【視覚優位の世界】「お前の日本語は変だ」と言われ続けたけど、単に「私の頭が変」なだけだった話

小さい頃から母に「日本語がおかしいから直した方が良い」と言われていた。確かに今振り返ると、主語はすぐ抜ける、語順がおかしい、固有名詞を擬音で置き換えまくるなど、私の説明はお世辞にも人に伝わるようなシロモノではなかった。母もかなり苦労したことだろう。
母も私に「直せ」としか伝えられなかった辺り、どうも私と母の間には話をするときに決定的違いがあるようだった。アラサーになり「ある程度まとも」にものが喋れるようになるまでのお話ができたらと思う。

今回お伝えしたい内容は大まかにこの3点。
・世の中には頭の中に文章または音声が流れており、それをそのまま口に出す人と、頭の中で画像や動画が流れており、言語に変換した結果を口から出す人がいる
・両者の性質をそれぞれ聴覚優位/視覚優位といい、人口比としては聴覚優位のほうが多いようである。
・私を含む視覚優位は図形情報を言語に変換する処理をしながら思考し、会話をしているので、どうかあたたかく見守ってほしい。

主語が抜ける、語順がおかしくなる

幼少期、私はなぜ世の中の人が理路整然と話ができるのかがわかっていなかった。「頭の中に思い浮かんだ言葉を、自分が忘れる前に、口に出す」ためには「順序にこだわらず出力する」必要があった。今思えば私より4つ下の弟があまり同様の注意を受けず、30上の父が同じ有様だったので母は相当焦っていたのだろう。そんな母の気も知らず、自分と周りの差もわかっていなかった当時の私は「子供だし、こんなもんじゃない?大人になれば直るでしょ」程度にしか思っていなかった。

そうこうしているうちに、私は小学校高学年になり、お笑い番組にのめりこんでいった。特に好きだったのは「ツッコミ」だった。たった一語で場の笑いをかっさらう姿に大変感動した。お笑い好きと、読書の習慣があったおかげで同級生よりボキャブラの多かった私は、中学3年生になる頃には「話の面白い子」と言われるようになっていた。しかし、喋れているように見せられるだけで、文章を使ってものを説明する力がついた訳では決してなかった。前述の鍛錬の結果、「刺さる単語を選んで出力するだけのコミュニケーション」なら難なく取れるようになったが、あくまで「それだけ」だ。作文など、文章での整然とした説明が求められる作業は大の苦手なままである。にもかかわらず、「なんだぁ、やっぱり直ったじゃん。喋れてる喋れてる」とお気楽な私。語順おかしい問題は片付いたものだと考えていた。

高校の勉強、つまり大学受験でも論文のない一般受験を選択した私に「文章力」は求められなかった。国語の記述問題で要約が求められることはあるが、あくまで「書きあがった文章を削る」だけの作業だったため、私の苦手な「単語を適切な順序で出力し、相手に説明すること」は求められずに済んでしまっていた。

そんなわけで騙し騙し大学生になれた私は、授業で文章の書き方講座を受講した。教わったのは短文の書き方と、3つの短文を組み合わせていかに自分の主張を作るか、という2点だった。この講義はその後、就職活動をするのにかなり役立ったのだが、本筋と外れるため詳細は割愛する。とにかく短文の作り方と、そのつなげ方を学んだ私は、「じっくり考えれば文章っぽいものは捻り出せる」ようになっていた。件の授業を開講してくれた先生には今も頭が下がる思いだ。

入社後数年までは、ここまで身に着けたスキルで何とか逃げ切ることができた。本能的に営業職を断固拒否しながら就職先を探し、デスクワークに終始することができたのが幸いしたようだ。しかしある日、企画系の担当への異動を言い渡された。主な業務は立案した企画の説明と内部展開用の資料レビューなのだが、これが全くできない。自分で立ち上げた企画、自分で作った資料を「さあ、口に出して説明しましょう」という段になると、どこから言語化して、どのように説明したら良いかが全く見当がつかないのだ。直っていたと思っていた短所が全く直っていないという事実を、思いっきり突き付けられた。なんだよ、「大人になれば直るでしょ」って。直ってないじゃん、全然。
それだけではなかった。自分で得意だと思っていた説明資料作りもダメ出しをされまくった。どうも「必要な文章説明がすっかり抜け落ち、何を伝えたい資料なのかが伝わらない」らしい。どうなっているんだ私、何ができるっていうんだ私。

苦悩と出会い

そうこう悩んでいた私が出会ったのは「視覚優位」という言葉だった。どうもNLP(Neuro Linguistic Programming:神経言語プログラミング)の分野で提唱されている考え方らしい。賛否はあるらしいが、個人的にしっくりきた考え方だったのでご紹介しておく。

・視覚優位:頭の中にある視覚イメージを表現する傾向
・聴覚優位:話をしている時は、聴覚情報にアクセスする傾向
・触覚優位:自分の体で感じていることを表現しようとする傾向
      ※嗅覚・味覚は触覚に含まれる
日本NLP協会「VAKタイプ分けテスト」より、一部改編

話をシンプルにするため触覚優位には触れず、以降、視覚優位と聴覚優位にフォーカスして話を進めていきたい。
私の頭は完全に「視覚優位」だった。頭の中で流れる動画を言語化しようとするのだが、脳内動画に語順は書いていないので文章化するときにハチャメチャになる。例えば、脳内動画をスケボーに乗った犬が高速で駆け抜けると、「犬!スケボーに乗ってる、速い!あれはビーグル犬だね、ピンクのボードが似合う」というよう言葉遣いになってしまう。脳内画面から出ていくまでに必要な情報を出力しようとすると、どうしても早口で、語順を無視して話をしなければいけないという訳だ。恐らく母は聴覚優位(音声情報で思考をするタイプ)なのだろう。自分自身の脳内説得も音声で済ませているため、「人に説明する場合も自分で理解したときと同じ言葉を使えばいいはずなのに、それができていない。つまり娘は何もわかってないのではないか?」と考えていたのだとしたら、相当心配をかけたに違いない。
兎にも角にも、今まさに出ている弊害に対処をしなければならない。直したのは以下の3点だ。

対処1.画像の語順化ルールを作る
頭の中の情報を今更音声で処理するわけにもいかないので、自分なりの語順ルールを作ることにした。背景に1、中心人物に2、以降重要な情報(画像の中だと、アイコンに見える)から順に数字を振り、その順番で口に出すことにした。因果関係があればまとめて丸で囲み、中に「因→果」となるように矢印を書くと良い感じだ。因みに、前のシーンの説明が必要な場合は0番の情報として先に出力しておく。出だしで「背景としては……」とか口走っておけばOKだ。
対処2.紙とペンに助けてもらう
説明をするときにA4サイズのバインダーと大量のコピー用紙を持ち歩くことにした。加えて、話す内容が決まっていれば目的(会議時の不明点、など)と項番(質問①、確認事項①……)と各項目の大まかな内容をデカデカと書き込み、書いた短文を指さしながら話を聞いてもらう。会話中に必要な単語はある程度紙の上に出てくるので「これ」とか言えば言語変換もちょっと節約できて頭の容量がお得だ。
対処3.「言語化中」なのを暴露する
そういえば、大学在学中からどうしても言語化が思考に追い付かないときには「なんか思いついたんだけど、言葉になってないから待って!」と正直に伝えていた。大抵周りもそこまで正直に言えば待ってくれるので、後は対処1をゆっくりしながら言葉にすれば良い。急ぐあまり動画を先に進めるほど口に出す言葉が支離滅裂になるので、「訳の分からない子にならない」ためにも引き続き大事にしていきたい。

まだ感動や興奮を伝えるのは苦手だが、この3点を意識するようになったら幾分かましに話ができるようになってきた。すでにこの記事も3000字を過ぎており、1つのテーマでこれだけの文量を書けるようになったのもまたひとつの成果だと感じている(うまい下手は置いておいて)。

暴れる頭と生きるために

こういった脳の違いを意識するようになってから、自分の思考の癖の良い部分も見えてきた。あくまで体質は特徴に過ぎないので、良い方向に生かしていきたい。

1.非言語情報の言語化が速い
「図を言語に変換しないと喋れない」と言うと枷のようだが、言語化されていないものを言語にする訓練は人一倍積んでいるため、文字でない情報を言語化することは苦手ではない。この飯屋の〇〇はこういう部分が旨い、といった表現は周りより事細かに話せているように感じる。
2.思考が最大二乗速で進む
文章で思考する聴覚優位に対し、画像で思考する視覚優位はそれだけ一度に情報を処理することができる。バーコードは数字しか表現できないが、QRコードは文字列が表現できる。そのくらい瞬時に扱う情報量が違うのだ。
言葉での情報伝達となるとうしても視覚優位側がアホっぽく映ってしまうが、より多くの情報を処理している自負を持って堂々と生きていきたい。
3.小説がものすごく面白い
これは個人的に一番推したい特徴なのだが、文字情報が即座に画像変換されるため、文字を読んでもアニメや映画を見ているような感覚で読み進められる。一度オジサンのの毛穴と脂汗が高画質で脳内再生されたときは持っていた本を投げそうになったが、ファンタジー小説は挿し絵や映画化された際にがっかりするレベルの解像度で読み進められるので人一倍読書が楽しい。

と、少々暴れ馬な頭だが、今後も楽しく付き合っていこうと思っている。

今日のお話はこんなものです。

酒蒸

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