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ある育児休暇の一日 ~抑うつ状態から脱するために~

育児休暇に至るまで

去年の暮れに子ども(第一子)が生まれ、幸いにして、二ヶ月間の育児休暇を取ることができた。休暇の名目は「育児のため」だが、本当は違う。転職後のストレスが溜まりに溜まって抑うつ状態になり、うつ病がいよいよ見えてきたか、という状況だったので、仕事からしばらく距離を取ることにしたのだ。

子どもの生まれたときが、一番憂鬱だったと思う。出産に立ち会ったあとの日記を抜粋しよう。

産後、テレビ局の取材が入った。パパからお子さんへのメッセージはなにかと聞かれて、何を言おうかと考えて、一緒に楽しい人生を歩もうと言ったけれども。なんだか悲しい響きのする言葉だ。
この世には苦しいことがたくさんあるし、生きることすら苦しいことがあるのだ。無知や無理解に孤独を感じながら、それでも自分の世界を信じて生き続けた。幸いにして、妻に出会ったので、自分の孤独はずっとやわらいだ。もし、息子が自分の性格に似てしまったら、その運命の過酷さをしょいこんでしまうのだ。

息子はすべてを理解しているような気がする。無垢で、透明な目で見つめてくる。人はそれを純粋というけれども、純粋な心ほどすべてを見透かしている。本来、人はそのような能力を持っているはずだ。膨大な情報を無意識に取り込んで、これまで何が起きていて、これから何が起きるのかを、知っている。それは予知ではなく、そのときになって知っていたことを思い出すのだ。その力は成長するに連れて、徐々に弱くなる。経験を参照すれば事足りるからだ。

自分ができるのは、ただ息子が、のびのびと、ありのままに生きられるように、その環境と愛を与えることにほかならない。

日記より

相当病んでいる。このときは、どれだけ寝ても頭がぼんやりして、生活の楽しさも見いだせず、ただ霧の中を生きていた。

しかしその後、妻と一緒に子どもの面倒を見るようになって、徐々に頭のもやは晴れてきた。さらに育児休暇を取って仕事と離れてから、急速に心の調子が良くなってきた。

カウンセラーにこのことを話したところ、子育てが作業療法の役目を果たしているのではないかと指摘を受けた。たしかに子育ては、子どもを見つめ、手を動かし、それを毎日繰り返すのだ。憂鬱になった原因の一つは、頭の中の概念をひたすらこねくり回したためだ。現実離れした妄想を脳内で展開し、負のループに陥っていた。しかし今はそんな暇は一切ない。今この瞬間に起きている事象を今解決することが重要なのだ。まさかそれがここまで救いになるとは思わなかった。

MBTI的に解釈するなら、強いストレスがかかったINFJは、その劣等機能である外向的感覚を刺激するとよいとされるが、手を動かす子育てがそれにあたるわけだ。

新生児の子育ては、まさに「げんこつ山のたぬきさん」である。授乳して寝かせてだっこしてオムツを交換して一日が終わる。だが退屈ではない。人の顔を目で追うようになったとか、笑顔が出てきたとか、日々の小さな成長はそれはそれでもちろん嬉しいのだが、日々の単調さもまた、大きな嬉しさである。

ここからは、私が何度もループしている子育ての一日を紹介する。特に意味もないし、読む人たちの役には立つとは思えないが、なんとなく面白がっていただければ幸いである。


生活 第一部(朝~昼)

家事が多く、忙しい時間帯である。ルーチンワークなので、何週間かこなしているうちに慣れてきた。

午前7時 ベッドから起きる。寝室からリビングに移動する。エアコンを付けて、リビングの空気を温めておく。カーテンを開けて観葉植物に水をあげる。ゴミ出しする。おおむねオムツのゴミは袋3枚ほど使う。朝ごはんを適当に準備して食べる。
午前8時 身支度を整える。前日の洗い物があれば済ませておく。洗濯機を動かす。子どもをリビングへ移動させる。このあたりで妻が起きてくる。泣いたら授乳。たいてい、この授乳後にオムツから溢れんばかりの便をする。朝の最初の勝負だ。授乳後は腸がよく動くらしい。ときどきオムツ交換に失敗してタオルにちょっとシミが付くことがある。
午前9時 妻と一緒に、子どもの沐浴をする。パジャマを脱がせると、大体激昂する。寒いためか、肌がくすぐったいためだろうか。沐浴で入念に洗うべきは、首周り、脇、内股だ。ここは肉と肉の間に埋まっており、垢が溜まりやすい。溜まるとキツイ匂いがする。本人の名誉のため、それが何の匂いに似ているかは黙っておこう。また沐浴は、鼻の奥に詰まった花くそを取り出すチャンスだ。顔にお湯をかけると、どういうわけか花くそが勝手に出てくる。鼻から出てくるときもあれば、一旦引っ込んで口から吐き出されるときもある。ところで、なぜ花くそにここまで熱を込めるかといえば、私が下品な話が好きだからではない。花くそを放置すると鼻呼吸がしにくくなり、夜中に目を覚ましやすくなってしまうからだ。重要な問題であることをご理解いただきたい。沐浴が終わり、体を拭いて、肌着を着せるときはとてもおとなしい。
午前10時 洗濯物を干す。ベビー服は風で吹き飛んでしまいそうなので、いつも室内干ししている。
午前11時 子どもは寝る。親はぐったりする。このあたりの子どもの顔は朝のむくみがとれて、非常にかわいらしい。写りが良いのでマイナンバーカードの顔写真に使った。

生活 第二部(昼~夜)

子どもと触れ合うことのできる、ある意味、一番おいしい時間帯である。子育てに白と黒をつけるなら、第二部は白であろう。

午後0時 夫婦でお昼をいただく。
午後1時 ここから午後4時くらいまでは、情緒が安定している。買い物や外へのお出かけに連れていくチャンスである。とはいえ、あまり遠出はできない。一時間以内に戻ってこれる距離が今のところの限界。
午後2時 絵本の読み聞かせや、音楽を聞かせる。文字も言葉も理解できないが、絵本のイラストには少しずつ反応を見せ始めている。キャッキャした笑顔を見ることができるのはこのタイミングだけである。集中力は最長2分しか持たない。この2分でどこまでテンションを上げられるかに我々は試されている。音楽は、子供向けの音楽など聞かせない。個人的な趣味の沖縄民謡を無慈悲に浴びせている。八重山民謡も含め、様々に聞かせたが、一番反応が良かったのは、喜納昌吉の『ハイサイおじさん』(1969年、マルフクレコード)である。やはり赤さんでも、良い曲は良いとわかるようだ。

午後3時 5時までお昼寝。最近になってわかってきたのは、この時間帯でちゃんとお昼寝しておかないと夜泣きがひどくなる傾向がある。勝手な想像だが、外界から見て・聞いて・触って情報を取り込むことは、私達大人にとっては造作でもない一方、子どもにとっては莫大な情報が脳にダイレクトに飛び込んでくるわけで、その負担は想像を絶するはずだ。睡眠することで取り込んだ情報を整理し、負担を軽減しているのだろう。もしお昼寝をしなかったら、その負担は後の時間にシフトされ、夜泣きで大爆発すると、そう考えている。
子どもが寝ている間、親は寝るか、あるいは個人的にやりたいことがあれば、この時間に済ませておく。数少ない自由時間である。私は何をしているかといえば、積読に積読を重ね、1メートル以上積まれた本を少しずつ消化している。ちょうど今読んでいるのは、『私たちはどう学んでいるのか: 創発から見る認知の変化』(鈴木宏昭)。子どもの発達を理解する上で何か役に立つかもと思って読み始めた。

生活 第三部(夜~翌朝)

第二部は「白」の子育てであった。第三部は「黒」である。

午後5時 妻が夕食の準備しているころ、なぜか子どもがぐずり始める。頑張ってあやして、3分もすればまた泣いてしまう。子どもが泣くパターンとして、お腹が空いた、オムツを替えてほしい、眠い、かまってほしい、などがあるが、そのどれでもないように思う。泣き止む方法は唯一つあって、縦に抱っこして家の中を散歩することだ。しかし私の上半身に負担がかかるのであまり長い時間できないのが残念だ。
午後6時 夕食中もぐずり続ける。妻と5分おきに交代で面倒を見ながら食事を続ける。ご飯は冷めるし、麺類も伸びるのだが、仕方がない。この習慣のせいか、妻はだいぶ食べるのが速くなったように思う。
午後7時 お風呂に湯をはり、入浴する。その間に、妻が子どもをパジャマに着替えさせる。風呂場まで泣き声が聞こえてくる。
午後8時 妻が入浴する。試練の始まりだ。この時間は、泣くというより、激昂だ。縦に抱っこしておとなしくさせても、横にした瞬間に激昂する。一体何にそんなに怒ることがあるのかと不思議でならないが、生まれたときからずっとこんな感じなので、摂理のようなものと諦めている。目を慣れさせておくため、リビングの明かりを徐々に暗くしておく。
午後9時 あらかじめ温めておいた寝室で、試しに子どもを寝かせてみる。うまくいったか?と思ってベッドを覗いてみると、子どもが鼻息荒く、無言で腕を振り回しながら天井を見つめていたときの絶望感ったらない。
午後10時 だいたいこの時間には寝る。どうせ起きるんだけどね。
午前0時 オムツを替えよ!授乳をせよ!の号令が掛かり、飛び起きる。
午前2時 オムツを替えよ!授乳をせよ!の号令が掛かり、飛び起きる。なぜか泣き止まないのでリビングに避難させて縦抱っこであやす。背中痛い。
午前4時 オムツを替えよ!授乳をせよ!の号令が掛かり、飛び起きる。授乳中に下の方からデュルルル…という音がする。もう一度オムツを替える。腰が痛い。この時間帯が一番つらい。
午前6時 オムツを替えよ!授乳をせよ!の号令が掛かり、飛び起きる。なぜか泣き止まない。追加で号令が掛かる。「寂しいから構え!」
外を見ると空が白み始めている。そして一日が終わる。


以上である。

これが、他の人の参考になると想定していない。子どもや家庭によって状況は異なるし、そもそも育児休暇を取りにくかったり、制度すら整っていない会社も多い。私も一年前はとても想像がつかなかった。もし2ヶ月も仕事を抜けたら資金がショートして会社が潰れていただろう。だから環境に非常に恵まれていることを肝に銘じたい。

しかしながら、育児がこれほど私に歓びを与えてくれるとは思わなかった。もし、育児休暇を取るべきか悩んでいる男性がいるとしたら、ぜひ取っていただきたい。そしてより明るい社会の実現に向け、共に頑張って欲しい。(話が突然飛んだ)

ここまで読んでくださった方に感謝申し上げたい。

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