虐待と非行

虐待と非行は絶対に強く繋がりがある。
程度の立証はもはやできないが、私も身体中を家にある棒で殴られて育ったクチだ。

日常的な体罰はしつけにも何にもならない。
大人が子供を気に入らなかった時に鬱憤を晴らすだけの行為だ。
アル中の母を持つことや、酒におぼれて暴れたり、ギャンブルやソシャゲにハマって生活費など用意しない父親など、機能不全家庭の要因は大人が簡単にハマる落とし穴や、自身の精神疾患で子供に適切な対応が取れないまま体だけ大人になったパターンなど様々だ。

こういう記事がYahooニュースで出てくるのは社会的に意味のあることだよね。

虐待は本当に立証というか助けを求めるのが難しい。
(そもそも苦しんでいるとか、助けを求めていい状況だということも真っ只中の当事者である子供は分かっていなかったりする)

社会がそういう話をするのもタブーな空気なのは絶対ダメ。
なのでこういう事柄はこれからもちゃんと報じてほしい。

ちなみに虐待の恐ろしさのひとつに、児童虐待の映画やアニメが見られないというのがある。
私はいまだに見られない。思い出してしまうというか。
大なり小なり自分が虐待受けていたこともあり、児童虐待のニュースや記事に関心があり、苦しむ子供たちがなんとか救われて欲しいと心から願うのだが、子供からの発信の難しさを知る身としてはどうやって助けたらいいのかも分からない虚しさに駆られる。

Yahooのコメントでもあるが、こういった類のカウンセラーの普及、通報の増加など、少年院にまで行かなかったとしても苦しんでいる子たちのSOSが届く場所などが増えればいいのにと思う。
私がSOSを出せたのは保健室だった。

私は発達障害があるので、両親にとって育てやすい子供でなかったことは確かだが、そもそも父も母も人とうまくやれない同士がくっついたので、父の歯は真っ黒だったし、母は私が小4で自殺未遂した時にも味方になってくれなかった。
私はもう小学生の頃には『世界が早く終わってほしい』と思ってた。多分それは子供の言葉での『死にたい』だったんだろうなと今になって思う。何もかもがどうでも良かった。後ろ向きにならざるを得ない環境だった。

はたして、それって、どうしたらいいんだろう?
どうしたらよかったんだらう。
今でも分からない。
必死にゲームや友達との遊びに逃げた。楽しく遊んだ後、必ず暗くて重い空気の場所に帰ることになった。
それが内心かなり嫌だったが、うちはもう明るくて楽しくて自分を受け止めてくれる場所ではなかったので、残念ながらもそれが普通になっていた。
それが機能不全家庭。
だからこそ、子供本人も、この苦しさを誰に、なんて、言えばいいか、そもそもこんな話聞いてもらえるのか、そう思っていた。

そんな時、助けを求められるどこかが、令和の世の中にできて欲しい。

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