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定型発達の上司の一言

上司にASDの診断書を渡したときの話

検査の内容と検査結果の見方を一通り聞いた上司から出た一言 

それは病院の先生が言うように治したほうがいいんじゃない? 


心がずきずきした
そしてその瞬間にこの人にもう何を言っても無駄だと自分の中で割り切ることができた 

私が病院の先生から勧められたのはカウンセリングであって
病院の先生も治すと言うわけではなくて
社会的な通例を覚えていく時間であると説明してくれた

上司の治すと言う発言は

まるで私の1部分が壊れていると言っているのと同じで
私の発達障害が良いか悪いかの悪いという判断そのものだった 


定型発達の人にはわからないものなんだとは思っていたけれど 
どうして

補う

とか

協力する

とかそういった言葉がこの人からは出てこないんだろう 

障害は治せる病気ではなくて
その人の生まれつき人とは少し違う欠けた部分があるということなのに 

それをわかっていて私たち当事者は何とかして一般社会に馴染むために
何倍もの努力をしているはずなのに

その人にはそういった苦しいと言う感情や
何とか生きてやろうと言う私の熱意が通じなかったみたいで

二言目に出てきたのはこの診断結果を見て

自分なりにどう思ったのか



と言う質問だった

どう思った? 
それは嬉しいとか悲しいと言う答えが欲しいと言う事? 
それを知りたい理由が全くわからなかった。 

わからなかったと言うより呆れてしまった 

この人は私が発達障害であるかどうかと言う結果よりも

私がその結果を知った上でこの仕事を続けられるかどうか

ということが気になるのだと悟った 

もちろん上司であるからには仕事と人間関係を割り切る必要もあると思う  

でもこの場面は営業と同じで
目先の利益だけを見て
商品を売ることで人に与える利益を煩雑に扱ってしまっているのと同じ 

でもこの人にはこの考え方しかないのだから
この価値観しかないのだからと自分の中で結論をつけた
もうこの人と価値観の話をするのはやめようと自分の中で決断した 

私よりも先を生きている人でも
やはり自分で何を学ぼうとしているか次第で
人間としての深みが変わってくるんだろうなと痛感した出来事だった 




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