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美容院ジプシーに戻るしかなかった。

結論から言うと、タイミングが悪かった。

「初めてのお客様用アンケート」を渡されたので、「髪の悩み」では「広がり」にマルをつけて、「接客」には「静かにゆったり過ごしたい」にマルをつけた。

カットは注文通りだったし、広がりを抑えるコツも教えてくれた。
ただ、タイミングが悪かったのだ。


20年通った美容院がいつのまにか閉店していた私は、美容院ジプシーに戻った。

実は、若い頃からずっとそうだった。

並べられた雑誌に手を伸ばさずにいると、美容師さんはせっせと話しかけてくれる。

当時、接客業だった私はたまの休みくらい黙って過ごしたかった。ブラックな職場だったから貴重な休みの日は、とにかく充電したかったのだ。

もちろん美容師さんが私を休ませないために話しかけてくるわけではない。話が弾まないのは話題の選択を誤ったせいだと信じて、あれこれ話しかけてくれるのだ。

ほっといてくれ!と思いながら、気を遣って話しかけてくれる美容師さんをむげにも出来ず、結局ボソボソ返事をする。ちっとも休まらない。

美容院を変えてみても同じだ。どこでも美容師さんは一生懸命話しかけてくれる。
無口な人は美容師にはなれないんだな、なんてことをしみじみ思う。


ある時、新しくできた美容院に行ってみた。
若い男性美容師さんが担当してくれたのだが、これがまた過去最高に喋る人だった。

私のノリが悪いことに対抗心でも燃やしたのだろうか。帰るまでに絶対喋らせてみせる!みたいな。

彼はやがて「この前来たお客さん」の話をはじめた。

この前のお客さんは消防士さんだっただの、小学校の先生だっただの…。
そして彼らが披露したお仕事エピソードを嬉々として語ってくれたのだ。
しかも、それ他人に話しちゃっていいの?な特選ネタばかりを。

怖い。
相槌ですら弱々しくしか打てない。
こちらの情報はなにひとつ渡したくない。

会計が終わった後、彼はキラキラ笑顔で両手を差し出して言った。
「これもなにかのご縁ですし、ぜひまた来てください!お待ちしてますッ」

美容師という仕事は技術はもちろん接客も大変なんだな、ということがよく分かった。

私も疲れたが、彼もきっと疲れたであろう。
きっと私が帰ったら仲間の美容師にそう告げるに違いない。
そして、次のお客さんには「この前のお客さんは全然喋らなくて~」と言うのだろう。

くわばらくわばら。

両手を差し出されても、握手なんか辞退したい気持ちでいっぱいだったのだけど、そこはオトナの対応をしておいた。
ただし、手を差し出すまでに多少の間があったけれど。

それまで私が試した美容院は、どこも似た感じだった。通りに面した大きなガラス窓があってとても明るい。そして大勢の美容師さんが忙しそうにしている。内装は白とシルバーでピカピカ。

とんでもないお喋り美容師さんに出会ってしまったのも、やはり同じ感雰囲気の店だった。


私はすっかり美容院嫌いになってしまったので、しばらく美容院に行くことをやめた。
前髪だけ自力でなんとか切ってごまかして暮らしていた。
そのうち前髪は伸ばせばいいと気づいた。

しかし2年もすると、さすがにうっとおしくなった。
諦めて重い腰をあげ、美容院に行くことにした。

その頃、近場の住宅地の雑居ビルの2階に美容院ができた。
繁華街ではない。住宅地の雑居ビルだ。しかも2階。

そーっと階段を上がって、中をのぞいてみた。
ぎゃ!受付の人と目が合っちゃった。

そのビルの2階には美容院しかないから、2階のフロアにいる私は間違いなく客だと思われた。
こうして私はその美容院に吸い込まれることになった。

聞いてみると、今なら予約なしでカットができるという。
これもなにかの縁だ。お願いしよう。

窓は大きすぎないし、2階だから外の人から見られることもない。内装は廃材をふんだんに使っていて、金属部分はシルバーではなく黒。観葉植物のグリーンが落ち着く。

なんだこれ。もしかしてここって…。

受付の人は私を席に案内して、カットをし、お会計をして外まで送り出してくれた。
しかもカットの間は低音ボイスでテンション低めの会話。

うわー。
ついに見つけた。
私が通える美容院、あった。

そして私はこの美容院に20年近く通い続けることになるのだ。

たったひとりの美容師さんが切り盛りしているがゆえに相客に会うこともなく、隠れ家のような美容院だった。


さて先日、この隠れ家のようなお気に入りの美容院に予約の電話をかけたら「この電話番号は現在使われておりません」と言われてしまった。

そんなことがあるか!?
信じられなくて3回も続けてかけ直した。

ネットで調べてみると、その場所ではすでに別の美容院が営業を始めていることが分かった。

新しい店は廃材を生かした鏡だけはそのまま使っているが、他はすべて入れ替えたようだ。
一瞬、新しい店に行ってみようかとも思ったが、考え直した。

なじみのあのビルの2階なのにも関わらず、違うテイストのインテリアで、初めての美容師さんからテンション高く迎えられて、気を遣って話しかけられて、気を遣って返事をする自分。

そんな様子をすべて写し出すのは、なじみの廃材で出来た鏡。
いやだわ、それ。

私を振って他のオンナと結婚した元カレに、別のオトコからアタックされてるところを見られてる感じ。

…この例え、合ってるんだろうか。

とにかく、大好きなあの鏡に、マイナスの感情を持っている時の自分をうつしたくない、と思った。

そんなわけで美容院ジプシーになったのだ。

でも学習したことを生かすから、以前よりは早く好みの美容院を探せるかもしれない。
落ち着いたインテリア。少人数。隠れ家。

行動範囲には美容院がたくさんある。
散歩しながら雰囲気を確かめて歩く。

とりあえず家から近いところに行ってみる。
それが冒頭の店。
落ち着いたインテリアだし、隠れ家っぽくないこともない。

しかし中は予想以上に大所帯だった。10席もあり、半分以上埋まっている。

そして隣の席の(常連と思われる)客と美容師さんのテンションがとても高い。

客が大声で家族の愚痴を言い、美容師はなぜだかツボに入ったとかで爆笑。
ここは居酒屋か!?

その客以外はそれぞれの美容師さんとおとなしく談笑してるから、ここの美容院の接客の基本スタイルが居酒屋タイプなわけではなさそうだ。
たまたま隣になってしまっただけのよう。

タイミングの問題だよ、タイミングの。
そうに決まってる。

…と思うものの、次回も行こうという気持ちがどうしてもわいてこない。
他にもっといいところがあるんじゃなかろうか。

かくしてとうぶん美容院ジプシー生活は続きそうなのである。

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