詭弁家が使うテクニック
三段論法の話が続きましたので今回は誤謬(ごびゅう)と詭弁(きべん)について解説したいと思います。
誤謬とは論理的な誤りのことです。
また、誤謬と似た言葉に詭弁があります。
誤謬であることを知っていながら相手を説き伏せるために誤謬を意図的に用いる論法を詭弁といいます。
詭弁を使う論者を詭弁家といい、詭弁家とはソフィストと呼ばれていた人たちのことだと思います。
詭弁は相手を説き伏せることに役に立つことから、ズルい論者は詭弁を好んで使います。そういう人たちから身を守るため、彼らが使う詭弁にはどのような誤謬があるかを知ることは重要です。
今回はそういった詭弁家が好んで使うテクニックを紹介します。
1. 循環論証
主張の根拠が主張の内容になっていて主張の根拠を何も説明していない場合は、循環論証(循環論法)という誤謬になります。
例えば、何かが間違っていることを主張するとき、なぜ間違っているか?どこがどう間違っているか?ということを主張の根拠にしなくてはなりませんが、循環論法では主張の根拠が主張そのものになり、主張と根拠が循環します。
「構わない」と「問題ない」は言葉を変えただけで両者とも同じことを言っており、「これは正しい。なぜなら、これは正しいからだ」と主張するのと変わらず主張の根拠を何も説明できていません。
主張の根拠が主張そのものになっていることは巧妙に隠されているケースも考えられるため注意が必要です。
また、主張の根拠が主張から導かれる当然のことである場合も同様に循環します。
これは循環論証です。なぜあさぽ党が選挙でいつも勝てるのかを説明できていません。国民があさぽ党に投票することは選挙で勝つことから導かれる当然のことだから循環します。
循環していることがわかりやすいように付け加えてみましょう。
見ての通り、あさぽ党がなぜ他の政党を出し抜いて選挙で勝てるのか、という理由の説明がされておらず循環していることが分かります。
ちなみに、あさぽ党が勝てる理由が「歴史が古い」というのは、根拠として成立し得ります。歴史が古くなくても選挙で勝てる可能性があるため「歴史が古い」というのは選挙で勝てることから当然に導かれることではないからです。
ただし単一の根拠として成立するのは、あさぽ党が歴史の古い唯一の政党であったときのみです。そこを質問者に指摘されています。しかしながら単一の根拠とするには弱いのですが、数ある根拠のひとつには数えてもいいでしょう。
では、この例は循環しているでしょうか?
これは循環論証ではありません。嫌われていても避けられないケースも考えられますので避けられることは嫌われることに内包されていません。避けられることは嫌われていることの外延であるので根拠として成立します。
これは循環論証です。「私はみんなに嫌われていると思う。なぜなら、みんなが私を嫌いだからだ」と主張しているのと何ら変わりません。
2. 論点先取
論点先取とは、主張の根拠となる内容の真偽が定かでない状態で主張の妥当さを明言したり、争点にする誤謬です。
これは論点先取です。
世の中にズルい人間がたくさんいるかどうかや、それによって正直者が損をするかについての議論する前に、正直に生きることが損であるでどうかの真偽について先に考えなくてはなりません。
また、主張の根拠が先になっているケースもあります。
また、論点先取は疑問の提示によって行われることもあります。
これも論点先取です。議論を進める前に、まず外交的な人が人生を楽しめているかどうかの真偽について先に考えなくてはなりません。
他にも例を見てみましょう。
これも論点先取です。若者が海外で暮らしたいと思っていると考えているのが大多数であるかのように装っています。
また、人身攻撃と組み合わされることもよくあります。
これも論点先取です。彼が言っていることに誤謬があるかも知れませんし、高い理解力が必要なことかも知れません。
「理解力がない」の否定は「理解力がある」なので、言っていることを理解できるならば理解力がある、理解できないのであれば理解力がない、といった具合に選択の限定もされています。
何より、「馬鹿」という言葉を使って人身攻撃を行い相手の注意を乱し、論点先取に目がいかないようにしているところが悪質です。
更に、論点先取は省略三段論法の省略された大前提に隠されていることがあります。
省略三段論法とは大前提を省略した三段論法のことで、大前提が説明不要な自明なことであるときに使用されることがあります。
基本的に、三段論法の大前提は広く一般にいえる大きな法則であり、小前提は個々の小さな法則です。大前提が広く一般にいえる大きな法則なため説明不要の自明なこととして省略されることがあります。
ちなみに、広く一般的な法則をベースにして個々の小さな法則を見つけるような推論の仕方を演繹(えんえき)といいます。
逆に、個々の小さな法則から、広く一般的な法則を見つける推論の仕方を帰納(きのう)といいます。
例えば以下のような三段論法があります。
第一格の三段論法で大前提の主語の読書家は周延されており「彼」を特称不可の全称命題とすると AAA-1 です。AAA-1 は結論が妥当になることが分かっていますので正しい三段論法といえます。
読書家が字を読むことができるのは自明なことです。
なので大前提を省略し「彼は読書家なので字を読める」という一文にまとめることができます。
このように真偽が自明なこととして省略された大前提が、実際には真偽不明で論点先取になっていることがあります。
例を見てみましょう。
これは論点先取です。省略された大前提は「富裕層ならば幸福である」です。これが真の命題として隠されています。
ですが、実際は富裕層でも自分を幸福と感じていない人もいると思いますので、この命題を真として扱ってしまうのは問題があります。
3. ストローマン
ストローマンとは、相手の発言を捻じ曲げて代弁し、相手が主張していないことを、さも相手が主張しているかのように装うことです。
詭弁として使われることが多く、相手の発言を文脈やニュアンスから切り出し、自分が反論しやすいように解釈して相手の主張を捻じ曲げます。
不道理で極端な形に変えられることが多く、捻じ曲げられた主張を相手がしているかのように印象付けます。
相手が主張していないことを主張していると決めつけて反論するので、ストローマンは論点先取の一種と考えていいと思います。
それではストローマンの具体例を見てみましょう。
プラスチック製のストローを使っていることを捻じ曲げて解釈し、誰から見ても道義的に好ましくない「相手は地球上の生き物を死滅させるつもりでいる」という反論しやすい形に変えています。
もちろんカフェのオーナーにそのような意図はありません。海洋汚染の問題は適切にプラスチックのゴミが処理されれば回避できますし、たとえカフェのストローがすべて海に捨てられたとしても地球上の生き物は死滅しません。
他にもストローマンの例を見てみましょう。
これにはストローマンが2つ仕込まれています。
まず、注意されたということの解釈を捻じ曲げて「相手が自分を嫌って、いじめている」という道義的に好ましくない行いに変え、さらに「特定の誰かにだけ注意する」という形に変え、相手がさもパワハラという不道徳な行いをしている悪人であるかのように印象付けています。
ストローマンは詭弁でなく認知のバイアスとしても起こり得ますので、自分が相手の発言を捻じ曲げて解釈していないか、よく考えるようにするといいでしょう。
意図的に詭弁としてストローマンを使っていない場合、その誤謬は認知のバイアスといえます。ストローマンが真に脅威になるときは詭弁ではなく、誤謬として起こったときだと私は考えます。
4. 選択の限定
選択の限定とは、ある選択肢や結論を相手に提示し、提示したものしか選択肢や結論がないかのように装います。
この例は誤った二分法といいます。幸福か不幸かどちらかに分かれることを主張していますが、実際は極端に両者に分かれないケースも考えられます。
誤った二分法の場合は、提示される2つの選択肢や結論は対義語であることが多いです。
選択肢や結論を2つしか提示しないことが誤った二分法ではありません。
選択肢や結論が他にもあるのに相手にそれ以外の選択肢や結論がないかのように思わせることが詭弁なのです。
例えば本当に選択肢が2つしかない場合は誤った二分法にはなりません。
この例は誤った二分法ではありません。引き分けがない以上、失格や中止もなければ本当に勝つか負けるかしかないからです。
また、相手に対して選択肢を限定させて操作しようとする意図はなく、推論が不十分で他の選択肢が見つからなかったときは詭弁ではなく誤謬の扱いになります。
選択肢の限定は、他にも複数の選択肢があるのに、ひとつしかないかのように装うこともあります。
これは選択の限定です。増資せず事業を撤退するという選択肢もあります。
5. 燻製ニシンの虚偽(論点回避)
燻製ニシンの虚偽は、論点と関係のないことを取り上げて論点を不明確にし論点を回避することです。これは詭弁として意図的に行われることが多く、誤謬であることは少ないと思います。
論点について議論しなくないときに論点を回避するための詭弁のテクニックだと私は思います。
それでは燻製ニシンの虚偽の具体例を見てみましょう。
質問者は、なぜ選挙でいつもあさぽ党が他の政党を出し抜いて勝てているか、を聞いています。
それに対して論者の回答は、あさぽ党は解散するべきという内容で、質問に答えていません。それを前置きや長い回答で巧みに隠しています。
端的にすれば論者が質問に答えておらず論点回避していることが分かりやすいでしょう。
もし質問者が選挙でいつもあさぽ党が勝つということを問題に思っていて、それを解決するためにはどうしたらよいでしょう?というニュアンスで聞いているのであれば回答としては一応は成立します。
しかし、質問の意図がどういうニュアンスなのかは相手に確認しなくては分かりません。注意深い論者であれば、まず相手の質問の意図を確認するかも知れません。
ただ、文脈を考えず純粋に質問だけを考えると「なぜあさぽ党が他の政党を出し抜いていつも選挙で勝てているか」を聞いていますので、それに対して回答しないと論点が回避されていることになります。
更に別の例を見てみましょう。
この例では「仕事中にスナック菓子を食べる行為が好ましいか」という論点で話すと自分が不利になると考えているため論点を意図的にずらし、相手の論調を批判することでうまく論点を回避しています。
更に、「上司だから私より上だと思っているんですか?」という相手が主張していない不道徳なことを、まるで主張しているかのように印象付けているのでストローマンも仕込まれています。
更に、ストローマンによって相手を「部下を見下す悪人」に仕立て上げた上で「あなたのような人と働く私の気持ちがわかりますか?」と相手の人格を攻撃するような人身攻撃を行っています。
ポイントとしては「ナルシスト」とか「嫌なやつ」とか直接的な罵倒を行わないことです。
直接的な罵倒の言葉を使うと今度は自分がそれを非難される恐れがあるため、うまくぼかして罵倒しているので非常に狡猾です。このような部下を持つと上司は大変です。上司が相手の詭弁を見抜けない人だと彼は精神を病むかも知れません。
6. 丘と城壁の虚偽
これを詭弁として使うには少しテクニックが必要かもしれません。
まず論者は、多数に受け入れやすい合理的な主張(丘)と、受け入れ難い非合理的な主張(城壁)を混合します。ここがミソです。実際には両者は同じことではありません。
論者の主張したいことは、相手に受け入れられにくい主張のほうです。
非合理的な主張だけだと相手に受け入れられませんから、その主張と性質が似た合理的な主張のほうを盾にします。
まず、盾である多数に受け入れやすい合理的な主張(A)を相手に飲み込ませます。合理的な主張であるため相手は同意します。
続いて、それならばこうであると、受け入れ難い非合理的な主張(B)を相手に同意させようとします。
相手がそれはあり得ないと反論すると、論者は合理的な主張のほうを盾にして「あなたはさっきAには同意すると言ったではありませんか?なぜAには同意できてBには同意できないのですか?Aは正しくないとおっしゃるのですか?」や「Aが同意できるのなら、Bは否定できません。」と反論します。
丘は、多数に受け入れやすい合理的な主張の比喩で、簡単に防衛(反論)できます。
一方で城壁は、受け入れ難い主張の比喩で、防衛することが難しいです。
城壁が攻められる(相手から反論される)と、防衛することは難しいので、いったん防衛することが簡単な丘へ相手を撤退させます。
そうすることで受け入れ難い非合理的な主張(城壁)が攻められることを防ごうとします。
城壁は反論されやすく、丘は反論しにくいのです。
具体的な例を見てみましょう。
この例では受け入れやすい主張である「丘」が二段構えになっています。「地域にとって利益があることは良いことである」と、そこから導かれた「空き地を有効活用することは良いことである」です。
そして、受け入れ難い主張である「城壁」は「空き地に高層ビルを建てること」です。
更に論者は、市長が「城壁」の主張に反対したときに、市長が反対した理由のことを「少々の問題」と言って問題の矮小化もさり気なく行っています。
「空き地に高層ビルを建てること」に反対されると、「地域のために…」と相手に一度受け入れられた主張を持ち出し、城壁から丘へ相手を後退させています。
「空き地を有効活用する = 高層ビルを建てること」ではありません。論者はこれをわざと混合し、ペテンにかけようとしているのです。
市長もそれに気がつき、他に有効活用できそうな案を提示しています。
そこで論者が行ったのが「あの空き地には高層ビルしかない」という選択の限定です。更にその後は「市長が地域住民のことを考えていない」というストローマンを使って、身勝手な市長という印象に仕立て上げています。
この詭弁に反論するためには、空き地を有効活用することには同意するが、どのような手段で空き地を有効活用すべきかについては別の議論であることを押すことが必要です。
7. ストローマンによる丘と城壁の虚偽
丘と城壁の虚偽において、ストローマンを使用することで丘がつくられることがあります。
この詭弁では、まず相手の主張を捻じ曲げ、それに反論する形で虚像の丘を作り上げ、城壁から丘へ相手を後退させるという流れを取ります。
具体例を見てみましょう。
Aさんは「裁量労働制でありながら遅刻したら罰金」という制度が理不尽であるという主張をしています。
これに対し論者は、「Aさんは遅刻をしても良いと主張している」と、Aさんの主張をストローマンで捻じ曲げています。
もちろんAさんは遅刻をしても良いとは考えていません。Aさんの主張をストローマンによって反論しやすい形に変えているだけです。
そして捻じ曲げたAさんの主張に対するという反論として「遅刻は良くない」という、より合理的で受け入れやすい主張である「丘」をつくることに成功しています。
「裁量労働制でありながら遅刻したら罰金」が反論されやすい主張である城壁で、「遅刻は良くない」というのが反論されにくい主張である丘です。
まずAさんの主張をストローマンで捻じ曲げて、それに反論するという形で丘をつくり、相手を丘へ後退させ、城壁が攻められることを防いでいるのです。
このようなテクニックを使う詭弁家は悪質です。
この詭弁に対抗するためには「私は遅刻が良いことだとは思っていません。残業が多く発生し、かつ裁量労働制でありながら遅刻したら罰金という制度が問題であると言っています」と反論し、相手を丘から城壁に戻さねばなりません。
8. 未知論証
未知論証とは、否定されていないことを根拠に何かを肯定したり、肯定されていないことを根拠に何かを否定するという誤謬です。
「あることは真偽不明なので偽ではない、偽ではないので真である」または、「あることは真偽不明なので真ではない、真ではないので偽である」といった構造を持ちます。
幽霊がいないことは証明されていないだけで、幽霊はいないかもしれませんし、幽霊はいるかもしれません。「幽霊はいない」は真偽不明です。
ですが、この例では「幽霊はいない」ことを、それが証明されていないことを根拠に偽として扱っています。「幽霊はいない」が偽であるので、その否定は真になると主張しているのです。
主張の根拠となる内容の真偽が定かでない状態で主張の妥当さを明言しているため、未知論証は論点先取の一種だと考えています。
以下の場合も同様です。
幽霊がいることが証明されていないことを理由に「幽霊はいる」を偽として扱っています。
以下は省略三段論法を用いた未知論証です。
省略された大前提の「犯人ならば指紋が一致する」という真偽不明の命題を真として扱っています。三段論法に書き起こすと第二格になります。
私を特称不可の全称命題と考えて式は AEE-2 なので、これは三段論法として妥当な結論を導くことができる式です。
しかし、大前提の真偽が不明なので妥当ではありません。採取した指紋が犯人のものでない可能性があるからです。
犯人が偽装して別の人の指紋を残した可能性もありますし、採取したときに誤って他の人の指紋を採取してしまった可能性もありますし、採取した後に他の人の指紋データと混ざってしまっている可能性もあります。
したがって、これは三段論法の式としては正しいのですが、真偽が不明な大前提を真として扱っているため未知論証となります。
しかし、これを虚偽と判断してしまうのは早合点で、大抵の場合は指紋が一致すれば犯人である蓋然性が高いと考えてもよいでしょう。現実社会においてこのような柔軟性はある程度は必要だと思います。
9. ヒュームの法則
ヒュームの法則とは、「PはQである」といった事実から規範的な主張を導くべきではない、というものです。
たとえば、「スナック菓子は健康に良くない」という事実があったとして、その事実から規範的な主張である「スナック菓子を食べるべきではない」を安易に導くべきではありません。
なぜこれが誤謬の扱いになるかというと、ある事実から安易に規範的な主張を導いてしまうことは極端過ぎる思想に繋がり危険だからです。
ヒュームの法則を無視すると、集団的ナルシシズムに繋がるような危険な思想を生むことがあります。
また、これに早まった一般化が加わることで危険な優生思想に繋がる恐れがあります。
ヒュームの法則を無視して、事実から安易に規範的な主張を導くことが、いかに危険な思想に繋がるかお分かりになりましたでしょうか。
規範的な主張というのは、人間の精神が関係する主張です。
そのため、道義を考えて多角的な視点から注意深く考察する必要があります。
その過程を飛ばしてしまうと論者にとって都合の良い、悪意のある規範的な主張を恣意的にいくらでもできてしまうため、道義を無視して事実から規範的な主張を安易に導くべきはないのです。
10. 主観論証
「主観論証」とは論点先取、ストローマンの一種といえると思います。どのような呼ばれ方をされているのか分からなかったので「主観論証」と名付けさせていただきました。人身攻撃の一種ともいえると思います。
ストローマンとの違いは、「主観論証」では相手が能動的に発言したり態度を示さなくても視覚や聴覚などの感覚器官により「主観的にどう見えたか?」を根拠に、勝手に相手の胸の内を論者の都合が良いように歪めて代弁することです。
身の回りのことを、論者が都合が良いように主観で歪める論法です。
いくつか具体例を紹介します。
また、深めに息を吐くなど、何気ない仕草を主観で歪めることもあります。
客観的なことを重要視しなくなり主観が極端に優位になるという症状があります。このような症状においては客観的な事実は重要ではなく、本人にとって事実かどうかが重要となります。
このような症状によって「主観論証」が行われる場合は詭弁ではなく誤謬、特に認知におけるバイアスといえると思います。
11. 多重質問
多重質問とは、あるひとつの質問への回答が、別の質問への回答になる質問のことです。
なぜ多重質問が問題かというと、直接答えていない別の質問への回答が質問者の意図した回答になってしまうことです。
Aさんを押したことをまだ認めていない場合、この質問は多重質問となります。「はい」「いいえ」どちらの回答をしてもAさんを押したことを認めることになるからです。
この質問は「Aさんを押したのですか?」という質問と「強く押したのですか?」という質問を同時に行っています。「Aさんを押したのですか?」という質問が隠されているのです。
多重質問は論点先取に似ていますが、真偽が定かでないものが論点先取の場合は主張の根拠で、多重質問の場合は質問を受ける側の回答という点が異なります。
12. 誘導質問
また、相手の回答を誘導する方法として、誘導質問というものもあります。
この例では尋問者は、回答者がAさんを強く押したことを認めるよう誘導して質問しています。
「やましいことがなければ目を見て話せる」という真偽不明なことを真として扱っているので論点先取を利用したやり方で誘導しています。
また、「目をしっかりと見て話していない」というのは真偽の客観的な判断が難しく、言いがかりや難癖をつけやすいことであり、それを利用して誘導質問に繋げています。
また、「あなたが押したのは誰だったのですか?」という質問は「誰かを押しましたか?」という質問が含まれている多重質問です。
多重質問を含め、相手の回答を誘導することは利害の面からも道義的にも好ましいことはありません。
誘導質問は「鎌を掛ける」ことに似ていますが、鎌を掛けるというのは相手が発言、回答しようとしないことを引き出すテクニックであり、回答を質問者の意図するように恣意的に捻じ曲げるものではないため区別します。
誘導質問と鎌掛けの具体例をそれぞれ見てみましょう。
鎌掛けの場合は、相手が秘密にしていることを引き出してるだけで回答を恣意的に歪めようとはしていません。それに対して誘導質問では「浮気している」と相手が回答するように誘導し、回答を歪めようとしています。
鎌掛けに関しては使用することは構いません(あまり褒められたものでもないですが)。しかし誘導質問に関しては相手を侵害する行為であるので使用しないようにしてください。現に裁判では誘導質問は禁止されているようです。
終わりに
今回は「詭弁家が使うテクニック」と銘打って論理的な誤りについて紹介しました。
何度も書きますが、論理的な誤りに相手が気づいていないときは誤謬で、論理的な誤りを知っていて相手を説き伏せるためにそれを意図的に悪用することが詭弁です。
誤謬と詭弁は違います。
相手の論理的な誤りに気づいたとしても、相手がそれを意図的に使っているかどうかは慎重に考える必要があります。
論理性が低いことが原因で知らずに間違ってしまっているだけかも知れません。そういうときに「相手は自分をペテンにかけようとしている詭弁家だ」と考え、攻撃的な態度で望むと建設的なコミュニケーションにはなりません。
誤謬とは、言うなれば論理のアンチパターンです。誤謬を学ぶことで論理性を高めるというアプローチも有効だと思います。