私になるまで14
話は前後するが、初めての○○でもうひとつ学生時代の重大ニュースに入る出来事。そんなそれは、大学二年生の初夏の頃。私は昼食を食べに友達と雑談しながら、学食へと向かう。当時は、学食は2つあり、一方は古い校舎の地下。もうひとつは新しい校舎の地下。新しい方はエレベーターがあり、バイキング形式に好きなものを取り、レジへと向かう。古い校舎の学食は、階段を降りていったところ。食券を買って注文カウンターで交換する方式。私は古い校舎の学食が好きでそちらをよく利用した。夕方に行くと大盛りにしてくれる。その時の私は今じゃ考えられないくらい大食いだった。背が低いのにかなり太ってた。今じゃ服を脱ぐと骸骨の模型みたいだが…
話を元に戻そう。
友達と話しながら、学食への階段を降りていた。
何段目かで足を滑らせたらしい。思考はそこで止まり、気がつくと階下だった。しばらく呆然としていた。が、その後右腕に激痛が走った。腕を動かそうとしたが動かない。これは折れた?遠巻きに自分を別の自分が見てる感じ。顔は真っ青。
慌てた友達は学生課の職員に連絡。その間に激痛が増す。
数十分して救急隊員が担架を持って現れた。優しい笑顔で「大丈夫やからな」と言われ
担架に乗せられ校内を移動していく。遠巻きに見る人。「ちかちゃん!」と叫ぶ声、「彼女は俺の後輩なんです。」と寄ってくるクラブの先輩。
そんな中友達に付き添われ救急車に乗る。
近くの救急病院に行く。病院に行くなりすぐレントゲン撮影。折れたと思ったらただの脱臼だった。麻酔をし元に戻す。2週間くらいギプスしときましょう。笑顔で整形外科医に言われ、治療を待ってくれてた友達と下宿に帰る。しかし利き手の右手を固定され、何にも出来ず、学校から連絡受けた母はその日の夜に私の家に着いて
翌日治るまで、実家に帰ろうといった。けれど、翌日学生課の先生に伝えると、「お母さんちかさんなら大丈夫です、ステキな友達がサポートしてくれるから。」その後病院に行くと治療にあたった先生にも、「あなたのような障害者が頑張ることが他の障害者の励ましになる。大学は休まずに行ってください。」と言われ、母はその日のうちに心配しながら、帰っていった。人生初の救急車…この後私は大学での知名度アップする、この時、友達とが食事を作ってくれ、お風呂の手伝いもしてくれた、出来ることは自分でしたけれど、2週間ジャージ姿で学校に通った。ジャージなら自分でも着替えられたから。
それが楽でギプスが取れて腕が動くようになってからも、その姿のまま通学していた。けれど、ある日同じクラブの男子から「お前もうジャージやめろ!太るで…」と忠告されやめた。しかしその時すでにギリギリ履けていたスカートはサイズアウトしていた。あの頃の私、それなりにオシャレさんだったのに。その時以降、ジーンズが多くなった。
しかし大した怪我もなく良かった。その時サポートしてくれた友達に感謝する。そうしてこの経験から、どうしてもできない時は他人に頼ってもいいのだと
それが当たり前のことだとはこの時は思わずにいたけれど。
初めての救急車事件は、幕を閉じた。
今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。