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死ぬかもしれない、を通して見つけた「今」について

死ぬかもしれない、リアルにそう思ったことは今まで一度もなかったように思う。もちろん誰しも、明るい顔をしていたって自殺を頭によぎらせたことはあるだろうと思っているし、死んだらどうなるかなーくらいなことはみんな考えるだろう。わたしもしかり。
でも今回リアルに自分の死について意識をして…それから今までピンと来ていなかった「今」がわかってしまったという、そういうお話。
言葉にするのが難しいテーマだけど、記録しておきたい。

今から3週間ほど前から、乳がんの疑いで検査をしてきた。
その経緯に関してはこちら。

1/10の確率をどう感じるか

「乳がんかもしれない」という事態に遭遇した。
ただ悪性の腫瘍、乳がんだったとしても大きさからしてみればごく初期。5年生存率は90%と言われる段階。リンク先の記事でも書いたけれど、今まで私は5年生存率90%って聞いたら「それほど心配するものじゃないね」って思ってた。別にそれを誰かに口にしたわけではないし、ぼんやりと思っていただけだけれど。
でもいざ自分がその身(かもしれない)に置かれた時、1/10の確率で5年後いないかもしれないという事実は衝撃だった。

「確率」についてはいろいろ思うところがある。

その昔彼女がいる人を好きになって両思いになった時に、彼女と別れる別れないの話を彼から「80%の確率で別れて君と一緒になれると思ってて」と言われたことがあって。その時私が返事をしたのは「降水確率20%であったって、その日雨になってしまったら雨でしかないし、確率なんて意味ない」というもの。
結局その後その彼が彼女と別れることはなく、今考えるとその返事をする時点で自分から雨を引き寄せてると思うけれど(笑)、確率の話を聞くたびにその時のことを思い出す。サイコロを振って6が出る確率は1/6、でも出る時は出るし出ない時は出ない。
生死や未来を考えることが好きなわたしにとって、1/10の確率というのは想像をふくらませるのに十分な数字。「かもしれない」不安は「の気がする」に変化し、夜布団の中では「に違いない」の気配を帯びて想像は加速していった。

その先に道がない、絵

5年後、私は53歳。息子はちょうど20歳になるころだ。
今いる家のローンがなくなることを思えば、遺産で彼は大学にも行き続けられるだろうし、精神的なショックを除けば何とかなるだろうと思う。ただ孫が生まれた時におばあちゃんが最初からいないこと、兄弟もいない彼をサポートする人が少なくなることは不憫に思えた。なんとかしてもらうしかないけれど。

じゃあ次に、私はどうなる?
息子が独立した後の暮らしを、少しづつ計画し始めていたけれど、それは1/10の確率でなくなるかもしれないわけだ。
息子の手が離れたら一生懸命貯金をして、早めの定年をしてその後のんびりと暮らしたいと思っていた。毎日起きたら今日やりたいことを頭に思い浮かべ、それをやってもいいし、やらなくてもいいそんな毎日。何者でもない自分の「心のまま」に、体が動かなくなるまで好きなように生きることを夢想していた。それは、叶わないという未来。
そうか。そうなのか。

ものごとをビジュアルでイメージしてしまう癖があって「その先に道がない」という絵を眺めていた。その先にあったはずの桃源郷へはつながらない道の上にわたしはいるのか。

だからちょっと俯瞰して私の人生をスタート地点から振り返ってみた。生まれてから今まで、これが物語だとしたら、どこの部分が盛り上がりだったんだろうか。何をやることで「生きた証」となるんだろうか。何者でもないわたしの何者でもない物語に、これから何かを残すとしたら何があるだろう。誰のために?いや自分のために、そして残された人のために。

悲しいとかそういう感情はなかったし、そもそも「死ぬ」ということを「理不尽だ」とか「何で私が」みたいには思わないんだな、というのは発見だった。
むしろ死ぬならば、今抱えている悩みは全部捨ててもいいってことでもあるな、とも思った。
仕事の不安やプレッシャー、うまくいかない人間関係も、どうしても減らせない体重も、シミの増えていくこの顔も。この先の老いをこの先何十年も抱えて生きていかなくていいのは、それはそれで楽なことにも思えた。
痛みや病の辛さは徐々に進行するとしても、それはたぶん否応なしに揺らされて身を委ねていくしかないのだし、もちろん死にたいまでは思わないけれど、特に死ぬことに涙するという気分にはなれなかった。

いろんな人の顔を思い浮かべながら、あの人はこんな反応するだろうな、父は悲しんで受け入れるまでに時間がかかるだろうな…なんてことをゆっくりと思い浮かべながら、私は、自分の死を悲しんでいない、ということをどう伝えたら伝わるんだろうな、なんて、夜布団の中で思い巡らした。

生きているっていいな、を見つける

乳腺外科へ検査をしにいく日は、とてもよく晴れた日だった。
地下鉄の駅の階段を上りながら目線を上に向けると、雲ひとつない快晴!
トントンとリズムをつけて階段をあがっていったら、ふと「生きているっていいな」という感情が体を突き抜けていった。

それは初めての感覚だったと思う。
もちろん気分の良い日っていうのは今まで何度でもあったんだけど、気持ちいいな〜というのは「生きてるっていいな」というのはちょっと違う。
そしてある日、湯船に体を沈めた時にまた「ああ、生きてるっていいな」がやってきた。

…ちょっと当惑した。
あれ?
死ぬのも構わないってわたし思ってたんじゃなかった?
いや、それも間違ってない。死ぬのなら死ぬで別に仕方ないことなのだけど、今この瞬間「生きてるっていいな」をただただ感じたんだ。
それからというもの、いろんな瞬間で「生きてるっていいな」を見つけることになった。

洗濯物がパリッと乾くこと、
餃子が理想的に焼けたこと、
風が春の空気を帯びてくること、
冷めたコーヒーが舌に触れる瞬間。

今を生きるって、どういうこと?

ところでわたしは少し前から「未来でもなく過去でもなく今を生きる、今を意識する」という言葉に引っ掛かりを持っていた。自分にとって必要な言葉なんだろう、という認識はあったものの、今ひとつ掴みきれない言葉だな…って。

だいたい今を意識するの今ってどの範囲?「今日」なの「1時間くらい」なの「瞬間」のことなの?それに意識をするってどういうこと?
今わたしは歩いているけれど足を意識するってこと?なんか変な感じ…。
スティーブ・ジョブズの有名なスピーチにあった「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」みたいなことを言ってるのかな。つまり毎日後悔のないように生きろってこと?とかね。

まだわからない未来のことを考える必要がないのはわかる。
今が未来を作ってるんだよ、という言葉もわかる。過去に引きずられるのはナンセンスだとわたしも思う。過去に作り上げてしまった歪んだ認知を塗り替える作業も、積極的にしてきたのだから。

でも今を生きるんだよという言葉は、いまいちピンとこない。
今は未来につながるのだから、未来の想像をしながら今その未来を楽しみに待ってたって別に良いんじゃないの?
過去があって今があるのだから、過去のことを今俎上にあげて悩み抜いたって別に良いんじゃないの?

ものごとが「わかる」というのは不思議な瞬間だ。
頭で考えていても到底たどりつくものではなくて、いろんな道を通って得た蓄積からひらめきのように訪れる瞬間が「わかる」という瞬間。

ずいぶん長い間つかみきれなかった「今を生きる」という言葉、「生きているっていいな」を通してわかってしまった。
わかってみると、ずいぶん離れた場所から、あるいは暗闇の中でそれを見ようとしていたんだなと感じる。こりゃ見えるはずないよねって。でもどうして見えたのかは説明できないから、わたしにアドバイスをくれていた人たちも文章を書いた人たちも、わたしを開眼させるほどには説明できなかったこともわかった。
でもひとつ過去のわたしにヒントを示すとしたら、「今を意識する」っていうのは死ぬことと深く結びついた言葉なんだよって言うだろうか。

いまとなっては、目に膜がかかるたみたいに「今」がみえない病気にかかっていたのかな、とすら思う。
今日でも、1時間でも、瞬間でもない…時間の軸に縛られないレイヤーに「今」というのは存在していて、そこには私の感情や気分は関与しても、過去の出来事や未来の想像は関与しない。ただ淡々とここにいる自分の今の状態を感じられていて、自然や、体感や、存在がしっかりとつながってる感覚というか…なんだろう?

やっぱり説明するのは難しいみたい。

何かが変わった、言葉にできないけれど

圧倒的に、悩まなくなった。
依存傾向のあった感情も、ひとりで完結できる気がしてきた。

検査の結果は良好で、どうやら私の死ぬ確率は数字で出せるものではなくなった。まあ今でも確率なんて意味がないとは思うけれど、死ぬことを意識するものではないのはわかった。

死を感じながら頭の中に描いていた「その先に道がない」という絵には「その先の道」が描かれた。
でも絵のトーンは大きく変わり、絵全体があかるく穏やかなものになって、そしてその先の桃源郷は消えた。
そっかまだまだ生きねばならないか!それはそれでちとしんどいな(笑)なんて気持ちもふと胸をかすめて、でも何が変わるわけでもないか、という気分になった。

ホットケーキミックスにバナナとクリームチーズを混ぜてパウンドケーキを焼いた。
手抜きをしていた洗濯物干しも、きちんと袖口揃えて洗濯バサミでつるした。
おいしいお茶が飲めるように、お茶の葉を入れて500mlのお茶を抽出できるポッドを買った(淹れてみたらお茶の葉が古くて味が悪かったから、良いお茶を買ってみた)。
仕事のプレッシャーも、できることをできる範囲でやろうと思ったら腰が軽くなって落ち着いて取り組めるようになった。

そうそう、ずっと前から聞いていた友達の「熱海に別宅を持ってみたいんだ」という話。
以前は
「いいけど維持が大変そうだよね。まずレンタルしてイメージ掴んでからにしたら」
とか言ってたけれど、こないだまた同じことを言っていた友達に
「いいじゃん!後でできるかわからないんだしやっちゃえ」って言えた。やりたいなら後じゃなく今やればいいよ、だって死んじゃうかもしれないし。

やりたいって思うことがあるのがそもそも素晴らしくて、みんなそのために生まれてきたんじゃないか。
やるべきことは、やりたいことを実現するためだけにあるべきこと。
誰からも強要される必要はないし、過去に自分のつくったイメージに支配されて生きていく必要もないし、先送りにする必要もない。
未来のための努力も、今自分が楽しんでいないのならばちょっと方向性や方法を考えてみたほうがいいかもしれない。


以上がわたしのーと書けるほどまとまっていないのだけれど、これがわたしの、死ぬかもしれない、を通して見つけた「今」について。
変化をすると今まで何をみていたんだろう?って思うくらい変化の前が想像しずらくなるものだけれど、なんとなく自分は今までとひとつ違う場所を見ることができたのかな、と思ってる。
また悩むことがあると思うけれど、今のこの気持ちは忘れたくないし、未来のわたしも未来の今を見ながら歩いている人でありたいと願う。


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