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『卑弥呼とヤマト王権』読了

 いらしてくださって、ありがとうございます。
 
 寺沢薫氏の『卑弥呼とヤマト王権』(中央公論新社)を読み終えました。「纏向遺跡論」「日本国家の起源を求めて」「王権誕生への道」「王権の系譜と継承」「卑弥呼共立事情」「卑弥呼とその後」の全6章、400ページ超の厚みがありますが、地図や写真、図がふんだんに取り込まれており、とても読み応えがありました。

 こうした学術書は、なかなかシロウトにはとっつきにくいところがあるのですけれど(自説以外をひたすら批判しつづけていたり、シロウトには難解すぎたり)、本書は寺沢氏の説(かなり踏み込んだ本音も交えつつ)がわかりやすく記されながら、異論について、どこがどのように自説と違っているかを丁寧に説明してくださっていました。

 本書タイトルが、卑弥呼と「邪馬台国」でなく「ヤマト王権」とされている理由は、「卑弥呼は邪馬台国の女王ではない」という前提のもと、「各地のクニが手を組み新生倭国が誕生した、それこそがヤマト王権であり卑弥呼政権」とする寺沢氏の結論によるものです。

 以前、NHKで放映された『邪馬台国サミット2021』にて、ある研究者の方が「魏志倭人伝の記述には、卑弥呼は邪馬台国の女王とは記されていない」という説をあげておられて、文脈的にそれはないだろうと思っていたのですけれど。

 本書では、魏志倭人伝のなかで、卑弥呼は「倭王」として五か所、「倭女王」として三か所、たんに「女王」として五か所に登場し、「邪馬台国女王」とは一度も書かれていない、とあります。

 邪馬台国は「女王之所都(女王の都する所)」、つまり、女王卑弥呼が居処としている場所(国)を示しているにすぎず、「新生倭国の大王都が置かれた国名(ヤマト国)でしかない」。それを氏は、現代に置き換えて、以下のようにたとえておられます。

「東京都は日本国の首都であり、日本国首相の官邸は東京都に在る」
「首相(卑弥呼)は日本国首相(倭国の大王)ではあるけれど、東京都知事(邪馬台国の王)ではない」、と。

 では、倭国の大王とは、どういうことを意味しているのでしょう。

 寺沢氏は、七、八十年つづいた男王体制が行き詰まり、そこで、まったく新しい女王体制を打ち立てることによって政治的混迷から抜け出し、倭国は再生を果たした、とお考えです。それを今日の考古学のデータと解釈に照らし合わせて次のように説明しておられます。
 
 二世紀初めごろ、倭国はイト国(北部九州)を盟主とし、その範囲は北部九州を中心に四国南西部までを含む。
 ↓
 二世紀末の政治的混迷のなかで、各地の首長たちによる会盟が執りおこなわれ、その結果、三世紀初め、北部九州を遠く離れた奈良盆地南部のヤマト国に新たな王都(纏向遺跡)が建設された。
 ↓
 列島規模の広がりをもち、従来の体制を大きく転換した倭国(新生倭国)が誕生。

 卑弥呼は(一国だけの王ではなく)、各地の首長たちの話し合いにより共立された「倭国の大王」だった……。
 では、卑弥呼はどこのクニの出身だったのでしょう。各地の首長たちはなぜ、彼女を連合国の大王に据えたのか。そして、いかなる理由で纏向の地に大王都を建てることにしたのか。
 そうしたさまざまな疑問にも、氏は考古学のデータや中国の史書をもとに考えを示しておられます。

 日本の古代は文献資料が乏しく、多方面から数多の説が唱えられております。私のような、小説を書くための材料として古代史を見ている者は、各説を読むとそれぞれに納得してしまうのですが、本書は根拠としてあげられる資料が細やかに記されつつ、順序立てて丁寧に説明されているので、各論とても説得力がありました。
 
 印象深かったのは、「倭国(が)乱(れ)」、互いに攻め合うことが続く状況を乗り越えるためにとった「この国の歴史的選択」が、戦争ではなく、また、一国独走を容認するものでもなく、『壮大な政治的談合(会同)を重ねた結論としての「卑弥呼共立」であった』、という一文です。  
 

 すこし話が逸れますが、古代メキシコ展とその特集番組を観て、彼の国では統一王国が作られず、各地に王国が点在し、交易などを行いゆるやかにつながっていたことを思い出しました。

 この国も、縄文時代からヒスイや黒曜石、琥珀などの流通ネットワークが存在し、それぞれの流通拠点がのちに港市として発展し、各地に部族的国家が生まれて。

 青谷上寺地遺跡のような殺傷痕のある人骨も発見され、「倭国乱」により「たがいに攻伐」していたことが史料に記されてはいますが、それでも、全国的に広がる殺戮の痕はなく、他を蹂躙し尽くしたうえでの大国誕生はなかった(かもしれない)。
 やがて何らかの危機が迫ったとき(寺沢氏はそれを政治的なものとされておられます)、この国の各地の首長たちは、話し合い、卑弥呼という大王をたてて難局を乗り越えようとした──。

 どこか一国だけが勝ち残るのではなく、互いに潰し合うのではなく、武力でなく「話し合い」で解決しようとしたかもしれないこの国の古代を想像すると、現世の、力づくで利を得ようとする国々とは本質的に違うなにかを感じもします。

 古代の人々は、この国が絶海の果てにあり、狭い島国であることを知っていたはずで。この国をおいて逃げる先はないと知るからこそ、互いに潰し合う無益を悟り、譲るべきところは譲り合う選択ができたのかもしれません。
 
 古代メキシコの各地の王国は、ほぼ時をおなじくして消滅したそうですが、土壌の解析などから、長く続く異常気象が影響していた可能性が指摘されています。
 この国も、火山や風水害、地震といった大災害が古代にも起きていたはずで、わたしは卑弥呼共立の要因は、そうした大災害から「ともに生き抜くための選択」として、各地の首長が話し合い、手をつないだ結果ではないかと考えています。そんな「古代の災害互助システムとしての卑弥呼共立」という小説のアイデアを家人に話したら、「甘いなぁ」と言われてしまいましたけれど(家人は「海の向こうからの侵略を恐れた対外的脅威への対応が連合をうながした説」だそう)。

 本書『卑弥呼とヤマト王権』は、巻末に遺跡名から逆引きができる索引もあり、時系列で古代を理解するための資料が盛りだくさんです(唯一、残念だったのは、びわ湖岸の伊勢遺跡についての言及がなかったこと。彼の地で発見された素晴らしい遺構や出土品についての寺沢氏のお考えを(邪馬台国サミットのような形ででも)ぜひ伺ってみたいです)。
 この国の古代が、どのように成り立っていったのか。なぜ纏向にあのような遺跡が見つかったのか、最新の狗奴国論にも触れられており、内容の濃い一冊ですので、古代史にご興味をお持ちの方は機会がございましたらぜひ。

(世にはさまざまな考えをお持ちの方がおられると存じますが、本記事はあくまで個人の感想であり、議論を目的にしておりません。反論や記事に被せた各方面への批判コメントの書き込みはご遠慮ください。) 

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 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 当地の今日の最高気温は37度、体感温度は43度だそうです。猛暑はまだ続く見込みとのことで、どうぞみなさまもくれぐれもご自愛くださいませね。
 冷たいものを摂取しすぎてお腹をやられませんように(自戒を込めて)。
 

 

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