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デスマッチ・ファミリー ~第4話

■始まり

一時間ほどで車が帰ってきた。良太が携帯ゲームをやっていると、廊下を歩く足音が聞こえて、隣の部屋のドアが閉まる音がした。続いてもう一つ軽めの足音がした。
 ドアをノックされた。良太が返事をすると、ドアが開かれた。
「よっ、元気?」
 顔を出したのは早苗だった。会うのは今年の正月以来。約一年ぶりだ。
「まあね」
 ぶっきらぼうに返事を返す良太。
「姉ちゃん、なんか変わった?」
「ああ、髪伸ばしたからね」
 肩に髪がつかない程度のショートだった髪型が、今は胸あたりまで伸びていて、それだけで大人っぽさを演出していた。化粧も以前よりくっきりしたものに変わっていた。以前誠が早苗を見た時、やたらと美人だ美人だと言っていたのを鼻で笑っていたが、いまの早苗は確かにその部類に入るだろう。
「じゃね」
 そう言って早苗はドアを閉めた。弟を心配する柄でもないくせに。
 良太は再び携帯ゲームの画面に目を落とした。
 
 しばらくして、母親から内線電話が入った。ここは各部屋に内線電話が引かれている。
「食事の時間よ」
 母親の言葉に生返事を返して、良太は大きく伸びをして部屋から出た。
 階段を下りて、リビングに行くと大きな食卓がある。上座となる一番奥には父親の浩一郎が座っていた。その両隣に向かい合う形で祖父と祖母。祖母の隣には母親の光恵、光恵の隣には早苗がいた。祖父の隣は良太が座り、その隣には菜摘が座る。一番端の席は健太と決まっているがまだ来ていない。
「健太はどうした?」
「電話中だから後で行くって」
「しょうがないな。じゃあ始めるか」
 浩一郎の一言で食事が始まった。
 食卓に並んでいるのは、日頃家に並んでいるのと代わり映えのない母親の手作り料理だった。
 テレビや音楽がかかっているわけでもなく、静かな食卓だった。会話が弾むわけでもない。ただ黙々と食事をしている。
「みんな味わって食えよ。これが最後の料理なんだから」
 最後ってなんだよ、たかが年末じゃないか、と良太は心の中で毒づいた。
 やがて、健太が下りてきた。ラフなスウェットの上下に首からの金のネックレスがいやに目立った。健太は何も言わず自分の席に着くと
「ビール」
 とだけ言った。はいはい、と光恵が冷蔵庫から瓶ビールを持ってくる。
 健太は手酌でコップに注ぐと、一気にあおった。続いて二杯目も注いでようやくおかずに手を付けた。いただきますもなければ、誰かに声をかけるわけでもない。良太が父親を見ると、健太を見つめる冷めた目があった。展望台で見た、あの目だ。
 一通り食事が終わった。誰かが席を立てば、なだれを打って皆が席を立つだろう。
 それを待っていたかのように、不意に浩一郎が立ち上がった。
「では、これからの予定を発表する」
 一同、何のことだという表情。良太はふと目の前にいる早苗を見た。その表情は眉間にしわを寄せ、一体なに?という感じだった。
「今夜をもって呉簿家は終わりとする。よってお前らには死んで貰う」
 浩一郎はそう言うやいなや、テーブルの下から包丁を取り出すと、その切っ先を隣に座る祖母の脳天に突き立てた。
 全員の時間が止まった。何が起きたのか分からなかった。目の玉が飛び出るのではないかと思うほど大きく見開かれた絹江は良太を見つめて止まっていた。
 浩一郎が包丁を引き抜いた。絹江の脳天から血が噴き出し、その血が隣にいた光恵に降りかかった。
 光恵の絶叫が響き渡り、時間が動き出した。
 まっさきに動いたのは早苗だった。椅子から立ち上がり脱兎のごとく玄関に向かい扉を開けて出ていった。良太も動かなければと思った。しかし足に力が入らない。両腕でテーブルを押し、反動で椅子が後ろに倒れた。椅子から投げ出され壁に背中を強打し倒れた。床に這いつくばった良太は、もがきながら床を泳いだ。
 絹江の返り血を浴びた浩一郎はショックで全身が硬直し過呼吸に陥っている光恵に近づいた。浩一郎は光恵の後ろに回り、髪の毛をつかみ上を向かせた。
「な、なん、なんで、なんで・・・」
 浩一郎は包丁を逆手に持ち替え、光恵の喉に包丁を突き立て、横に引き裂いた。
 首のほとんどを斬られ、光恵の頭が横に傾いた。大動脈から噴水のように血がほとばしる。頭の重みで光恵の身体がそのまま床にくずれ落ちる。
 光恵と絹江の血でリビングは血の海と化した。
 健太が動いた。
 目の前の皿を浩一郎に投げつけ、頭に当てた。その隙に健太は立ち上がり、浩一郎に詰め寄った。
 そして足で浩一郎の腹を思い切り蹴った。後ろに吹っ飛ぶ浩一郎。
「てめえ、ぶっ殺してやるよ!」
 拳を固めて、浩一郎に向かって踏み出した途端、床に広がった血で足を滑らせた。尻餅をついた健太を見て、浩一郎が包丁を構えて飛びかかってきた。健太は身体をひねって包丁を交わした。
 包丁が床に刺さった。浩一郎の体重を乗せて刺さった包丁は床に深く突き刺さり抜けなくなった。健太は包丁を引き抜こうとしている浩一郎の顔面に蹴りを食らわせた。再び後方に吹き飛ぶ浩一郎。しかし包丁を離してはいなかった。蹴られた反動で床から包丁が抜けたのだ。その包丁が、蹴り上げた健太の右のふくらはぎを斬った。
「畜生っ」
 足を引きずって浩一郎から離れようとする健太。床の血を吸って、全身真っ赤である。
 蹴られて、壁に頭を打ち付けた浩一郎は意識が朦朧としていた。
 今しかない。良太は必死に立ち上がり、早苗を追って玄関に出ようとした。ふと見ると、菜摘が顔を天井に向けて気を失っている。
「菜摘、菜摘!」
 声をかけるが動かない。
「兄貴っ! 菜摘をっ」
 良太は右足を引きずりながら玄関に向かう健太に必死の声をかけた。
「知るかっ」
 振り返ることもなく言い放ち、玄関から出ていく健太。
「おじいちゃん!」
 良太は祖父の姿を探す。どこにも見当たらない。いつの間にか逃げ出したらしい。なんてことだ、ここで自分が逃げたら、次の標的は菜摘だ。
 逃げなきゃ、逃げなきゃ。
 良太は、菜摘の膝を抱え両手で菜摘を持ち上げた。
「うう・・・」
 背後から浩一郎のうめき声が聞こえる。意識を取り戻す前に逃げなくては。
 健太の後を追って、玄関に向かう。しかし、扉が開かない。押せば少し開くが、向こうから押し返される。鍵をかけられた訳ではない。おそらく健太が扉をおさえているのだ。
「開けてくれよ、おい!」
「うるせえ、あいつを出すわけにはいかねえんだ」
 扉越しに健太の声が帰ってくる。
 裏切りやがった。ろくな兄貴ではないと思っていたが、ここまで人でなしだとは。とにかくここで押し問答をしていても埒があかない。良太は階段を駆け上った。
 そして、自分の部屋に逃げ込んだ。ベッドに菜摘を寝かせると、鍵をかけ、テーブルでドアを押さえつけた。こうなったら籠城だ。警察に電話をしよう。ベッド脇の内線電話の受話器を持ち上げる。0発信で外部に電話出来るはずだ。しかし受話器を耳に当てても発信音が聞こえない。110を押しても何も反応がない。電話線を切られている。
しかし幸いスマホがある。
 良太がスマホの画面を開く。
 圏外。しかしWi-Fiが・・・
 繋がらない。さっきまで使えていたWi-Fi電波がなくなっている。
「嘘だろ」
 Wi-Fi設定の画面を開き、何度かオンオフを繰り返す。電波を受信しない。
 スマホ自体を再起動させる。
「早く、早く」
 再起動の時間がやたら長く感じる。
 画面が明るくなり通常画面に戻る。しかしWi-Fiは繋がらない。
 Wi-Fiのルーターが抜かれているか、電源を切られているとしか思えない。良太はベッドの脇に座り込んだ。
 計画的だ。外部との連絡が出来ないように、通信手段を全部ダウンさせていたのだ。
「お兄ちゃん」
 菜摘の声がした。
「気がついたか」
 良太があわてて菜摘に顔を寄せる。
「何があったの?」
「わかんねえんだよ。夢じゃないよな」
「お父さんが、おばあちゃんとお母さんを」
「ああ、ありえねえ、わけわかんねえ」
 良太の脳裏に、祖母のあの最後の顔がよみがえった。自分の身に何が起こったのか分からないままだったろう。優しかった祖母がまさかあんな最期を迎えるなんて。
 あの見開かれた目に自分の姿は見えていたのだろうか。もし見えていたなら自分はどんな顔をしていただろうか。おばあちゃんが逝くときは手を握って笑顔で送ってあげたかった。今までありがとうと言ってあげたかった。なのにきっと自分は恐怖に支配された醜い顔をしていたに違いない。そんな顔がおばあちゃんが最期に見た孫の顔なのだ。
「静かだね」
 菜摘がつぶやいた。
 慌ててこの部屋に飛び込んだが、追いかけてくる様子はない。今父親は何をしているのだろう。完全に気が狂ったとしか思えない。
 良太はそっとドアに近づき耳をそばだてた。物音ひとつしない。外の様子が見たいと思った。あの出来事が本当に起こったことなのか確認したい。しかしドアを開けるなんて出来ない。もしかしたら息を潜めて浩一郎がドアの横にいるかもしれない。
 振り返ると、上半身を起こして良太を見つめる菜摘と目が合った。
「大丈夫だよ」
 良太はできる限り優しい声を出した。
 おばあちゃんは良太と同じように菜摘のことも愛してくれた。
『菜摘に何かあったら、良太が守ってあげるんだよ』
 おばあちゃんの声がよみがえる。
 菜摘を守らなきゃいけない。それがおばあちゃんとの約束だ。
 良太は拳を握りしめた。


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