僕とSNS〜つながりはしがらみであり執着であるのに、愛にたどり着くまでが遠い〜
僕はツイッターをみっちりやっておきながら、しばしばそれが苦痛です。
きっと本来の推奨されるような感じの……もっと淡白でもいいような使い方から遠く離れているせいもあるのだと思います。
どうしてかというと、リアルだとまだ障害の影響でちゃんとした職に就けていなくて、学生時代の友人や知り合いも早いうちに縁を切った人がほとんどだからです。
おまけに感覚過敏なので、周囲の音とか、環境の変化について行けなくて、そもそも「人との関わり」に集中できなくなる。
だから、どうしてもネットが頼りです。
それで精神がむしろ安定しなくなったとしても。
これでもし、精神科のデイケア辺りで「親友」みたいなのが見つかれば話は別でしょうが、僕はどうしてもそういう風にはできません。
正直、障害者同士で深く関わると、トラブルが起きた時は健常者が相手だった時よりもこじれるように感じます。
ツイッターだといわゆる「界隈」の中でよく揉めますし、派閥みたいなのもうっすらできています。
あれ、リアルの方がまだマシだろうかという気分にもなれればいいのですが。
それでも僕は人間への執着をやめられずにいて、それは「人と関わることが好きだから」なのか、ただ自分の承認欲求を満たしたいだけなのかは分かりません。
どっちもなのかもしれません。
その一方でバカ正直なところもあるので、自分が褒められたいからという理由で人にお世辞を投げるとか、そういうことは下手です。
で、実はあまりに辛かったので辞めたのがあって。
pixivだったりします。
自分で「あぁこの絵上手いけど魅力を覚えないなぁ」と思っているのに、お世辞コメントをつけたりなんて無理です。
商業レベルのイラストがタダで見放題という世界ですから、自分のイラストは誰にも褒めてもらえません。
そうするとますます承認欲求が膨れ上がるし、絵師さんとのお付き合いなんてバカバカしく思えてきます。
アートの世界は人付き合いなんかいらんだろう、という風にも見えるけど、あれは実力と同時にコネの力も試されるような気がします。
絵柄は好きだけど絵師の人間性が嫌だ、みたいなのはあんまり受け入れられないような気もするし、その逆も微妙だろうなぁと考え込みます。
あれはあれでSNSです。
ただの閲覧用ではなく、そのイラストを描いた人と関わるためのSNSとして使うとしんどい。
あれは楽しいと思える人だけでやってもらいたいから、僕はもう戻ることはないでしょう。
SNSなんて人が言うほど自由なんかじゃありませんよ。
憤りも絶望感も封じ込めながら、それでも世界に置いていかれることの方が辛いから辞めていないだけなのです。