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玄宗と楊貴妃のロマンスの地 — 華清池



伝説の温泉地

火山帯に属する日本には温泉地が多いけど、広大な中国には火山帯に限らず地殻運動や断層活動などの様々な地質条件によってできた温泉が数多く存在します。
中でも西安市から北30キロにある華清池は、唐の玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスの地として有名な温泉地。
唐の時代以前にも、西周、秦、漢、隋の時代に離宮が置かれ、古来より数々の王侯貴族が訪れたリゾート地であり、歴史の舞台です。

2003年華清池

現在の華清池

私たちが訪れた2003年9月15日。華清池は、思いのほか何もない場所でした。鯉をぼんやり眺めて、「どうする?温泉入ってみる?」「いや、ちょっと怖いかもね」なんて話しながら散策。周囲の新しい建物を見て、本当に2500年の歴史があるのか疑ってしまうほど。多くの歴史的遺物は失われ、後に再建されたものが多いとのことでした。

餌もあげてないのに人影に近づく鯉たち

それでも驚くほど多くの観光客が訪れていて、何でもないような壁画の前で記念写真を撮る人々の姿が目立ちました。
「みんな、玄宗と楊貴妃の物語が本当に好きなんだなあ…」
華清池は白楽天の長恨歌の中に登場する楊貴妃の入浴シーンで有名です。

楊貴妃の壁画の前で写真を撮る人がたくさん

愛と悲劇の史実

玄宗皇帝と楊貴妃の物語である長恨歌は、愛と悲劇のラブストーリー。
玄宗は楊貴妃にのめり込み、政治に専念できなくなってしまいます。結果、周囲の反感を買って安史の乱(755年 - 763年)が起こり、唐王朝は滅亡の危機に陥ります。兵士たちの士気を取り戻すため、玄宗はやむを得ず楊貴妃を処刑します。

史実をもとに創作された長恨歌

楊貴妃の死後50年、詩人白楽天(白居易)は彼女と玄宗の物語を「長恨歌」として詩にしました。

「長恨歌」とは、直訳すると「長い恨みの歌」という意味です。
なるほど、これはきっと、皇帝がしっかりしていないせいで殺されることになった楊貴妃の恨みだな…こわいこわい、と思ったら違うんですね。

主人公は楊貴妃ではなく皇帝で、玄宗皇帝の視点での悲しみと、その永遠の愛の象徴としての恨みが込められています。

え!自分で処刑を命じておきながら…?

皇帝の権力や女性の立場など、9世紀の時代背景を考慮しないと、とんでもなく自分勝手なメロドラマのように感じてしまいますが、当時長恨歌の人気はすさまじいもので、あっという間に日本にも伝わってきました。壮大で悲劇的なラブストーリーは平安貴族たちの心をがっちり掴み、後に発表された源氏物語にも長恨歌から影響を受けたとされる表現が多々見受けられます。

ちなみに、恨みという感情は、日本語では否定的で敵意を含むネガティブな言葉だけど、中国語ではちょっと多様で、愛情の深さや後悔、嘆きのニュアンスをも表現する言葉であり、そこが日本とちょっと違うところ。

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