬のお母さんはなんてすごいのだろうと思いました。今でもそう思っています。
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