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佐藤優樹アソシエイトコーチ 特別インタビュー 第2回

2020年6月、佐藤優樹さんが新潟アルビレックスBB U23として活動するアップルスポーツカレッジ(以下:ASC) バスケットボール専攻科のアソシエイトコーチに就任いたしました。同校のスポーツビジネス科は、佐藤優樹コーチにインタビューを行いました。

第2回はプロバスケットボール選手になるまでの過程や、選手時代についてのインタビューを紹介します。

-まず、バスケを始めた年齢やきっかけを教えてください。

小学校2年生からクラブチームに通い始めました。しかし、社会人チームでバスケをしていた父親の影響が強く、物心つく前からバスケに触れていましたね。また、クラブチームでは県大会で優勝を経験することができました。

ちなみに、当時の憧れの選手はマイケル・ジョーダン選手でした。


-しかし、中学校では野球部に所属していました。

進学した中学校にバスケ部がなかったので野球を始めました。バッティングが得意で、部活では4番を任されるまでになりました。そして、県選抜や年代別の日本代表にも選出され、国際大会にも出場しました。当時着用していたユニフォームはまだ実家に保管してあります。

-では、中学校の頃はバスケから離れていたのですか。

昼休みにシューティング練習を行っていたぐらいですかね(笑)。本格的な練習はしていませんでした。

-中学校では野球で活躍しましたが、高校では再びバスケ部に所属しました。

野球を続けて甲子園を目指すことを考えましたが、バスケをすることも諦めきれませんでした。最終的にはもう一度バスケットボールをすることに決断しました。

中学時代の野球のチームメイトたちからは驚かれましたが、素直になって、バスケをやりたいという気持ちが強かったですね。

-3年間ほとんどバスケに触れていなかったということですが、苦労はありましたか。

中学校の頃にはシューティングはしていましたが、スリーポイントシュートがリングに届かない、ドリブルが上手くできなかったなど、入部当初は思うようにプレーできなかったですね。チームメイトの大半は小学校からバスケを続けている上級者でしたので、早く追いつかなければと焦りました。

しかし、野球を通じて培った強い気持ちで、上手くなろうと誰よりも、何倍も練習しました。その経験が今の自分があるのではないかと思います。

また、チームメイトは偶然にも小学校の頃に共にプレーしていたメンバーが集まったこともあり、楽しく部活動に励むことができました。結果、チームは県大会準優勝、個人では2年次から国体メンバーに選出されました。他県の強豪校とも対戦することができたのは良い経験や勉強になりました。


-高校卒業後は新潟医療福祉大学に推薦で進学しました。

大学では1年次から試合に出場させていただきました。バスケのプレーの成長はもちろんですが、プレー以外では「自分で考え、自分で動く」を磨くことができました。

-大学卒業後はASCのバスケット研究科に1年間進学しました。進学を決意したきっかけとは。

大学4年の就職活動中に、当時ASCのバスケットボール科の監督を務めていた平岡さんから誘われたことがきっかけでした。当時は大学から専門学校への進学はあまりなかったため、周囲からは否定的な反応が多かったです。

しかし、両親は何も反対せず、考えを受け入れてくれたため、進学を決心することができました。ASCでは絶対にプロになってやるという思いを持って一生懸命練習に取り組みました。

-そしてASC在学時に当時bjリーグに所属していた新潟アルビレックスBBのトライアウトに参加し、ドラフト指名されました。

指名されたときはとても嬉しかったです。そしてASCへの進学を押し出してくれた両親はとても喜んでくれました。プロ入り後も両親は、試合会場に足を運んでくれるなど僕を応援し続けてくれました。


-プロ入り後、練習で意識していたことはありますか。

常に声を出すことを考え、行動していました。選手は生き残るためにそれぞれの役割を押し出すことが必要なのですが、僕の役割は「エネルギッシュさ」だったと思います。10年間、練習や試合ではチームのために声を出すことには自信を持って行ってきました。

それと、僕には小学校の時から観察力がありました。その力は年を重ねるごとに、増々感じ取ることができるようになりましたね。雰囲気を感じ取り、どのように振る舞うべきか、ということも考えながら行動することができていました。この観察力は指導にも生かしたいと思っています。

-最後に、現役時代に一番印象に残っている試合は何ですか。

bjリーグ時代の有明で行われたイースタンプレイオフ、横浜ビー・コルセアーズ戦です。この試合はブザービートで負けてしまいました。負けた瞬間はベンチで観ていましたが、心臓が止まったような衝撃を受け、8千人ほどの観客の声が聞こえなくなってしまったことは今でも鮮明に覚えています。

-自身が活躍した試合ではないのですね。

そうですね、言われてみればそんなプレーしたな、くらいの印象ですね(笑)。

-では、なぜこの試合が印象に残っているのですか。

この敗戦を通じて、今後どんな辛いことも乗り越えられると感じたからです。この敗戦以降はこれを超える衝撃を受けたことはありませんね。もしかしたら、いつの間にか乗り越えているだけかもしれないです。

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佐藤優樹コーチはプロバスケットボール選手の中でも異色ともいえる経歴を持っています。3年間バスケから離れてもプロバスケットボール選手になることができたのは才能だけでなく、並々ならぬ努力があったからことであると、インタビューを通じて学びました。

記事をご覧いただき、ありがとうございました。これからは指導者となった佐藤優樹コーチと、プロを目指して日々精進する学生たちを応援してもらえると嬉しいです。

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