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橘の古代(2)

 いらしてくださって、ありがとうございます。

 今回は「橘と水の親和性」について綴ってまいります。

 橘と水について考えるきっかけとなったのは、奈良県にある廣瀬大社の伝承でした。その廣瀬大社は「日本書紀」に登場します。
 

 日本書紀の天武天皇と持統天皇の事績には、『広瀬・竜田の神祭りをした』という記事が、在位中のほぼ毎年、4月と7月にくり返されます。

 初出は天武4年、風神竜田たつた立野たつのに、大忌神おおいみのかみ広瀬の河原に祀らせた、とあり。

 風神が祀られる龍田大社(奈良県生駒郡)は、崇神天皇の御代、凶作と疫病流行の鎮撫を祈願したところ、「天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れ」という夢告により創建されています。

 一方の広瀬(以下、廣瀬)とは、現在の地名「奈良県北葛城郡河合町」からもわかるように、佐保川、初瀬川、飛鳥川、曽我川、葛城川など、奈良盆地を流れる全ての川が合流する場所なのです。

 その地に鎮座する『廣瀬大社』の樋口宮司(2016年当時)によれば、

 崇神天皇の代に、龍神から「この地の沼(水足池とよばれる沼地)から去る」とご神託があり、(その地は)一夜で陸地に変わり、高貴な橘がたくさん生え、社が創建されたと伝わり、境内には今もが植わっているとのこと(ゆえに廣瀬大社の神紋は「橘紋」です)。
(※ わざわざ「高貴な」橘、と記されているところも気になります)

 廣瀬大社の御祭神は、若宇加能売命わかうかのめのみこと
 この神は廣瀬大忌神ひろせおおいみのかみとも呼ばれ、社伝では伊勢神宮外宮豊宇気比売とようけひめ大神や、伏見稲荷大社宇加之御魂うかのみたまと同神ともされているようですが、樋口宮司によれば『水を司る神』なのだとか。

 宮司は、龍田と廣瀬の両社が同時に祀られるようになった理由を、
天武天皇が風水を治めれば天下が安泰するとして、龍田風神と一対の社として(廣瀬大社の)お祀りを始めた』と綴っておられます。
(→文末にリンク掲載)

 
 廣瀬大社の『沼地が一夜で陸地となり、が生えた』という伝承を知ったとき、秦氏のことが浮かびました。

 日本に渡来した秦氏は、養蚕、織物、砂鉄や銅等の採鉱及び精錬、薬草などの知識も広め、稲荷社の創建にも関わったとされ、土木技術にも長けた集団だったといいます。

 沼地のような、水はけの悪い土地を改良するには、土砂を入れるか、または深めの縦穴をいくつか掘る(地下の粘土層を貫通させ、その下層の砂層に水を通す)とよいそうで、そうした知識を持つ秦氏が活躍したのかな、と。

 そして、水はけが成った土地に、我らの開墾の証として「秦氏の花である(と個人的に思っている)橘」を植えたのでは……と想像すると、「治水と橘(と秦氏)」とがつながるなぁ、と。

 ところで、古代中国・戦国時代の楚の詩を集めた『楚辞』九章「橘頌」には、橘をよみした一節があります。

 后皇の嘉樹、橘きたり服す
 命を受けてうつらず、南国に生ず
 深固にしてうつし難く、更に志を壱にす

 ──皇天后土に生じためでたい樹の橘が、この地に来て風土に適合し、天命を受けて他国に移らず、南国(揚州?)に生ずる。その根は深く固くて移し難く、その上その志は一つで動かない──。

 橘は「根が固くて移し難い」とあり、洪水による土砂の堆積を防ぐ役割など、治水上の役割があったりしないかなぁと想像もするのですけれど(※ ここでも橘は『めでたい樹』なのですね)。 

 さらに橘と水の伝承を調べていくと、興味深い二つの話にぶつかりました。

 一つめは大阪市平野区にある旭神社に伝わる『河内国渋川郡賀美郷橘嶋荘正覚寺村旭牛頭天皇若宮八幡宮縁起』(『嶋庄両社縁起』)から。 

天平勝宝6年(754年)8月、風雨が収まらずに人々が困っていたところ、「櫛笥くしげ(くしの箱)と橘の枝を大和川の上流から流し、それが流れ着いた所に櫛笥と橘の枝を祀れば(水難をおさめ)人々を安穏にさせよう」との八幡神のお告げがあった。そして、お告げの通りに大和国と河内国の国境から大和川に櫛笥と橘の枝を流したところ、橘の枝は大和川の中州であった渋川郡賀美郷の当社(旭神社)現在地(旧鎮座地)に流れ着いた。

その話を耳にした孝謙天皇は、その場所に東大寺の手向山八幡宮を勧請してその若宮を祀らせ、流れ着いた橘の枝をご神木とさせた、とする。

以後、付近一帯は橘嶋と呼ばれるようになった。
櫛笥が流れ着いた所には天児屋根命、天玉櫛彦之命、天櫛玉命を祀り、津原神社(現・東大阪市花園本町)が建立された。
なお、上記の橘の枝が流れ着いた時、橘の枝に朝日が輝き、その光が反射して牛頭天皇の社を照らしたことにより、社名を旭牛頭天皇社とした。

Wikipedia『旭神社』より一部引用

 ここにも治水と橘、そして秦氏と深くかかわるとされる八幡神とが登場していて、橘は神木となっています。


 もう一つの伝承は、幕末の大老・井伊直弼で知られる『井伊家』の始祖・井伊共保の出生譚。

 寛弘7年(1010年)の元旦、遠江国井伊谷いいのや(静岡県浜松市)の、とある井戸の傍らに男児が捨てられているのが発見されます。
 その男児の顔立ちは端麗、瞳が明るく、聡明だったそう。 

 男児を拾ったのは、遠江介(国司)の藤原鎌足十二代子孫の藤原共資。
 彼は男児を養子とし、娘を与えて妻とさせ藤原共保を名乗らせ、家督を継がせます。共保はのちに井伊谷に居を構え、井伊氏を名乗るようになった、と(浜松市教育委員会による「共保公 出生の井」の説明文より。同文には共保は三宅氏につながるという、もう一つの出生譚も紹介されています)。

 共保が拾われた井戸の傍らには橘が植えられており、それゆえ井伊家の家紋には「橘」と「井桁」の二つがあるのだそう。

 ちなみに、この井戸の向かいにある龍潭寺のホームページの「縁起」には、井伊家の故地・井伊谷について、以下の記述がありました。

この井伊谷地域は、古くは「井の国の大王」が聖水祭祀をつとめた「井の国」の中心で、浜名湖に注ぐ井伊谷川、神宮寺川に沿っての台地には縄文・弥生の遺跡、古墳が数多く残され、水にまつわる伝説も多い

龍潭寺(静岡県浜松市)ホームページ「縁起」より一部引用

 
 橘と井戸──。
 井戸は聖なる水の生ずるところであり、ここでもまた、橘と水がつながります。

 また、橘と井戸については、古代中国の西晋・東晋の時代(265~420年)に成立したとされる『神仙伝』巻九の「蘇仙公」に興味深い記述がありました。 

漢の蘇仙公が死に臨んで母に遺言し、
『来年は疫病が流行するが、庭の井戸水と軒端の橘の葉とを用いれば病を治すことができる
と告げ、果たしてその通りになった。
この故事から〈橘井きっせい〉の語ができ、転じて医者のことにもいう。

コトバンク「橘井」の説明より(平凡社「世界大百科事典(旧版)引用

 
 ここでも井戸の傍らには橘があり、さらに橘(の葉)と水とで病が治せる、とされています。

 そして。

 井伊家の祖・共保の伝承から思い出したのは、世阿弥の「風姿花伝」の一節です。

 欽明天皇(聖徳太子の祖父・用明天皇の父)の御代、大和国の初瀬川の氾濫で、川上から壺が流れてきた。三輪の神杉の鳥居のあたりで壺を拾いあげると、中には容貌が玉のように美しい幼児がいた。
 その夜の欽明天皇の夢に童子(幼児のこと)が現れ、
「吾は秦の始皇帝の再誕なり。縁ありてこの国に生まれたり」と告げた。
 この童子を殿上に召したところ、才智すぐれ、のちに大臣とし、秦の姓を与え、河勝と称した、と──。
(『風姿花伝』全訳注・市村宏:講談社学術文庫より)

 水のほとりで拾われた男児が容貌すぐれ、才智にも秀でていたところは、井伊共保とおなじ。

 秦河勝は、世阿弥らが能に昇華させた「大和猿楽」の始祖とされるがゆえの風姿花伝での記述なのでしょうけれど、日本書紀などでは秦河勝は聖徳太子と縁が深い人物でもあります。

 秦河勝は「大夫」とも呼ばれたそうで、のちの平安京はこの橘大夫の邸宅跡に建てられており、紫宸殿の「左近の桜(もとは梅)と右近の橘」のうち橘については、その邸宅に植えられていたものだと申します。

 そして日本書紀は秦河勝を「常世虫騒動」を解決した人物として描いていまして、この常世虫というのが橘の木につく虫でありまして……。

 また秦河勝は、安閑天皇(欽明天皇の兄弟)の皇子・豊彦王である、とする説(『本朝皇胤招運録』)もあり、このトヨヒコ王という名は、聖徳太子の父である用明天皇の御名・豊日(大兄)ととても似ていると思うのです。そして用明天皇の和風諡号は橘豊日で、橘につながってもくるのです。

 水と橘、そして秦氏と聖徳太子につながる人々──。 

 どうにもこうにも混沌としてきましたが、次回はこの秦河勝の常世虫騒動と、果実としての橘、常世国にそれを求めに行ったタジマモリという人物について触れてみたいと思います。


 廣瀬大社の樋口俊夫宮司のコラムはこちらから ↓


 廣瀬大社縁起についてはこちらを ↓

 
 井伊家の菩提寺『龍潭寺』の縁起はこちらから ↓

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 最後までお読みくださり、ありがとうございます。

 先日、ご近所でハクビシンの子どもたち四匹に遭遇。かなり人なれしている様子で、甘えた鳴き声をあげつつ餌をあげているらしき男性にまとわりついておりました。
 近くのマンションには「アライグマが出ます。餌をあげないで」という注意書きもされていて、ベランダには体長3センチもある巨大カメムシも襲来し……なんだかいろいろカオスです。

 大雨に暑さに翻弄されつつ、今年も折り返しですね。
 みなさまもお健やかに、楽しい夏をお過ごしになれますように(´ー`)ノ 

 

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