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国語力・語彙力を上げるには??

先日、中3生(受験生)から「文章題が得意になるにはどうすれば?」と相談を受けました。返答が簡単ではない質問です。「読むよりも、書く機会を増やして。小論文問題に取り組んだり、記述式の問題ばかりやってみたり。」とアンサーしましたが、その意図について考えてみます。

国語は全科目の土台に

学習塾・進学塾に通うと数学・英語の科目が中心となることが多いです。(実際に当塾もそうです。)それは数・英が”積み重ねる科目”だからです。具体的には、中学1年生(数学)で習う正負の数はその次の文字式および方程式へ、文字式および方程式は2年生の連立方程式へと繋がりがあります。英語も同様に英単語・英熟語・英文法は連鎖的に学習します。そのため、途切れや未定着があると、将来的に学力不振が起こる可能性が高い科目なのです。ですから、塾では数・英を中心に指導することが必然的に多くなります。
ただし、それらの科目の教科書や授業は”日本語”で行われています。”日本語”そのものにぐらつきがあれば、授業や教材から知恵や情報を得ることが難しくなります。本来は、必要十分な国語力(語彙力、表現力、漢字の知識など)が数学・英語の知識そのもののさらに土台として存在し、その上に授業や教材を通じて数学・英語(理科・社会も同様)の知識・技能を積み上げている状態があると言えます。

国語力不足は全科目に現れる

漢字が読めない、言葉が理解できない、文字で書き表すことができない、そのような学生は実際に少なくありません。計算は出来るけど、文章題で立式(必要な式を作ること)ができないので得点できない場合や、英単語は理解していても、英文を日本語訳したり、英長文の内容を理解することが困難な場合があります。そのような学生の状況を見た際に「もっと計算力を、もっと文章題との出会いを。」や「もっと英単語を、もっと翻訳問題を、もっと長文問題を。」と考えてしまうケースもありますが、僕はもっと基礎に立ち戻り国語教材の音読や漢字の理解を深めるなど、国語力の強化が必要だと考えます。もちろん理科・社会も同様に国語の理解に不十分さがあれば、本来の結果を残すことが出来ず、いわゆる「わからない」という状態に陥ることとなります。

どのように国語力を身につけるか?

では、そのような課題を見つけた際に、また予防的に、どのように国語の能力を高めることが出来るでしょうか?普段通りの学習(授業への参加、教材への取り組み)に加えて、以下の3つを提案します。

(1) 年長者との会話量を増やす
家族や先輩、先生など、年長者との会話量を増やすことで新たな語彙の獲得に繋がると同時に、同級生との楽しい会話よりも高次なアウトプットの機会が得られます。内容そのものが難解である必要はなく、普段の出来事から、趣味の話題でもなんでもOKだと考えています。中でも、オープンエンドな発問(YES,NOで解答できない質問)に対して、具体的な解答を返す”言葉のキャッチボール”が多数繰り返されれば理想的です。インプットとアウトプットを同時にこなすことができる時間対効果に優れた方法です。

(2)漫画・書籍を読む
漫画もいいの?という声もありそうですが、ここでは構わないと考えます。何故なら、狙いの知識や技能を得ることが目的ではなく、幅広い語彙力を得ることが目的だからです。そのため、できるだけ多様なジャンルの漫画・書籍を読むと良いでしょう。同じジャンルに偏ると、自然と言葉も一定の範囲内に留まってしまうからです。もし出来るならば、読んだ書籍について感想文を書くとさらに理想的です。インプット(読むこと)とアウトプット(書くこと)が両立できるからです。

(3)音読する・書き出し
小学校低学年のころは本読みカードなどを使った宿題をよく持ち帰ったのではないでしょうか?高学年に上がると、それはパタっとなくなってしまいます。ですが、音読は大変効果的な学習方法の1つです。ぜひ教科書内容の物語や試験に出題された文章を声に出して読んでみてください。余談ですが、小学生が「これ教えてー。」と質問に来た際に、「声に出して問題をよんでごらん。せーの。」と設問や文章を目の前で読ませると、音読の途中で「あ!わかった!」と席に戻っていくケースがよくあります。それほど、”目で見た”という読み方(黙読)は不確かだということです。
また、受験生ごろになると小論文の練習を行うことが増えます。最初は自身の考えを書き出すことに躊躇したような学生らも、10回、20回と繰り返すうちに次第に手の動きがスムーズになるものです。文章を書き出すことは、思考を整理し、体外へ押し出す作業です。書き出す練習は語彙力を一定以上獲得し、文章表現を体得したい場合に大変効果的です。(文章表現や語彙力の不十分さを痛感する意味でも効果的です….)

最後に

国語の能力は1つの科目としての意味を超えて、あらゆる学習のシーンでも、当然生活のシーンでも必要な能力です。しかし、あまりに当たり前すぎて見落としやすい能力でもあります。「あらゆる教科の授業や教材には日本語で使われている」ということを再確認し、その能力を意識的に身につける生活を行ってくださいね。

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