映画『ゴジラ:キング・オブ・モンスターズ』感想
なんという作品が世に出てしまったのか、という驚きがある。
特濃級のマニアが最新の技術と潤沢な資金をつぎ込んで好き放題やったらこんなものが出来あがるのだという実例が示されたのだ。
そして、それは怪獣映画を愛するファンが長年待ち望み、かなわなかった夢でもあった。
マイケル・ドハティ監督・脚本による『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(以下KOM)』である。
本作は2014年『GODZILLA』(通称ギャレゴジ)、2017年『キングコング:髑髏島の巨神』に続く、『モンスターバース・シリーズの三作目。
モンスター・バースとは、ゴジラ、キングコングやそれぞれのシリーズに登場する怪獣たちが同じ世界に存在する映画シリーズで、東宝と提携したレジェンダリー・ピクチャーズが製作し、ワーナー・ブラザースが配給している。
怪獣映画はディザスター(災害)・ムービーに近いともいうが、善も悪もなく、ただただ圧倒的な暴力にブッ飛ばされるという体験には、一種の浄化作用がある。いい汗かいてシャワーを浴びた後のような、心地よい疲労と爽快感が味わえるのだ。
しかし、出来のよくない人間ドラマだったり、怪獣が完全に善玉になっていたり、「所詮は作り物でしょ?」と、ちらりとでも思わせるちゃちさがあると、それらが雑味となって没入感を阻害する。
「ツッコミどころをいったん脇においておく」というのは、訓練されたファンでないと取得が難しい特殊スキルだったりするので、怪獣映画に興味のない人に理解してもらうのに苦労するところだ。
これらの要件を満たす作品は、日本では『シン・ゴジラ』においてようやく実現できたように思う。
言うまでもなく、あの作品のゴジラは震災の象徴であり、いまを生きる日本人にとっては、もっとも起こってほしくない災厄を体現し、それゆえ歴代でもっとも恐ろしいゴジラであった。
かたやKOMもまた、恐るべきディザスター・ムービーだ。
単体でも災害級の怪獣同士がぶつかり合えば、それはもう想像を絶する大災害になるわけで、その足許で木っ端のように翻弄される人間に同化して「ヒャアアアアア!」と叫ぶ。これぞ怪獣プロレス! 災害を超えた災害の醍醐味! ついにかなった俺たちの夢!
今回の主役はゴジラとギドラ(字幕版ではあえて“キング”をつけていなかったハズ。要確認)なのだが、破壊シーンでいえばなんといってもラドンが素晴らしい。
火山の火口からの登場。飛行時に発生する衝撃波により、上空を通過するだけで街が破壊されていく。急速上昇、錐揉み運動に巻き込まれ、次々に撃墜されていく飛行中隊。流石に劇場で騒ぎはしないものの、心の中では「これこれ! うおおお! まだやる!? すげええええ! うひょおおおおお! あっひゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と、語彙を失った(俺が)絶叫マシーンと化していた。
もう、この一連のシーンが観られただけであと十年は戦える。
次作『ゴジラVSコング』の監督はアダム・ウィンガードに決まったそうだが、アイリーン姉妹とモスラの関係や怪獣のDNA等、伏線として拾えそうな要素はたくさんあるので、是非ともドハティ監督には継続してこのシリーズに携わってもらいたいものだ。
★★★★★
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