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みりんが頭から降り注いだ話

これは、私が小学5年生の頃の話だ。

私の父は食にうるさいところがあった。大雑把に言うと酒飲み特有の面倒臭いあれである。

酒飲みというのはいかに酒を旨く飲むかという事に生き甲斐を感じており、つまみに対してやたら小煩い。口に入れる物に対するこだわりが強いのだ。
しかも、その日飲む酒や体調や気分にぴったり合うつまみを求めているので、昨日は「魚は焦げ目が美味い」とか言ってたくせに今日になると「魚が焦げると雑味が増す」とか平気で言い出す非常に面倒な人種だ。
父も例に倣って母の作る料理にあれこれと口出すもので、そこから夫婦喧嘩に発展することがよくあった。

ある日の夕飯時、母はせっせとカレーだか焼きソバだかをつくっていた。そこへ酔っ払った父が出向いては、「こんな料理誰が喜ぶんだ」とか「大皿にドサっと盛り付けられた料理は『食うな』と言われてる気分になる」だとか嫌味ったらしいことを言っていた。ダルさの極みのような絡みである。

ただ、この日はどういう風の吹き回しか、普段は料理をしない父が「俺が天ぷらをつくる」などと言い出したのだ。私は居間でテレビを見ながらその会話を聞いていた。本当は父が何をつくろうがどうでもよかったのだが、ここで一つ盛り立ててやれば気を良くして夫婦喧嘩の騒ぎに至らないのではと思い「天ぷらのつくり方おしえてー」とバカのように純粋な振りをして父の料理を見に行った。

父は得意気な様子で台所に立ち、「まずは油を温める!」とか言ってフライパンにみりんを大量に注ぎ入れ、それを熱し始めた。一手目からまさかの最悪手を放っているのだが、その過ちに誰も気付いていなかった。

みりんを熱し続ける間、天ぷらの衣を作ることになった。父が毅然とした態度で衣作りに関する講釈を垂れ始めた次の瞬間、みりんが爆発した。

まるでいつか教科書か何かで見た原子爆弾爆発の瞬間のようであった。フライパンで熱せられていたみりんが突然に膨らみ、弾け飛んだ。それが高熱の雨となり我が家の台所に降り注ぐ。
「きゃあ!」「うわ!」「ぐわぁー!」みりんを頭から浴びながら私たちはそれぞれに叫び声を上げた。親子三人が頭を抱えて右往左往する様子を傍から見ればさぞ愉快だったろうが、熱いは、べたつくは、汚れるはで最悪の状況である。みりんは水のようにさらっとしていないのがまた厄介で、肌にこびり付いてしつこく熱かった。

「てめぇ!この野郎!こんな所にみりん何か置きやがって!」

父はそう言い放ち台所から立ち去った。ちなみにこの捨て台詞、油の隣にみりんを保管していた母が悪いという論法なのだが、賛同者はなかった。

みりんは床やテーブル、冷蔵庫の上の方にまで飛び散っていた。私と母は何故父の気まぐれを止めなかったのか後悔しながら、台所中を雑巾で拭いて回った。

私はこの日、重要な教訓を得た。

それは、みりんを熱すると爆発するという事ではない。「酔っ払いに料理をさせてはいけない」ということだ。

現に私も酔っ払って、「手の平の上で野菜を切る!」とか言って流血したり、「原始人の焼き方!」とか言って生焼けの肉を食い腹を壊したり、「塊の肉は勢いで焼く!」とか言って鉄板に肉を放り込み油がこぼれて足に火傷を負ったりしている。
教訓が活かされていないのは、父譲りの酒飲みの血が騒ぐからだ、というのは言い訳だが、酒を飲みながらする料理が非常に楽しいのも分かる。(それとこれとは話が全く別だが)むしろ居酒屋はマスターが酒飲みながらやってる所の方が好きだ。
しかしながら、泥酔しながらの料理は危険だという意識は常に持っておかねばならない。もし私が酔っ払い朦朧としながら刃物や炎を扱う行為に及んでいた際には全力で止めて欲しい。愛する家族や友人を守るためにも酔っ払いに料理をさせてはいけない。みりんが頭から降り注いで来てからでは遅いのだ。

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