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興味は分けない方が、おもしろい。

アカウントを分けよう、と思うときがある。

情報を集めたいときに、この方法は効率的だ。
このアカウントでは音楽を、このアカウントではサイエンスを。
あるいは同じ音楽趣味のためのアカウントであっても、ジャンルごとに分けている人もきっといるんじゃないか。

発信する側に立ったときも、この方法がとられることがある。その発想のもとには、マーケティング的な考えが入り込んできている。
電気街にいる人はだいたい家電を探してるから、そこで八百屋を開いても、興味をもたれる可能性はすくない。
みたいなことを、どこかのだれかに言われる。

かくいう僕も、以前にnoteのアカウントを分けた。

「建築の話だけが読みたいひとにとって、僕が編集者として感じたことは興味の対象外なんじゃないか。逆もまた然りだろう。」
そう考えると、分けたくなる。
建築を設計する人間がメディアを運営しているという状況を、釈明するのも面倒だった。誰が咎めるでもないのに。

そんなわけで、2つのアカウントに分けてnoteを投稿する考えだったけれど、いざ書こうと思うと、自分の中では渾然一体とした「興味」なのだが、それを別々のポストにちぎって投函しないといけないことが、なんとも気持ち悪かった。

それに、理路整然と分かれている「興味」というのは、もう見飽きてしまったところがある。インターネットには「僕の興味」に近しい情報ばかりが集まる。もはや見る側としても、そういった情報はつまらなくなりつつある。

逆に個人個人がもっている興味の偏りや広がりというのは、すぐには理解できない味わいがあって、見飽きることがないように、僕は思う。

たとえば、普段はアートの話しかしていないと思いきや、言語学の話も大好きなひとが居たとする。一見その関連はわかりづらいけれど、本人の中ではたしかに通じる部分があるのかも知れない。
そういったものは、ちぎって出せるようなものではない。


だから僕も、自分のアタマにあるものをまるっと1つのポストに投函して、
知らないだれかが、敬遠していた建築訪問記をたまたま読んだり、昨日までは知らなかった場所の誕生秘話に出逢ったり、他愛もない文章にふっと笑ってくれたら、それは儲け、と思うのだ。

つい先日、noteのアカウントを1つにまとめた。

今は、自由に書ける気がする。自由だ!

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