なぜそうなっているのか、なぜそうなったのか、気になってしかたがない。
届いた。SUZURIはよく利用するが、高い割には色ムラなど品質はあまりよくない。まあでも、自分たちでデザインした感があってそれはそれでいいとは思っているが。
「FRIENZOO」~マグカップとステッカー届きました!~
http://www.materialize.jp/art/internship/9444/
これをつくったとき、特に誰かに迷惑を掛けるわけでもないので、デザインは完全にインターン生に任せていたのだが、インターン生が出してきたものがあまりにひどかった為、流石に注意をしてしまった。
学校(義務教育)の授業で、「美術」はすごく好きだった。図画工作。特別、絵がうまいわけでも好きなわけでもないのだが、美術の教師らの言うことが、面白かった。
例えば、影。光。
影がどこに向かって伸びているか、光はどこから来ているか、絵にした途端にめちゃくちゃになる。そんなわけないと教師は言う。
何年も生きてきて、影も光も、何年もその目で見続けている、絶対に。だから、描けないことを、「分からない」と答えるのはおかしい。
見たままを表現する画力が足りないのであって、影も光も分からないから描けないなんて絶対に言うな、今、自分ができないことの本質を見極めろ、というのが二十年以上も経った今でも、忘れずに覚えている。
卒業してからの先も、美術やイラスト、デザインに関係している人とはなんでかよく気が合った。みんな、表現するために、やはり色々な視点で物事を捉えていて、何が問題か、何を示さないといけないのか、その試行錯誤が生き様、人柄に表れていて、みんな面白かった。
日本人は特に、昔から侘び寂びに興じてきたので、繊細に物事を捉える感覚が優れているという話をしてみたり、日本人に限らず、なんでもそうだが、多角的に捉えようとしている人というのは、とても面白い。
でもそれは学生時代は「変わっている」という理由で好かれるか嫌われるかするので、みんな一様に学生時代は自分も含め呪っているようだった。社会に出てからが初めて楽しいと思えた、と。
脱線してしまったが、動物を重ねて遠近を表現しているのに、手前と比べて奥にあるイラストのほうがやたら大きかったり、ナナメの視点で頭頂部が見えているイラストを描いているのに、その隣に存在するイラストは真正面しか見えていなかったり、と、明らかに自然界に存在しない空間になってしまっているのに、それを注意してもまったく違和感を覚えない、と。
これは訓練がいるのだろうか?
数学、算数の空間図形の問題で、それがまったく立体に見えないという奴らはわりと多かった。こういうことなのだろうか?
絵になった途端に、それを空間として認識できなくなってしまう。
こういうのを感じない人は、日常でも、さほど違和感を覚えずに生活しているらしい。それは本能的な危機管理能力がなくて、とても危険な気がするのだが。
うちの職場は、毎日、同じ人が同じ席に座っている。なので、脳としては、毎日、同じ風景を見ているので、一部、変わっていると、途端に違和感を覚える。自分だけ?
例えば、指輪をしている、していない、とか、指輪の位置が変わっている、とか、たったこれだけの変化でも、ものすごく違和感を覚えてしまう。髪型、分け目がすこしずれたとか。
これはなにか、別の機能なのだろうか。ずっとずっと、美術の教師のひとことが、頭から離れない。それのせいだろうか。
なぜそうなっているのか、なぜそうなったのか、気になってしかたがない。
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