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ことばと言葉とコトバと

お疲れ様です。やっとこさ週の半分まできましたね。

今日は本当にいい天気で気分よく過ごせましたね。ただ梅雨真っただ中ということを忘れてはいけません。

言葉って世界のどこにでもあって身近で傍にあり、もはや自分の一部であると思うんです。

しかし、身体のように触れたり触れられたりでの感覚がなく、声にしてしまうと目に見えなくなるので、言葉が自分の一部と思う人は少ないだろうと思います。

でも言葉はあなたの一部ですよ。


文字でも声に出しても、言葉は人を傷つけるし、悲しませる。

そして、癒しもするし楽しませることもできる。


言葉は自分の一部であると自覚してみると、とんでもないことがわかってきます。

例えば、暴言や罵声は誰かを殴り蹴りをしている、そう考えてください。目に見えなくても、私たちがもつ言葉は感情をのせ相手に伝えることができるのです。感動的な映画で涙するように、言葉で誰かを殺してしまうこともあるのです。


例えば、感謝の気持ちを伝えている、それは抱擁や握手をイメージするといいかもしれません。

普段の会話から思いやりがなかったり、品がなかったりするものはどれだけ着飾っても、粗暴でまるでチンピラのようなイメージを持たれると思います。


言葉というのは考えて使わないといけません。そして、成長させていかないといけません。

「マジで」「マジやばくね」「マジぱねぇ」みたいな汎用性が高いように見えて、相手に解釈をゆだねてしまっている言葉は、相手に甘えすぎていると私は思います。

こんな会話をする人はいないと思うじゃないですか。いやいるんですよ。なにか話せば「マジで」とかしかなく自分の話すことも伝える為ではなく、形にもなっていない感情を無理やり言葉に詰め込んで、ストレス発散のためだけに投げてくる人に私は会いました。

言葉のキャッチボールをしようにも固形のボールではなく、無形のスライムを無理やり丸にして投げてくるんです。

そしたら、それ見たことか。バラバラに飛び散っていくんです。そうなると飛び散ったものを拾っていかなといけないんです。「どういうこと?」と散乱した言葉を拾っては質問をして形にしていくんです。


自分の言葉なのですから人に解釈をゆだねることなく、自分の気持ちや感情を伝えらるように成長させないと、理解してほしい相手ができた時にわかってもらえないし、相手のことも分かってあげられないと思います。


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