『バラックシップ流離譚』 蓑皿・4

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 別室で待つように言われてから、かれこれ三十分ほどが経過した。
 僕らのためにと用意された食事は、木の椀に入った、なんだかよくわからない粥のようなものだった。
「なあ……なんか、肉みたいな固形物が混ざってるんだけど、まさかな……」
「大丈夫だと思うけど。ほら、彼女にも同じものが出されてるだろ。まさか共食いさせるなんてことは――」
 どうなんだろう……?
 偏見はよくないけど、なにしろギンメル人はあの見た目だ。
 僕ら人族とは思考様式が根本から違うなんてことは、十分にあり得る気がする。
 そもそも、人族だってしないわけじゃあないしな……
 などと考えていたら、食欲がなくなってきた。
 出されたものは平らげないと、失礼にあたったりするのだろうか。
「それより、悪かったな。任せっきりにしちまって」
「いいさ。人には向き不向きがある。オルムスはいつもどおり、デンと構えててくれればいい」
「そこはかとなく馬鹿にされてるような気もするけど……まあいいや」
 少女は匙が使えないので、オルムスが食べさせてやっている。
 カリュメの知能は犬程度という話だが、オルムスの意図はちゃんとわかるらしく、大人しくお世話されている。
 時折、お礼のつもりなのか、おでこをこすりつけたり、ふんふんと嬉しそうに鼻を鳴らしたりもする。
 多少の違和感はあっても、それらはかなり人がましい仕草であり、単なる家畜と割り切れないオルムスの気持も、まあわからなくもない。
「ストルティもやってみるか?」
 そう言われて、同じように粥をすくって差し出したが、少女は「う~」と唸って口をつけようとしない。
「やっぱり」
「なにがやっぱりなんだ?」
「嫌われてる。こいつ、思ったより賢いな」
 僕の言葉に、オルムスが首をかしげる。
「自分の味方と、そうでない人間とがちゃんとわかってるってこと」
「お前は味方じゃないのか?」
「好きでも嫌いでもない。どうでもいい生き物だと思ってる」
「どうでもって――そんなふうに思ってるのに、なんでこんなことしてんだよ」
「すくなくとも、お前の味方ではあるから、かな」
 オルムスは目を丸くした。
「そんな理由で?」
「悪いか?」
「悪くはない……とは思う……けど、なんでそこまで、っていうか……やっぱりわかんねえよ。そこまで自分の感情抜きに行動できるもんなのか」
「べつに普通だろ。お前はすぐに感情的になるタチだから、わからないかもしれないけど」
「やっぱり馬鹿にしてないか?」
「ちがうよ。羨ましいんだ。お前の見ている世界はシンプルで、それはきっと、綺麗なんだろうなって」
 オルムスがぽかんとする。
 べつに構わない。
 僕にとって、オルムスがわからないことだらけなように、オルムスにとっての僕も、そうというだけの話だ。
 そういうものだし、それでいい。
 わかってもらおうと思って言ったわけではない。
「お待たせしました」
 タイラさんが現れた。
「女王はなんと?」
「はい。許可してもよいそうです」
「おお」
「でもその前に、カリュメの暮らしを見て欲しいそうです。あなた方が彼らを酷く扱っていると思っているなら、その誤解を解きたいと」

 タイラさん自身も入るのは初めてだというカリュメの飼育舎は、ギンメル人の住居とは明らかに作りがちがっていた。
 壁こそ他の建物と同じ土製だが、屋根は藁ぶきで、入口や窓には木の戸板が使われている。言ってしまえば、人族の家に近い。
 窓も扉もぴったり閉まるようにできているのは、外部から隠すためだろう。
 見張りにとついてきた女王の側近を入口に残し、僕らは飼育舎に入った。
 屋根に明り取りの窓もあるため、中はかなり明るかった。
 思ったほど匂わないし、換気も行き届いているのだろう。
「思ったよりきれいですね」
「あなた方に見せるために、慌てて掃除したわけではありませんよ」
 タイラさんも驚いているのか、ちょっぴり声が上擦っていた。
 物音に反応して、奥のほうから数人のカリュメが近づいてきた。
 初めて見る僕らに対し、警戒心よりも好奇心が勝るのか、目をいっぱいに見ひらいてようすをうかがっている。
 オルムスの背後に隠れていた少女も、嬉しそうな顔をしてとびだしてゆき、柵を挟んで彼らと対面した。
 隙間から手を差し入れてふれあい、明らかに親愛の情のこもった声を交わす。
 人間の定義に当てはめるなら、再会を喜び合っているといったところだろうか。 
「すこし安心しました」
 タイラさんは、口許にほんのり笑みをのぼらせていた。
「どうやら本当に、カリュメは大切に扱われているようですね」
「で、でも、着てるもんはみんなボロっちいぞ」
 オルムスが不満げに言う。
「それは、ギンメル人に服飾の文化がないからでしょう。ほら、女王からして衣服はおろか、装飾品すら身に着けていなかったでしょう?」
「これでわかったよな、オルムス。彼女はべつに、不幸だったわけじゃあない」
「これを見ても、彼女を仲間から引き離そうという考えは変わりませんか?」
「でも食われるんだぞ。そうと知っちまった以上、放ってはおけない。俺のところに来たのは、運命だったと思う」
「頑固だな。ま、いいけど」
 僕の提案は、いたってシンプルなものだった。
 少女を買い取るという点では最初の提案と同じだが、隠すのではなく、人間として暮らさせる。
 そして、周囲には頃合いを見て真実を伝える。
 他種族の目から完全に隠しおおせるのが無理なら、徐々に慣らしていけばいいという理屈だ。
 もちろんタイラさんとしては、なんの保証もなく提案を受け容れることはできない。
 そこで、僕の身柄をトブラック・カンパニー預かりとし、僕自身の責任でもって、少女を管理する。
 いわば、人質のようなものだ。
 今後、僕にはトブラック――直接にはタイラさんへの報告義務が生じ、トラブルが起きた際には相応の処分が課されることとなる。
 そこまで話が及んだときの、オルムスの顔は見ものだった。
 自分のしでかしたことで、友人の僕が泥をかぶるかたちになったのだから。
 まったく、覚悟も考えも足りていない。
 笑うしかないとはこのことだ。
「本当にいいんですか? 他人事みたいに仰ってますけど」
「構いません」
「ストルティ、お前……」
 煮えきらない表情で見つめてくる親友に、僕は挑発するような笑みを向けた。
「肚をくくれ。これがお前の望んだことだ、オルムス」

 カリュメの少女を買い取ってから、ひと月が過ぎた。
 もともと口止め料も込みだったので、礼金はいくらか手許に残った。
 その金で、僕らはすこしだけマシな家に引っ越した。
 以前に比べ、隣人が程よく他者に無関心なのがいい。
 少女のことも、すこし鈍い人族だと思われている。
「では、問題ありませんね」
「はい。オルムスはうまくやっています」
 僕は見習いという扱いでタイラさんの下働きをしていた。
 やることは主に雑用だが、たまに密偵のようなこともさせられる。
 タイラさんが言うには、貴方はどこにでもいるような顔だちなので向いている、とのことだった。
 基本的に、少女の世話はオルムスに任せ、僕は仕事場と家を往復する日々を送っている。
「百年前の騒動ですが、当初はあれほどこじれるとは、誰も考えていなかったようなのです」
 経過報告は密におこなう関係で、タイラさんとは必然的によく話をする。
 この日も昼食を摂りながら、いつもと変わらぬようすで向こうから話を振ってきた。
「簡単に片がつくと思われてたってことですか?」
「ええ。家畜が特定の種族に似ているなんていう話は、ありふれていますから。ところが、いざ話し合いが始まると、ほとんどの亜人種がギンメル人の食文化に嫌悪感を示しました」
「亜人種といえど、半分は人ですからね」
「それは一般に言われている解釈ですね。私は、すこしちがうのではないかと考えています」
「というと?」
「どの種族も、自分たちが考える以上に“我々は獣ではなく人である”と思っていた。それが、カリュメの脱走という事件によって顕在化したのではないかと」
「面白いとは思いますが……」
「まあ、これは日常的にギンメル人と過ごしている私が、なんとなく思いついたというだけの話ですが。もし興味があるなら、かの〈記録魔《ザ・リコーダー》〉が持つ魔書あたりには、詳しい経緯が記されているかも知れませんね」
 雑談をするときはいつもそうなのだが、タイラさんの笑顔には一部の隙もない。
 なにか意図があってその話をしたのか、あるいは本当にただ雑談がしたかったのか。
 それがさっぱりわからない。
 割と腹芸には自信があったつもりの僕としては、上には上がいると感じるところしきりである。
〈派遣社員〉というやつは、皆こうなのだろうか?
「そんなに警戒しないでください」
 タイラさんが表情を緩め、見透かされていた僕は頬が熱くなるのを感じた。
「あ、いえ。警戒は解かなくてもいいのかもしれませんね。私たちの恐ろしさを含め、学ぶつもりで貴方はここにいるのですから」
「……やっぱり怖いですね。とっくにお見通しでしたか」
「あえて意図を読ませた上で、私に面白い人間だと思わせる――あの一連の交渉すべてが売り込みだと気づけば、当然そこに帰結します」
「困ったな。これからは、なにもかも腹を割って話したほうがいいですかね?」
「やめておきましょう。それでは愉しくありませんから。お互いに」
 またしても、あの左右対称の完璧な笑み。
 本当にこの人は……
「でも、タイラさんの眼鏡にかなってよかったですよ」
「知識、弁舌、柔軟な思考――いろいろありますが、私がもっとも評価した点は合理性です。ストルティさん、貴方はそもそもの最初から、カリュメに同情などしていなかった。亜人種でさえ嫌悪した、人そっくりの生き物を食用とする行為を完全に受け容れていた。これは、とても稀有なことです」
「あいつは、昔から気に食わないみたいですけどね。僕のそういうところが」
「さっきはああ言いましたけど、いまだけはそれを撤回します。貴方は、オルムスさんの選択を本当はどう思っていたんですか?」
「決まっています。愚行ですよ」
「ほう」
 タイラさんが、身を乗り出すようにして左右の指を組んだ。
「浅慮で短絡的で感情任せ。あいつはいつもそうです」
「辛辣ですね。でも、それならなぜ彼の望みをかなえようとするんです?」
「だからですよ」
 タイラさんの目に、初めて困惑の色が浮かんだ。
「そういう安っぽくて浅はかな行為は、その場その場の正直な気持ちではあったとしても、本気とはほど遠い。だから僕も協力できるんです」

 もし、本気だったなら。
 きっと僕は――

 胸の奥で燻るものがある。
 その正体を、その名前を、僕は知っている。
 知っているから、決して口にすることはない。
 タイラさんは、果たして納得したのかそうでないのか。
 元の通りの笑顔にもどっていた。

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