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生命の泉

今日の月は、赤い

昔は空き地が多い地区に暮らしていた。夏の終わりを告げるひぐらしが、甲高い鳴きあげるのに、負けないほど私は泣きに泣いて、空き地のドカンの中で泣き疲れて眠ってしまったのだ。

私は父と些細なことで揉めた。

とても大切にしていたスーパーボールを、ゴミと一緒に収集車が持って行ってしまったのだ。私も雑な性格だったためしっかり大事な物を何処かにしまって置くと言う習慣がついてなかった。しかし、あのスーパーボールはいつもスカートのポケットに入れて持ち歩いていた。

たまたまそれが部屋の隅に転がり、酒に酔った父が放ってしまったのだ。

なぜそんなにスーパーボールにこだわっていたか……今になってみたらおかしな話ではある。

それは、空き地の隅に転がっていた。オレンジ色のゴム製のボールだった。

誰かが、忘れていったんだろう。

手に取って太陽の光にかざすと、キラキラひかる球体に私は魅了される。

誰も見てないのを

確認してスカートのポケットに入れた。


翌朝、驚くことが起こった。

父が鼻歌を歌いながら味噌汁を作り、納豆を混ぜてていた。おまけに「おはよう!」と満面の笑顔で、「父さん今日から働きに出るから、夏休みあと少しだけど、紗奈1人で留守番できるか?」

いつも不貞腐れて寝てばかりだった父のいきなりの変貌ぶりに言葉が出なかった。とりあえず何度も頷いて見せた。

父が仕事に行くようになり1人でいる時間が増えた。

しかし、私の心は満たされていた。父が家に居て酒に酔った姿を見なくて済む。

父は私がもっと小さかった頃、背広姿で会社に務めていた。

しかし、妙な感染症が、流行り、父の会社は、業績が悪化して、父は、仕事を失った。

母はその時既にいなかった。

父の前で母の話はタブーだった。

時々母の夢を見る。それは、空き地の前で母が絶対迎えに来るからね!と涙を流して、去っていく後ろ姿。

私は9歳の誕生日に、母と別れるという辛い体験をした。

だから、誕生日は大嫌いだった。


赤い月を見ると母と別れた誕生日を思い出す。母は、今、何処にいるのか私は知らない。

空き地のドカンの中で泣き疲れて眠ってしまったらしい。

ひんやりとした夜風に目を覚ますと、父が立っていた。

手を広げて、小さなゴム製のボールを私の目の前に差し出す。

「これか?大切なものって?」

私は思い切り瞬きをした。

「これゴミと捨てたんじゃなかったの?」

「捨てたんじゃない。放り投げたんだ。」

「だけど、紗奈、こんなボール何でそんなに大切に持ってるんだ。」

「このボールを拾った翌朝から、父さんが働きに行くようになったし、実はさ、母さんから手紙が来たの。私と一緒に暮らしたいって……」

「……」

「私さぁ、ちょっと安心したんだ。母さんが元気なのがわかったから。でも、私は今まで通り父さんといるよ。」

「いつの間にか大人になったなぁ。今まで酒に溺れてた父さんを許してくれな。弱虫な親から最強の娘が育って、嬉しい。」

「今年の誕生日は、ちゃんと祝おうな。母さんの事はもうゆるしてやってくれよ。父さんの事は許さなくてもいいからさ。」

赤い月にオレンジ色のスーパーボールをかざして見ると、すーっと泪が流れれた。誰の忘れ物かも分からないスーパーボールに生命の泉を感じた。

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