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「葬送のフリーレン」と、私にとっての「東京ディズニーリゾート」。

この記事はハッキリ言って最悪だ。

「葬送のフリーレン」のファンと、「東京ディズニーリゾート」のファン双方の読者を想定しないといけないうえに、皆さんにとって見ず知らずであろう私の人生を絡めなければならない。果たしてどれだけ長くなることやら…。


私は「東京ディズニーリゾート」のファンである。その理由は話せば長い。

簡単に、ミッキー達がカッコかわいいだとか、アトラクションが面白いだとか、そんなところだと思ってくれて構わない。

でも…私を、「東京ディズニーリゾート」が「好き」、の範囲を超えて、「ファン」たらしめているのには、私の人生が関係している。私のnoteをいつも見てくださる方はご存知だろうけれど、ここで改めて。


私は、超は流石につかないくらいの田舎に生まれた。
生まれてからの私にとって、人生とは「くそったれ」だった。

ーまあ無理もない。私の家族はハッキリ言って崩壊寸前で、毎日喧嘩三昧。母親にはスパルタ教育を受け、やりたくもない習い事に翻弄する日々(今思えば、"ライオンが子を崖から突き落とす"と言うか、「厳しさ」を叩き込む愛だったと割り切っているが…)。

そして、そんな家庭の事情よりも寧ろ、私を苦しめたのは、周囲にいる大人たちの醜悪さであった。
田舎社会の致命的な欠点。それは単純に、人口が少ないことである。するとどうなるか?

競争が無くなる。
だから、外道だって年季を重ねれば勝手に敬られていく。

私の周囲にいた「大人」たち。それはーまあ醜かった。勿論、体罰やセクハラを平気で行う正真正銘の外道もいたけれど、何よりも皆の人生が見ていてつまらなそうだった。最も身近だった「大人」である両親は特に。

あ、そうそう。
先ほど、田舎社会の問題点として、「競争が無くなる」って書いたけれど、ここでいう「競争」というのは、資本主義社会でいう「競争」。
受験意識は低い。いつまでも変わらないゴミ制度。居座る老害。

でも、人間の社会的動物としての醜い「競争」は、寧ろ都会よりも酷いんじゃないかな。

知ってる?田舎社会ってね、究極の監視社会なんだよ。
全ての家・施設が、ネットワークのように繋がっていて、いつの間にかありとあらゆる情報が握られている。

生活習慣。誰と付き合ったか。進路先はどこか。

そして、コロナ禍に至っては、"誰がどこでいつ感染したか"。
田舎の医療従事者が守秘義務なんて守るわけがないの。

本当に、本当に、窮屈だった。やりたいことを親に、社会に制限され、いつも他人の目に晒され、家庭では怒号が飛び交いー。

よく屋根裏部屋でひとり寂しく泣いていた。その度に、いつも飼い猫が慰めに来てくれたのが懐かしい。

というか、もう人生に絶望しきっていた。生きていても、なんも良い事なんかない…と。
ーそんな時に出会ったのが、「東京ディズニーリゾート」なのである。

詳細は過去記事で書いているから省くけれど、私はただただ人生に希望を持つことが出来た。世の中、そんな狭く苦しい世界なんかじゃないって、私に教えてくれた。そして、あの狭い社会から、か弱い私を連れ出してくれた。

私にとっての東京ディズニーリゾートとは、そういう存在だった。


私はアニメを滅多にみない。
それは…単純にめんどくさいからである。

週刊少年ジャンプですら1ページも読んだことがない私にとって、アニメとは未知の世界。わざわざ観ようと思う機会など、人生で殆どない。

今までちゃんと見た作品と言えば、社会現象となった「鬼滅の刃」を始め、「呪術廻戦」、「チェーンソーマン」、「進撃の巨人」、「無職転生~異世界行っても本気出す」のみである。俗に言うミーハーってやつ。

え、○○観たことないの!?人生半分損しているよ!
何度この言葉を吐かれたことか…。

ただ、重い腰を上げて一度観さえすれば、タイトルから受ける冷めた印象とは裏腹に、思いっきりハマって最新話まで見てしまうのがいつものパターンでもある。


最近、大学生の春休みという事もあり、まとまった時間が取れるようになった。
折角だし、アニメでも見てみるか…。

アマプラでトップランキングのアニメ作品を眺める。う~ん…なんかどれもパッとしない…。

そんな中、ひとつのアニメが目に入る。

葬送のフリーレン

勇者ヒンメルたちと共に、10年に及ぶ冒険の末に魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした魔法使いフリーレン。千年以上生きるエルフである彼女は、ヒンメルたちと再会の約束をし、独り旅に出る。それから50年後、フリーレンはヒンメルのもとを訪ねるが、50年前と変わらぬ彼女に対し、ヒンメルは老い、人生は残りわずかだった。その後、死を迎えたヒンメルを目の当たりにし、これまで"人を知る"ことをしてこなかった自分を痛感し、それを悔いるフリーレンは、"人を知るため"の旅に出る。その旅には、さまざまな人との出会い、さまざまな出来事が待っていたー。

「葬送のフリーレン」Amazon Prime Video 紹介文

うん、旅モノは嫌いじゃない。これにしよう。
こうして私は、「葬送のフリーレン」の沼に引きずり込まれていったー。


*ネタバレ注意。

本作で最も心動かされたシーンが、Ep.2で、幼きフェルンが家族を失い、故郷を失い、絶望のあまり身投げをしようとした際に、たまたま居合わせたハイターがかけたこの言葉。

今死ぬのは勿体無いと思いますよ。
もう随分前になりますか…古くからの友人を失いましてね。
私とは違って、ひたすらに真っすぐで、困っている人を決して見捨てないような人間でした。
(中略)
私がこのまま死んだら、彼から学んだ勇気や意思や友情や、大切な思い出まで、この世からなくなってしまうのではないかと。
あなたの中にも、大切な思い出があるとすれば…死ぬのは勿体無いと思います。

Ep.2 5:18付近

私はこの言葉をー画面の中の世界を超えて、私に直接語りかけてくるような印象を受けた。

実は、私もフェルンのように、何度か死の淵に立ったことがある。
自身の無力さに打ちひしがれた時。圧倒的な悪意の前に踏み躙られた時。将来に何も希望を見出せなくなった時…。

そんな時、私の脳裏ではいつもータナトス(死への欲動)の誘いに惑わされるのである。

私には夢がある。
それは、かつての私のように、絶望に打ちひしがれた人を、かつての東京ディズニーリゾートのように、手を差し伸べ支える存在になること。

でもーそんなたいそうな夢を掲げておいて、人生の中で私はしょっちゅう絶望に打ちひしがれる。そして、夢を諦め、人生を諦め、生きることを諦めようとする。

…私は東京ディズニーリゾートに、自らの人生を歩む意思を、困難に立ち向かう勇気を、そして、絶望の中でも希望を見出す力を貰った。
屋根裏部屋で泣いているだけの、ちっぽけでどうしようもなかった私を、ここまで連れて行ってくれた。

そんな大切でかけがえのない贈り物を貰っておいて、恩返しもせず、後世に伝えもせず、自己本位的に勝手に命を絶つのはー確かに「勿体無い」。その通りだよ、ハイター。


「葬送のフリーレン」の魅力はなんだろう。カッコ良い戦闘シーンだろうか。独特なキャラクターだろうか。

もちろん、それらは確かに本作を魅力的にしてくれる要素ではあるけれど、私はやはり、「日常描写」の美しさを挙げずにはいられない。

本作は"当たり前"の日々を、ていねいに、ていねいに描いている。
皮肉なものである。たった100年ほどしか生きられない私たち人間でさえ、気づけば一年が終わっていた、なんてザラにあるのに、況や千年以上生きるフリーレンにとって、日常とは取るに足らない出来事だろうに…。

いや、違う。本作とは、フリーレンの「人を知る」ための旅であった。
Ep.1で、フリーレンは埋葬されていく勇者ヒンメルを見て泣きながらこう言った。

人間の寿命は短いって…分かっていたのに…。
なんでもっと…(彼のことを)知ろうと思わなかったんだろう…。

Ep.1 16:03付近

フリーレンは、(自身の時間感覚が相対的に短いために)人間である仲間を「知ることが出来なかった」ことを悔いているのではなくー「知ろうと思わなかった」、すなわち自身の能動的な姿勢の無さに後ろ髪を引かれているのである。

だからこそ、フリーレンは本作での旅で「人を知る努力」ーすなわち、人間との時間を大切にする姿勢を見せている。それが、日常描写の丁寧さにも表れているのであろう。

実は、この姿勢には、「東京ディズニーリゾート」との共通点が見られている。
「東京ディズニーリゾート」は、確かに魅力的なアトラクションや、興奮するエンターテインメントが沢山あるが、それと肩を並べるほどに、"日常"を大切にする姿勢が表れている。

東京ディズニーリゾートを運営する株式会社オリエンタルランドの企業理念はこうだ。

自由でみずみずしい発想を原動力に
すばらしい感動
ひととしての喜び
そしてやすらぎを提供します

株式会社オリエンタルランド. 「企業理念」(太字編集は筆者)

ここで特筆したいのは、「やすらぎ」の提供を堂々と掲げている。
絶叫系アトラクションや、音響や演出効果をふんだんに盛り込んだエンターテインメントから得られる高刺激な興奮とは別に、何にも縛られることがなく、東京ディズニーリゾートでのひとときを穏やかに過ごしてほしいという姿勢である(実際には、近年の運営の方向性にはこの点の達成に疑問を呈しているディズニーファンも多いが…)。

そして、私が東京ディズニーリゾートに惹かれているのも、この点が大きい。
東京ディズニーリゾートは、その歴史の中で少しずつ変化しているものの、大枠の本質は変わらない。「千葉県浦安市にあるテーマパーク」という前提を崩すことは有り得ない。

だから、いつ京葉線舞浜駅で下車しても、そこには「いつもの景色」が広がっている。私にとっては、変わらない懐かしき故郷のようなものだ。

いつもエントランスをくぐる時、東京ディズニーランドのシンデレラ城を見かけた時、東京ディズニーシーのプロメテウス火山を見かけた時…私はかつての自分をふと思い返す。何にも希望を見出せなかったあの頃、そして、東京ディズニーリゾートに出会い、人生を必死に前に進めたあの日々…。

そこには…まるで熟練の夫婦がかつての燃え盛る恋を思い返すかのような、どこか穏やかな「やすらぎ」を感じるのである。そして、そのようなゆっくりとした時間を、いつまでも大切に、丁寧に過ごしてみたくなるものである。


「葬送のフリーレン」を最新話まで見届けた後、私は長時間のメディア視聴で鈍った身体を起こしに散歩に出かけた。

本作第2クール(一級魔法使い試験編)オープニング曲である、ヨルシカ「晴る」を聴きながら。

貴方は風のように
目を閉じれば夕暮れ
何を思っているんだろうか

どこか癖になる裏拍進行と共に、美しい日本語が脳内を駆け巡る。

今日は晴れで良い天気だ。春を感じる。

目蓋を開いていた
貴方の目はビイドロ
少しだけ晴るの匂いがした

いつも通りの散歩道。それでも、「葬送のフリーレン」という素敵な作品と、「東京ディズニーリゾート」という私にとってのかけがえのないものに対して想いを馳せて、一歩ずつ、丁寧に歩いていた。

晴れに晴れ、花よ咲け
咲いて春のせい
降り止めば雨でさえ
貴方を飾る晴る

上り坂を穏やかな心持ちで登っていく。

ふと遠くを見渡すとーかすかに富士山を伺うことが出来た。
え、ここ、富士山観れたんだ…。2年も住んでいたのに、どうして近所で富士山を観れることに気が付かなかったのだろう?

…それは…いつも私が、下を向いていたからなのかもしれない。

思えば東京に越してきてから、人生がなかなか思うようにいかず、時には絶望的な出来事に見舞われーこの世の中を恨む日が多かった。

胸を打つ音よ凪げ
僕ら晴る風
あの雲も越えてゆけ
遠くまだ遠くまで

そして、むしゃくしゃした気持ちを紛らわせるために、よくこの慣れ親しんだ散歩コースをぶらついたものだ。

富士山、かすかにしか見えないけれど、それでも綺麗だな…。
私はこのことに気が付くまで2年もかけてしまった。
それもそのはず、"当たり前の日常"をないがしろにしていたからだ。ーかつてのフリーレンのように。

いつも下を向き、自身の無力さに失望し、運命の残酷さに嘆く日々。
SNSや本から受容した、「輝かしい人生」の理想像を思い浮かべれば、現実との懸隔に絶望したあの頃。

…違う。人生の「ほんとうの美しさ」は、「当たり前の日常」に潜んでいるのだ。

フリーレンは、魔王を討伐し富と名声を得た。
しかし、そんな彼女の人生に変化をもたらしたのはーそんな栄光よりも寧ろ、仲間の死から学んだ、当たり前の日常を大切にしようとするその姿勢である。

下に目をやる。
一輪の花が、コンクリートの隙間から顔を出している。

美しい。

みんな、必死に生きている。
そして、そんな毎日こそがーこの上ない人生の美しさなのだ。

日常とは、こんなに素晴らしいもので溢れているものなのに…。
なんでもっと、知ろうと思わなかったんだろう…。

晴れに晴れ、花よ咲け
咲いて春のせい
あの雲も越えてゆけ
遠くまだ遠くまで

そこには、誰かのように、ぽたぽたと涙を零している自分がいた。

おわり


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