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生きるってなんなんでしょ?

唐沢俊一って作家さんが仕事のし過ぎで体調がなんかおかしいと思って病院に行ったら死にかけてたって言う話を読んだことがある。それを乗り越えたらなんか後は余生みたいなもんと続いていた。
さて、生きるってなんなんでしょ。Twitterで自分の事で悩んで苦しんで亡くなった人の最後のtweetを見かけて思わずそれはダメだ!って反射的に思ってしまったんですけど。例えば人に「なんで生きなきゃいけないの?」って聞かれた時にその人を納得させられるだけの答えを出す自信がありません。皆が悲しむから?これからいいことあるから?そんな不確定要素の多い事、無責任に言えない。皆が悲しんだところで亡くなってしまったらわからないんだもの。本当に辛い人にしてみれば「これからいいことあるってだからなに」かもしれない。もしそれを問いかけてきたのが自分の友達だったりしたら「いて欲しいから」としか言えないです。そこでその自分のわがままで踏みとどまってくれた結果、更に苦しんでしまったらって考えてしまう自分もいます。

私も一度生死の境をさ迷ったことがあります。まぁ現在こうしてポチポチと文章を紡いでいるのでこちらに戻ってこれたんですが。その時にふっと思いました。生きるってなんなんだろうって。生きてる意味あんのかなぁとか。未だにそれは解決してません。なので私は人に「なんで生きなきゃいけないの?」の問いに明確に答えられないのです。だって自分でもわからないんですから。
色々と「あれが欲しい」「ここに行きたい」って欲が出ると、そこまでは生きようかなとも思える時もありますが、それでも継続して生き続けることに対して湧いてる疑問は消えないままです。その楽しみが終わったら?私がいなくなったとして、誰になんの影響があるんだろ?とか。子供っぽいとか遅れてきた中2病みたいですけど、実際私がいなくなっても何の問題もなく周囲の人の時間は流れていくんですよね。それを考えると、そりゃいなくなったその時は感情がゴチャゴチャとするかもしれないけど、皆には皆の生活を過ごせるから大丈夫だよ?って思うのです。

生きたくても生きられなかった人がいるのに、みたいな言葉もよく見られますが、多分自分で死を選んだ人の中で割合多くが「あげられるなら自分のこれからの寿命あげるよ。それができるなら全然あげるよ」って思うんじゃないかなぁと勝手に想像しています。
自分自身の進退の決定権は自分にあるって言うのが最後の砦みたいな、拠り所みたいな、そういうものじゃないでしょうか。なので一概にダメとも言い切れない私がいるのです。「ダメだよ」のダメって一番説得力ないだろうなぁって。

未だに答えは見つかりません。生きるってなんだろうなぁって。特に社会貢献してるわけでもなくできるわけでもなく、したいわけでもなく。使命感のない生ってあやふやです。それって結構恐ろしいことだと思いませんか?自殺はいけないっていう教えって、そのあやふやに気づかせないようにインプットし続けているのではないかと思ってみたり。生きてる人がいないと世界は成り立たないですもんね。

今はとりあえず生活していますが、時折アタマによぎります。生きてていいのかな、生きてる意味あんのかなぁって。どうせ生きるなら、色々な物を抱えて面倒なことをしても生きるなら、意味が欲しいところです。生きる意味って最大のご褒美な気がします。
これを読んだ人で「なんで死んじゃダメなの?生きるってなんなの?」に対して、どう答えるのかチラッと教えていただけると幸いです。私はまだしばらく答えが出そうにないので。

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