【短編小説】空き地のシンガー(『TVのシンガー』トリビュート小説)
空き地になる前はなんだったのか、どうしても思い出せない。
■あらすじ
シンガーソングライターの“俺”は、落ち目になりつつある危機感に日々あらがい続けている。
あるとき過去の日記を読み返したことで、自分に母がいたことを思い出す。
のちに、“空き地症候群”の存在を世に知らしめるきっかけとなる男の物語。
THE YELLOW MONKEY『TVのシンガー』
のトリビュート小説
自宅の近所の一角が、いつの間にか空き地になっていた。
もともと何が建っていたんだっけ。思い出そうとしたがさっぱりわからない。民家か、集合住宅か、なにかの倉庫か、それすらも思い出せない。しょっちゅう通っている道なのに。
なくなって初めて、ここに何かが建っていたことに気づいたみたいな感覚だった。
そう思った瞬間、なにかが俺の中ですとんと落ちた。
ああ、これだ。
今の俺を表す言葉は、これだ。
俺は自分の症状を「空き地症候群」と呼ぶことにした。
***
電話を切ったマネージャーが手に持っていたのは、携帯電話ではなく真新しいスマートフォンだった。
「なんだよ、お前もスマホしたのか」
「はい。前のケータイがなんか調子悪かったので」
「この裏切り者」
数年前にスマートフォンが登場してからというもの、みんなどんどん持ち替えている。俺の周囲だけでいえば、もうそろそろケータイが少数派になりつつある。
「いや、想像以上に便利ですよ、これ。操作も案外すぐ慣れましたし。次の機種変のとき、どうですか?」
「俺はまだケータイでいいよ」
便利は便利だろうが、機能を使いこなせる気がしない。何よりボタンがないというのがどうも不安だ。
「お待たせしましたー!」
バタバタと足音をこだまさせながら、番組のディレクターが廊下を走ってきた。俺たちの前に来るなり、体をふたつ折りにする勢いで頭を下げる。
「本っ当に申し訳ございませんでした! ADにお出迎えに行くよう伝えてあったんですが、行き違いがあったみたいで」
行き違い、ね。胸の奥の方でひやりと嫌な感触がした。
俺はそれからいったん目をそむけ、冗談めかして言う。
「ほんと勘弁してほしいわ。あと少しで怒って帰っちゃうとこだったんだからね、こいつが」
「言ってない、言ってないですそんなこと!」
急に俺に指さされたベーシストが首と手をブンブン振ったことでひと笑い起きて、場が和んだ。ホッと息をついたディレクターは「ご案内します」と自分の仕事に戻る。ディレクターが入館証をスキャンしてゲートを開け、俺とマネージャーとサポートバンドを通す。
若い頃なら嫌味や文句のひとつやふたつ吐いただろうが、四十歳をすぎた今、さすがに全方位にとんがることはしない。ひと昔前の芸能人はお高くとまってなんぼの世界だったが、現代じゃ、偉そうな態度は煙たがられるだけだ。
スタジオへ続く通路を歩きながら、俺よりも若いディレクターの後ろ頭をぼんやりと眺める。俺がこの世界に入ったころは、スタッフは全員俺よりも年上だった。だが気がつけば、俺よりも若いスタッフの方が多くなっている。
時代が変わった、ってことか。
さっきのひやりとしたものが蘇ってきた。
俺たちがこれから収録するのは四半期ごとに放送される音楽特番で、出演者は五十組を超える。それだけの出演者のパフォーマンスを限られた時間で撮影しなければいけないのだから、現場スタッフの忙しさは相当なものだろう。
だからといって、出演者のことを忘れるか?
デビューしたばかりのころはシングルを出すたびにテレビに出演して歌っていたし、紅白にだって二年連続で出た。だがこの数年、テレビの露出はほとんどない。アルバムを出したタイミングでぽつぽつと出演する程度だ。キャリア二十年。固定ファンのおかげで、先月発売したアルバムもそこそこのセールスを確保している。だがファン以外の大多数からすれば「久々に見たな」程度なのだろう。
おそらくそれは、制作側も同じだ。
こういう「行き違い」は初めてじゃない。先月に受けた雑誌のインタビューでは、先方のダブルブッキングで日を改めることになった。その前に出演したラジオ番組でも、なかなか入館できずゲートの前でしばらく待たされるはめになった。
俺はいつの間に、そこまで優先順位が低い存在になってしまったのだろうか。
若いころほどのペースではないが、いい曲を作り続けてきたつもりだ。ライブのパフォーマンスだって、若いバンドに引けを取ったりしない。いったいなにが、俺の価値をそこまで落としているというのだ。
「前の撮影が終わるころにお呼びしますので、ご準備をお願いします」
ディレクターに案内された控え室はひとり部屋で、サポートバンドは別室だった。前回と変わらぬ扱いに、少しだけ安心する。
簡単なメイクとヘアセットをしてもらい、着替えを済ませた俺は、控え室でひとり、姿見の前に立つ。
ネイビーのシャツの上にライダースジャケットをはおり、下は黒のコットンパンツとレザーブーツ。あとはトレードマークであるギブソンのギターを持てば完成だ。
鏡の中にいるのは、お茶の間に顔と名前を知られたシンガーソングライターだ。
嘆いても、しかたがない。
俺にできるのは、彼らの記憶にきざまれるほどのパフォーマンスをすることだけだ。
「今日のイントロさ、ちょっと薄味だったかな?」
俺が尋ねると、正面の席で焼き鳥をもぐもぐしていたドラムが「そうですか?」首をかしげた。
「イントロ短くなった分、なんかさらっと歌に入っちゃった気がしてきた」
「リフがかなり印象的だし、あの短さでやれることはやったと思いますよ」
「そうかぁ」
一番うしろから全体を見ているドラムがそう言うのなら、そうなのかもしれない。だがどうしても、まだやれることがあったのではないかと考えてしまう。
「あっ、じゃあ今度イントロでもっと遊んでいいですか?」
横からギターが首を突っこんできた。俺はその首を押し返す。
「お前はいつものことだろ」
「だからもっとですよ」
「いいけど、そっちに夢中になってまた入りをトチったら、ただじゃおかねえぞ」
「だからそれは謝ったじゃないですかぁ」
今日の一発目のミスを思い出して赤くなるギターを、他のメンバーがかわるがわるイジり始めた。
とはいえ、全体的にはいいパフォーマンスができたと言っていい。入館したあとはトラブルもなく、収録は滞りなく終わった。あとは放送を待つだけだ。
次に収録を控えていた若いバンドとも少し話ができた。目を輝かせて「学生のころにカバーしてました」と言われるのは、いつまで経ってもどこかくすぐったい。その大半は嬉しさだが、否応なしに自分の年齢を実感させられる。
最近は、ネットで曲が買える時代だ。ただでさえCDが売れなくなってきたというのに、そこにスマホがさらなる追い討ちをかけるだろうと言われている。考えるだけで鬱々とした気持ちになってくる。
そっちの話になるとただの年寄りの愚痴になるので、口に出すのはこらえた。若者相手にクダをまく化石ジジイほどダサいものはない。
レコーディングでもライブでも、サポートメンバーはほとんどこの面子で固定になっている。全員そろってからすでに五年、長いやつでは十年以上のつき合いになる。多くを語らずともこちらのやりたいことを理解し、それをすぐに実行できる力があり、つい手癖になりがちな俺の曲に新しい風を吹きこんでくれる。俺よりひとまわり下のキーボードを筆頭に、メンバーは全員年下だが、すっかり気心知れた関係だ。
収録がうまくいった達成感もあって、店を出たあと、メンバーを二軒目に誘った。
「すみません。明日、朝一でリハなんです」
ベースが苦笑いすると「僕も明日早いんで」「俺も」と他の面々も続いた。
それぞれ自分のバンドがあったり、他のミュージシャンのサポートもやっていたりで、忙しいのだ。もしかしたら俺以上に。
「そうか。じゃあまた今度な」
引きとめる愚は犯さず、店の前でメンバーと別れた。
まだ帰りたくなかったので、歩きながら見つけたバーでひとりで飲んだ。
ラムベースのカクテルの味も、落ち着いた店の雰囲気も、控えめな音量で流れているジャズも俺の好みだったが、ひとりだとどうも考えがネガティブな方にいってしまう。
このまま飲んでも悪酔いしそうなので、二杯で切り上げて店を出た。
自宅の玄関を開け、だれもいない真っ暗な廊下を見るなり、ため息が出た。
帰ってきてしまった。そんな諦めに似た寂しさが胸のあたりに重たくのしかかる。
いつからそんなふうに感じるようになっていたのかはわからない。もともと家の中でじっとしていることが苦手な性分ではあるが、別に自宅が嫌いなわけではなかった。それが今では、できるだけ帰宅時間を遅らせるためにあれこれ用事を作るようになっていた。
長く独身をやっているくせに、なにをいまさら。
そんな感傷もいつものことなので、いちいち気にとめない。
シャワー浴びたあと、眠るまでの時間で少し曲を作る。曲作りはライフワークで、リリースの時期に関係なくやっている。今作っている曲はメロディーがほぼできあがり、歌詞を考えている段階だ。だがなにも思い浮かばなかった。普段ならメロディーとともにヒントになる言葉や景色が見えてくるものだが、今回はさっぱりだ。
机に向かっても浮かんでくるものではないので、いったん切り上げ、タバコで一服する。
それから俺は、本棚から日記帳を適当に一冊選ぶ。開くと二年前のものだった。
歌詞に行き詰まったときは、自分の日記を見返す。時間が経ってから読むと、できごとの印象や感じ方が変わることがある。歌詞は感情と直結しているので、過去の経験からヒントを得ることが多い。
ふと、あるひと言に目が止まった。
〈母がまた仕事の愚痴を言ってきた。俺に言われてもな〉
だれだっけ、それ。
しばし考える。母というのは、母親のことだろう。人間が産まれるためには父親と母親が必要だ。ということは、俺にも母がいたことになる。
その時、俺の頭の中で火花が散った。あちこちに明かりが灯り、忘れていた事実を照らし出す。
俺には母がいた。
そんな当たり前のことを、どうして今まで忘れていたのだろう。
母と最後に会ったのはいつだ? 思い出せないので日記をめくった。
母に関する記述はあまり多くない。あってもほとんどが不満だ。
〈ドタキャンされたと怒る母。「イマドキの若い連中は平気で約束をすっぽかす」とずっとクダまいてる〉
〈ま、半分は自業自得じゃねえの?〉
母は業界ではそこそこ名の通った演劇評論家だ。劇評や推薦文の執筆で結構忙しくしていたが、数年前に人気の劇作家をひどくこき下ろしたためにしばらく干された。その影響をまだ引きずっているのだと、このときの俺は思っていたようだ。そう書いてある。
だが、いくら読んでも思い当たる記憶はなかった。
同じ時期の自分に関するできごとであれば、読めばすぐに記憶が蘇る。だが母の部分だけは、いくら読み返してもなにも思い出せない。
〈みんな母との約束を忘れるらしい。最近の母の話はこればかり。本当なら気の毒だけど、仕事上のつき合いではちょっと考えにくい。まさか、もうボケてきた? 考えたくはないけど年も年だし……〉
〈母から電話。俺が母を病院に送っていく約束をしていたらしい。母の勘違いかと思いきや、スケジュール帳に「母送迎」の書きこみが。まったく覚えていないけど、間違いなく俺の字だ〉
〈夕飯に出前を取った。食べ始めようとしたとき、母の分を頼んでいなかったことに気がついた〉
〈声をかけられて驚いた。母がいたことを完全に忘れていた〉
胸が痛いくらい、心臓が大きく脈打っていた。
これだ。
俺の身に起きているのは、これだ。
俺は前後数年分の日記帳を本棚から出して机に積み上げ、一冊ずつ中身を見ていく。
俺は何度も母を忘れ、母はそのたびに怒った。それは勘違いでも、物忘れでもなかった。この症状のせいだったのだ。
ページをめくる手が早くなる。
母はこのあとどうなった。それを知れば、これから俺に起きることもある程度、予測ができる。
日付が新しくなるほど、母についての記述は減っていく。それを必死に拾って読んでいく。
そして、完全になくなった。
日が沈んでいつしか空が真っ暗になるみたいに。
いつの間にか、母のいない日常が当たり前になっていた。
所属事務所での打ち合わせが終わったときには、すっかりいい時間になっていた。
「そういえば、あの番組、今日でしたよね。ここで見ますか?」
俺とマネージャーとスタッフ数人とで会議室から休憩所に移動し、壁掛けの大型テレビを見る。少し待つと先日収録した音楽特番が始まった。自分が何番目に放送されるか知らないので、初めから見るしかない。
人気の男性アイドルグループのポップナンバーから始まり、ダンスボーカルグループ、アニメ映画の主題歌と、この数ヶ月でチャート上位にいた曲が続く。そのあとは間にトークをはさみながら、勢いのある若手のバンドやソロのミュージシャンなどが演奏していく。
「すっげえのどだな」
「声も一発で耳に残りますね」
「ボーカルもいいけどドラムもヤバくないっすか?」
彼らの演奏を見ながら俺たちは、あーでもないこーでもないと語り合う。
俺がデビューしたころに比べると、見た目で自己表現するミュージシャンはずいぶんと減った。みんなそのへんを歩いているような服装でギターを弾いていて、正直言って、地味だ。だが彼らには、見た目という個性がなくてもこういう場に出られるだけの技術がある。若いころの俺よりも、ずっとうまい。だからか、たまに俺と同世代のバンドが登場すると、なんだか馴染みの店に来たみたいな安心感があった。
途中で宅配ピザを取り、マネージャーが買ってきたビールも投入され、休憩所はすっかり宴会モードになった。全員なにかしらの音楽経験があるので、話題は尽きることがない。
ビールの酔いがいい感じに回ってきたころ、司会のアナウンサーが次の曲紹介をした。
〈それではいよいよ、最後の曲です〉
場の空気が一瞬、凍りついた。
「今、最後って言った?」
「……言いましたよね」
マネージャーがかすれた声で答える。
俺と同世代の男性アイドルグループが歌い始めたが、耳に入らなかった。
放送を最初から見ていたのだ。途中で席を離れたことはあったが、常にだれかしらがここにいた。見逃したはずはない。
鼓動が嫌なリズムをきざみながら高まっていく。
「おい、確認しろ。あいつ、なんつったっけ、ほら、ディレクターの」
「すぐ確認します」
俺が指示したときには、すでにマネージャーはスマートフォンで連絡先を探し始めていた。
相手はなかなか電話に出なかった。放送中だから出られないのか、気づいていないのかもしれない。
何度かかけ直して、ようやくディレクターにつながった。マネージャーのやり取りを、その場にいる全員が固唾をのんで見守っていた。
「そんなことってありますか? こっちはファンクラブにも出演するって情報出してるんですよ?」
温厚なマネージャーが珍しく強い口調で食ってかかる。
相手が説明しているのか、スマートフォンからふにゃふにゃした声がもれ聞こえてくる。待つのがじれったくて、俺はスマートフォンを奪い取った。
「どういうこと?」
〈え、はい?〉
「俺たちの演奏、流れなかったよね?」
〈あっ、ああい、いつもお世話に……〉
本人が出てきたと気づいたディレクターは、電話越しにもわかるほどうろたえた。構わず畳みかける。
「歌も演奏もよかっただろ? あんたもそう言ってたよな。ならなんで使わないんだよ」
〈あの、今マネージャーさんにもご説明したんですけど、そのぉ、放送時間の都合で、どうしても入れることができなくて〉
「つまり、俺たちの演奏は今日放送された連中よりも下だったってこと」
〈いえ、決してそういうことでは〉
「じゃあなんで放送しないんだよ」
問い詰めると、ディレクターの回答はますますしどろもどろになっていく。しゃべりながら自分の言葉の感触を確かめるみたいな話しかただ。まるでその場で言い訳を考えているみたいな。
それで確信した。
忘れていたのだ。
撮影したことも。出演オファーをしたことも。
この電話が来るまで、全部、忘れていたのだ。
目が覚めたばかりだというのに、ひどく疲れていた。昨夜のことを思い出してしまい、最悪の気分に引き戻される。
ディレクターとの電話のあと、俺はなんだかガックリきてしまい、しばらく動けなかった。そんな俺にかわってマネージャーやスタッフは怒りまくっていた。
俺のせいだ。
と、つい口をついて出そうになったが、あの混乱した場で告白するようなことじゃないと思い、とどまった。彼らに信じてもらえる自信がなかったこともある。なにせ俺自身がまだ半信半疑でいるのだから。
実を言うと、ほんの一瞬、ホッとした。
映像が使われなかったのは、ミュージシャンとしての俺の価値が落ちたことが理由ではないから。
だが、すぐに思い直した。
俺自身が忘れられれば、ミュージシャンとしての俺も一緒に忘れられる。順番が違うだけで、ことの深刻さは変わらないのだ。
どうしてこんなことに。
ため息が止まらない。
このままベッドでうなだれていても仕方がないので、とりあえず立ち上がった。テーブルに置いてあるタバコを取り、火をつける。そのとき、テーブルの上にコピー用紙の束が置いてあるのが目に入った。
これ、なんだっけ。
深く考えずに手に取って目を通す。どうやら自分の日記の要約らしい。
〈二〇〇●年 一月五日 また俺がなにかをすっぽかしたとクレーム。母は「あんたのせい」の一点張りでケンカに〉
〈二〇〇●年 一月十四日 母を病院に連れて行こうとするも拒否される。うつ? 認知症?〉
〈二〇〇●年 二月十日 母が帰ってこない。行方を探す俺〉
〈二〇〇●年 二月十六日 母の不在を思い出す。この三日、母の存在を忘れていた。混乱〉
〈二〇〇●年 三月三〇日 母の不在を思い出す。捜索願を出しに行ったらすでに提出済み。二月に俺が出していたらしい〉
〈二〇〇●年 七月二十日 どうしようもなく気分が沈む。なにかが足りないと感じるが、なにかはわからない〉
〈二〇〇●年 十二月一日 母の不在を思い出す。近所の人に話を聞くが、だれも母を覚えていない〉
コピー用紙のすみには、数日前の日付が書いてある。おそらく、この要約を書いた日なのだろう。だが書いた記憶がない。
メモを読むうちに、母がいたというおぼろげな記憶の輪郭だけは捕まえた。だが自分にとって母がどんな存在であったのかは思い出せない。
一緒にすごした思い出も。
声も。
顔も。
なにも思い出せない。
そんなのおかしい。だって、俺の母なのに。なんで。どうしてなにも覚えていないのだ。
今、母はどこにいる?
すぐに母に会わなければ。
携帯電話で実家の電話番号を探す。だが連絡先の一覧をいくら探しても出てこない。ないはずがない。両親に用があれば、いつも実家の固定電話にかけていたのだ。
そうだ。父が亡くなったときに家は売却したのだった。ひとりで住むには広すぎるから。そのあと、母は……。
明かりがついたみたいに、ある記憶に光が当たった。
俺は階段を駆け下りる。玄関の前を通過して、廊下の突き当たりにある扉の前で立ち止まる。
毎日見ていたはずなのに、見えていなかった扉。
呼吸を整え、ドアノブに手を伸ばす。ノブの表面は埃でざらついていた。
力を入れて、扉を引く。
こもった空気のにおいがした。雨戸が閉まっているのか、部屋は真っ暗で何も見えない。壁のスイッチを手で探って明かりをつける。
蛍光灯がつき、明るくなった部屋を見た瞬間、俺は絶句した。
床一面が紙で覆い尽くされていた。ただの紙ではない。手書きの文字でびっしりと埋め尽くされている。床だけでなく、机の上、イスの上、積み上げられた本の塔の上まで、部屋のいたるところに紙があふれていた。
俺は足元の紙を一枚手に取る。床の紙もうっすらと埃をかぶっていた。
〈依頼が来ない。来たとしても、送ったはずの劇評はどこにも掲載されない。これまで私が積み上げてきたものはどこへ行った?〉
〈まさか蚊に刺されたことを喜ぶ日が来るなんて。今のこの世界で、私の存在を認めてくれるのはこいつだけ〉
〈息子にすら忘れられる。話しても真に受けない。こんなこと、どうやって理解させればいい?〉
〈世界が私を消し去ろうとしている〉
〈すべての人に忘れられたとき、私はこの世に存在しているといえるのか?〉
忘れられることへのいらだち。不安。孤独。そして恐怖。
それらを吐き出すように、叫ぶように、書きなぐってある。
原稿用紙、コピー用紙、メモ用紙、何かの裏紙。紙がなくなったのか、本のページをちぎって印字の上から油性ペンで書いてあるものまであった。とにかく部屋にある紙という紙に、母の感情がぶつけてあった。
俺は床にへたりこんだまま、しばらく立ち上がることができなかった。
まったく気づけなかった。
俺はこんなに近くにいたのに、母は紙に気持ちをぶちまけるしかなかった。
一緒に暮らしていることを忘れ、不在に違和感をいだかずに、埃がたまるほど長い時間をすごしてしまった。
カサカサとかすかな音がすると思ったら、メモを持つ手が震えていた。
どうしようもなく、怖い。
いずれ、俺自身もこうなるときが来る。
目が覚めたら、俺が存在していたことをだれひとりとして覚えていないかもしれない。家族である俺ですら母を忘れてしまったのだ。他にだれが俺を思い出せるっていうんだ?
俺は床に散らばっている紙から、余白が空いていそうなものを探した。
このことを忘れてはいけない。忘れる前に形に残しておかなくては。母について思い出したことはすべて記録して、さっきの日記の要約と一緒にしておくのだ。そうすればきっと、母に何が起きたのか少しずつわかるはずだ。
その中に一枚だけ、筆跡の違うものがまざっていることに気づいた。
母の走り書きの余ったスペースに、俺の字で大きくこう書いてあった。
〈母さん、どこにいるの?〉
***
それからの一年は、あっという間だった。
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ブログのトップページに移動すると、今公開した記事が表示されていた。俺と母に起きたことを書いた記事だ。言いたいことがぐちゃぐちゃになってまとまらず、ずいぶん時間がかかってしまった。
記事ができてから公開するまでは、さらに時間がかかった。
決心がつかなかったのだ。
もしかしたら俺は頭がおかしくなっていて、これはすべて妄想や幻覚のたぐいなのかもしれない。その場合、記事を公開すれば俺は表舞台にいられなくなる。
ただ、そうして悩んでいる間も俺の症状はどんどん悪化していった。事情を知っているマネージャーですら、目の前で俺を見失うのだ。話の途中でふっと視線が定まらなくなる。そして別の仕事を始めてしまうのだ。当然、スケジュール管理もままならない。先の約束をしても忘れられるので、できることは極力その場で済ませるようにしていた。どうしても日を改める必要がある場合には、前日と当日に俺が直接関係者に連絡を入れてスケジュールを確認する。そうまでしても、約束をすっぽかされることもある。
存在が薄いなんてもんじゃない。切れかけの電球のように、俺という存在そのものが明滅している。そういう段階にきていた。母のメモにあった〈世界が私を消し去ろうとしている〉の切実さが、よくわかる。
どのみち消えるのなら、失うことを恐れるなんてばかげている。そう思い、ブログの公開にいたった。
記事を書くためにずっと母のメモや自分の日記を読み返していたせいか、最近はよく母のことを思い出す。記憶が母までたどりつけず、喪失感に胸が締めつけられるだけのこともある。そのときはわからなくても、これまでのメモを見れば、その空き地にいたのが母であることを知ることができた。
母も、母にまつわる記憶も消えたが、記録は残っている。だから俺も、俺についての記録を残すことにした。それがこのブログだ。
俺という人間が存在した証明であり、どこかにいるかもしれない、俺と同じ症状のだれかのためでもある。なにかの手助けになれば嬉しいし、自分だけじゃないと知るだけでも、いくらか気持ちが楽になると思うのだ。
当初、ブログは匿名で書こうと思っていた。ファンの人たちは、俺のこんな姿を知りたくないだろうから。ステージの上で照明を浴びながら愛とか恋とか社会への皮肉とかを歌ってきた俺が、病気におびえる姿など見せるべきではない。二十年間ずっと、そうやって俺のイメージを守ってきた。
だが記憶から消えてしまえば、そんなイメージも意味がない。
だから、ブログにはミュージシャンとしての俺も、ひとりの男としての俺も、包み隠さず書いた。
それともうひとつ。
ブログを書くのと平行して、俺はひたすら曲を作った。
ブログが俺という人間の記録なら、曲は、ミュージシャンとしての俺が存在した証明だ。
メモを読んで母のことを知れるのなら、曲を聞けば、俺というミュージシャンのことをもう一度知ってもらうことができるはずだ。
今後、俺がどうなるのかはわからない。
母と同じように、このまま消えてしまうかもしれない。消える、というのが具体的にどういう状態をさすのかもわからない。
だが俺がどうなろうと、曲は残るはずだ。
そう信じて書きためた曲で、アルバムを出す。たぶん、これが俺の最後のアルバムになるだろう。
タイトルはもう決まっている。
<了>
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