魔法の世紀2〜バッハの読書〜

さてさて、機能に引き続いて、落合先生の著作、魔法の世紀の僕なりの解釈を語っていきます。

前回キネトスコープとシネマトグラフの話をいたしました。エジソンは大発明家ですが、失敗も多く、エネルギー供給システムとして交流電流を主張するテスラに直流電流を主張したエジソンは負けています。だからこそ今我々の横のコンセントは交流なのですが、このキネトスコープに関しても、一人しか覗けず、大人数で一つのスクリーンを共有できるシネマトグラフのほうが普及していきました。

ですが、ここで大事なことがあります。確かに普及したのはリュミエール兄弟によるシネマトグラフでした。しかし、エジソンは負けたのでしょうか。
もっと込み入った話をすれば、エジソンの発明は時代遅れだったのでしょうか。

答えは逆です。
エジソンの発明は、先を行き過ぎていたのです。これぞまさにエジソンの発明は100年先を行っていると語られる所以。しかし、どういう意味で先を行き過ぎているんでしょう。

これこそまさに映像の世紀の終焉と魔法の世紀の到来なわけです!

アイバンサザランド博士という人物がいます。最高のディスプレイは空間そのものだと言う格言や、HMD(VRゴーグルの先駆け)を発明した人として有名ですが、エジソンよろしく彼も時代の先を行き過ぎていました。

そう、彼らが追求していたのは、個人の周りにデバイスがいくつも点在しており、かつそれが意識されない(落合先生の言葉で、非メディアコンシャス)世界における機器だったわけです。

つまりは今の時代にぴったりな機器。ツイッターのタイムラインは各々違うように、みんながそれぞれ違う虚構を生きている。N対Nとでも言うべき人同士のつながり。大きな物語を失ったポストモダンにこそ意味をなすメディアこそ、キネトスコープだったわけです!

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