#2 「考えすぎ」と言われて
「考えすぎだよ」「心配しすぎだよ」
なんどもそういわれた。
わかってる。でも思考はブレーキのない車輪のように回り続ける。
不眠症のときもこうだった。
眠ろうと思えば思うほど、眠れなくなった。
考えることをやめようとすればするほど、考えた。
やめようとするほど、やってしまう。
やめることも、やりつづけることも無理なら、その他に策はあるのか?
「~しすぎ」は、それとなくその行為自体を悪とほのめかしている。
考えること自体はわるくない。その生まれたその思考は置き場所を求めてるから生じたのではないだろうか?
たまに、人生は不思議で、欲することをやめてた後に、それがやってくることがある。
お金はいい例だと思う。そんなになくていいと思いながら生きていると、お金がない前提で生活するようになり、逆にお金がたまった。
恋愛をあきらめて、ほかのことに集中していたら、その姿に人が感化される人がいたり。
考えすぎることは、深く思考できるという強みともいえる。
究極的には、思考力は人がもつ一つの特性であり、善も悪もない。
ちなみに、深い思考力を生かしながら、生産的になることもできる。
というのが、今回の執筆の動機となった。
とりあえず、不完全でもやってみて、悩みながら、でもやってみている。
自分の存在が意味をもつことを信じて。
以前、一人の友人は悩む私にこう言った。
”It’s blessing and a curse."
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