西洋の庭づくりは、”エデンの園”からはじまった

「ライター講座に通っていて、自分の専門で”イングリッシュガーデン”について学んでいるんだよね」と話すと、職場の人に「バラ園?時間に余裕のある人の楽しみって感じ」と返された。また、ある人には「ガーデニング始めたの?ハーブ?」と言われる。
イングリッシュガーデンではなく庭を学んでいると伝えると、母には「枯山水?」と言われる。建築を学んだ友人には「空間のとらえ方を考えるのが面白そう」と返された。

何人かの人と話して、”イングリッシュガーデン”や”庭”についてそれぞれがイメージするものが全く違うことがわかった。
ではそもそも、英国式庭園(ここではイングリッシュガーデンと同意義に使用する)の成り立ちとは一体どういうものなのだろうか。

英国式庭園のはじまり〜エデンの園の再現

エデンの園が、イギリス人に限らず、西洋人の理想とする庭園の典型として、確固たる位置を占めていたことは周知のとおりである
(『イギリス庭園の文化史』P,10、中山理著、大修館書店)
主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。主なる神は、見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらすあらゆる木を地に生えいでさせ、また園の中央には、命の木と善悪の知識の木を生えいでさせられた。
(『創世記』2、8-15)

まず、西洋の庭はキリスト教の聖書に登場する”エデンの園”に起源をもつ。
神に与えられた豊かなエデンの園を耕し、守ることがアダムとイブの仕事であった。しかし、2人は神に食べてはいけないと言われていた知恵の木の果実・リンゴを食べてしまう。罪を犯した2人は、エデンから追放されてしまう。この世界で必死に食べ物を求め生きることとなる。

「お前は女の声に従い、とって食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われものとなった。お前は生涯食べ物を得ようとして苦しむ」
(『創世記』3、17-19)


西洋の庭づくりは、エデンの園を再現させること・エデンの園にいた頃のアダムとイブの姿に立ち戻ることから始まっている。
庭に、聖書に書かれているような「見るからに好ましく、食べるに良いものをもたらす」草花・果樹を植える事が、宗教的な、善良な行為となる。
だから9世紀の頃は、修道士が庭の技術を高めている。修道院のそばには必ず庭があった。

よって、イングリッシュガーデンには通常以下のようなものが植えられている。
・草花
・果樹
・ハーブ

こうして庭は、「見るからに好ましい」草花の美しさを楽しむものであり、「食べるに良い」草木の植えられている実用的なものであり、この2つの側面をもって、現在まで歴史を重ねていく。

現代においても、イギリスでは一般庶民の間で「仕事を引退して田舎で庭をもつ」という夢が、根強くあるそうだ。ここでの”庭”は、「土地を買い、専門の庭師を雇い、本格的に庭作りをする」(『英国式庭園』p,13、中尾真理著、講談社選書メチエ)という規模のものである。

庭づくりの夢がイギリスで普遍的であることの現れとして『英国式庭園』ではシャーロック・ホームズやビートルズの曲を挙げている。
園芸に全く興味のなさそうなシャーロックがワトソンに語る夢は「田舎で静かに隠居すること」であり、実際に引退後のシャーロックは農園で、読書と養蜂の観察に日々を費やした。
ビートルズの『64歳になっても』という曲の歌詞でも、理想の生活として庭仕事が挙げられている。

庭師の役割

もう一つ、西洋の庭は、キリスト教の教えからくる「自然は人間同様、神によって創造されたものであるから、人間にとっては『他者』となる」(『イギリス庭園の文化史』p,166)という価値観を持っている。

これは、自然に対して人間は手を加える必要がある・コントロール必要があるという考え方だ。
東洋の、自然そのものを神としてとらえる考え方とは違い、西洋では、自然は神の創造物であると考える。
だから西洋式庭園での、庭師の役割は、”庭を良いものにしようと整えていくこと”である。

現在の英国式庭園の特徴である、自然の景観にならうことをよしとする”風景式庭園”は、近代になってようやく取り入れられた形だ。
それまでは、自然をいかにコントロールするかということが一つのテーマであったことから、イタリア式・フランス式と呼ばれるような幾何学的な左右対称な庭が好まれていた。
しかし、18世紀に中国との交流がさかんになると、左右非対称の中国式庭園の形が取り入られ、自然に似ている”庭”をつくろうという動きが出てくる。
その中で、英国式庭園は、現在のように風景式庭園の形をまとうようになったのだ。

”庭”は、理想を形にしていく人間の自然へのひたむきな努力の結晶であり、それは歴史の中で脈々と受け継がれてきたものなのだ。

西洋の庭と東洋の庭

『イギリス庭園の文化史』(p,13)で、『聖書』に登場する植物と『万葉集』に登場する植物を比較している。
・聖書
ブドウ、コムギ、イチジク、アマ、オリーヴ、ナツメヤシ、ザクロ、オオムギ、テレビンノキ、イチジクグワ
・万葉集
ハギ、ウメ、マツ、藻、タチバナ、スゲ、ススキ、サクラ、ヤナギ、アズサ

ここから、『聖書』は実利的な、食べ物や衣料品となりうる植物が多い一方、『万葉集』は実利的でない、草花の外観を楽しむ植物が多い点が指摘されている。
同書(xi)のなかで以下のようなエピソードも書かれていた。

『文明の海洋史観』という本に、幕末に日本を訪れたイギリスの公使らが日本の田園風景を絶賛したという記述が残っているそうだ。その理由を、『イギリス庭園の文化史』の著書である中山氏は、日本の農村風景がまさに西洋人にとってエデンの園である”庭に”みえたのだろうと記している。
しかし一方で、幕末の同じ時期にイギリスを訪れた岩倉具視たちは、イギリスの都市工業には興味を持ったが、イギリスの風景を「趣がない」と記したそうだ。
日本人にとっては、草花を育て、食用の作物を育てる田園風景は宗教的価値と繋がらなかった。日本人にとって、おもむきのある”庭”である日本庭園は、その成り立ちからして西洋式庭園とは違ったのである。

私たちが”庭”をもつということ

このように、西洋式庭園の成り立ちを調べてきたが、私たちが今、この日本で自分の庭をもつとは一体どういうことなのだろうか。

この土地でしかできない、そして私たちにしっくりくる”庭”づくりとはまだまだ見つけられていないのかもしれない。
知り合いや私が、”イングリッシュガーデン”にどこか、曖昧なイメージしか持てないように。

今回の学びから、西洋式庭園についてだけでなく、日本庭園についても知ることや、他の庭師たちの庭についても知りながら、私たちが”庭”をもつということについて考えていきたい。



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