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雙津峡温泉②~名もなき洞門と崩壊道路

転進

旧道を南から攻める予定が、道路崩壊による通行止めのため転進を選択した。一旦引き返して現道のトンネルを通り、北から旧道に入る。このルートであれば洞門は確実に歩けるだろうと予想した。洞門クリア後に崩壊地が歩けそうならそのまま旧道を1周して帰ってくることもできるかもしれない。

乙女峡トンネル南口

現道の乙女峡トンネル前まで戻ってきた。由来は分からないが、この辺りの峡谷地帯を乙女峡と呼ぶらしい。山口県の水位観測局にその名がある。
上記地理院地図や前回のレポート載せた写真でも分かるとおり、この辺りの地形はかなり険しい峡谷地帯だ。特にこの乙女峡トンネルが抜いている切り立った岩盤は、見上げること約120mの高さと張り巡らされた落石防止ネットをもって通行人を威圧してくる。
自動車なら一瞬で通過する道も、徒歩だと時間的にも質量比としても感じる恐ろしさの総量が違う。自然への崇敬というのは、肌で感じる恐怖感と一体のものだ。

歩道が完備され安全なトンネル内。ただし、寒い!容赦なく隧道風が吹き抜けていく!
トンネル銘板は北口近くにある。見た目の印象通り、1994年竣工の比較的若いトンネルだ。

乙女峡トンネル北口

トンネル通過。
現在11:17、まだ慌てるような時間じゃない。

乙女峡トンネル北口を抜けると、150mほど先に橋がある。
その橋から東側、進行方向右側を見た景色が、事前にお見せした現道のハイライトシーンである。

この景観が好き!

なお、この橋は、下須川橋(しもすかわばし)という。
橋長52m、1994年竣工の乙女峡トンネルの同級生だ。以上のデータは山口県の橋梁管理一覧表で確認できる。
探索中の私は、橋よりも対岸の洞門に行きたくて気がはやり、親柱の撮影すらしていない始末だ。

下須川橋を渡り切ると、狭い平地に寄り集まったような集落がある。旧道へは写真の矢印のとおり右折して進入する。四角で囲ったところに、山口県管理道路の証である黄色いガードレールが見えており、この一見何でもない脇道が県管理の国道ないし県道にルーツを有することを静かに物語っている。

旧道に入ったところ。本当に、何の変哲もない1.5車線道路だ。道路沿いに現役の民家が並んでいる。生活の道。黄色いガードレールがなければ元々市道レベルの道だと誤解してもおかしくない。

民家の間を通って旧道を進む。そろそろ洞門が見えてきてもおかしくない位置だが、まずは矢印の位置の標識をチェック。

劣化の進んだ学校、幼稚園、保育所等ありの警戒標識だ。だいぶ古いもののようだが、標識の子供たちが右向きなので旧制標識というわけではない(旧制標識では左向き)。
私が注目したのは、山口県の県章入りのスクールゾーン補助標識の方だ。ブ青緑色をベースに黄色の県章が入った補助標識を初めて見た。相当目立つものだと思うのだが他で見た記憶がない・・・。この山口県章の存在が、旧道は県管理道路であったと私に訴えかけている。黄色い県章の部分だけ劣化が遅いような気がするのだが、これが県の威光、オーラ力のようなものか。
なお、切ないことに、現在ではこの集落に学校はない。かつてあった深須小学校は、2002年に廃校となっていた。ちなみに4枚上の写真左端に写っている建物が、深須小学校の体育館である。

標識と別れ進行方向を向くと、ついに見えてきた!

これが今日のメインデッシュだ!

名前のない洞門

洞門には扁額も銘板もない。素性を窺い知る情報は現地では何も確認できなかった。感覚としては竣工年は昭和40~50年台だろうか。洞門内の道路幅は目算3m強くらいで、普通車の離合はちょっと厳しい。洞門右側の支柱には、さきほど旧道入り口で見たのと同じ通り抜けできない旨の看板が掲げられていた。
名前のない洞門というのも何だし、私は仮に下須川洞門と呼ぼう。

旧道化した隧道や洞門でありがちなことだが、下須川洞門内は除雪用ホイールローダーの格納庫となっている。雙津峡温泉を含む岩国市北限地域は、中国地方西端の一部をなす山深い土地であり、したがって積雪量もそれなりにある。
下須川洞門の役割としては、険しい崖からの落石・土砂崩れ対策と、大雪の際の雪崩対策の両方が期待されていたはずだ。

先程洞門を眺めた下須川橋を、今度は逆に眺めている。愉悦。

古い道路構造物なのは間違いないのだけど、規則的な支柱や天井のパターンに何となく未来を感じてしまう。そして自然の暴威から守られてる感。湧き上がる感謝の念!

全長100m程度の短い洞門が間も無く終わるという辺りに、箱。養蜂箱かな。季節が真冬なので生命は感じなかったが。ちなみに養蜂箱も旧道や廃道でよく見かけるお馴染みさんだ。

見返り洞門

最後に一度振り返って、下須川洞門を出た。そしてまた振り返り、南側から洞門の勇姿を撮影。
道路には轍こそあるものの、落ち葉や枝木の堆積具合を見るとまっとうな管理はされていないようだ。そして注目したいのは、洞門に寄りかかってくるような角度に若干オーバーハングしている、写真右の岩崖である。これは結構怖い。洞門と道路の堺にあるデリニエータの辺りを見てもらうと、崖から崩れてきた拳大を優に超える大きさの石礫が山積しているのが分かるだろう。
洞門があってくれて良かった。

これが下須川洞門の先の道。勾配は緩やかな下り、30mばかり先で左にカーブしていく。それにしてもこの落石よ。少し先には落石防止ネットがあるのに、なぜ洞門のすぐ脇は裸なんだ。

左カーブのあたりで下を覗く。農地になっているようだ。そしてカーブの先、道なりに進むと。

轍も消えた後、また見えてくる、この道の終点。

さっき見たのとほとんど同じメンツだ!並び順が違う以外は、間違い探しレベルの違いしかない執拗な立入禁止軍団。サカナもいるぞ。
が、問題は、この先の道を越えられそうか否か。
ズーム!

あいや~!これは・・・

少なくとも私から見える範囲では、赤線のように崩壊した崖が白くガレた斜面を形成してしまっている。おそらくは左の崖奥、もっと高い位置から・・・。
私の想像ではせいぜい路肩が崩れたとかその程度の規模の崩壊を想像していた。予想より大分大きく崩れとるな、これ。
崩壊面の角度は見た所30~40度以内と思われ、斜面をトラバースして突破することも不可能ではないように見えるが、崩壊現場の手前に復旧工事のためか色々機材が置いてあるのがよくない。この先は廃道ではなく、生きた現場のようだ。そういう場所には踏み込みたくない。

AM11:29、再びの転進。
さっき通ったばかりの現道を再び辿る遠回りで、2km先の古隧道を目指す!

つづく

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