見出し画像

Rambling Noise Vol.72 「ONE FROM THE HEART その2」

アサノさんがガキの頃。

現代とは異なり、娯楽が乏しい時代だ。それに映画館に行ける程の金も無い。ましてや、アサノさんの生まれ育った街には映画館が無かった。たまに市民会館で古い映画は上映されたりもしていたが、ロードショーを観る為には少なくとも国鉄常磐線で三駅程を移動しなくてはならないのだ。電車賃まで掛けてわざわざ観に行ける筈もない。

テレビと本、これだけが娯楽並びに情報源であった。


その頃のテレビでは、特撮番組やテレビ漫画(当時はアニメーションなんて言葉は誰も使っていなかったのだ)が、ゴールデンタイムに数多く放送されまくっていた上に、日本テレビでは、平日の夕方から『ルパン三世』『バビル二世』『宇宙戦艦ヤマト』などが、これでもかと幾度となく繰り返し再放送されていたし、全国朝日放送では、夏休みや冬休みになると、今だ! とばかりに『ジャイアントロボ』『もーれつア太郎』『花のピュンピュン丸』などを、やはり何度も昼間っから電波に乗せていた。


かと思えば、TBSでは、『仮面ライダー』『ウルトラマン』らが、フジテレビでは『アルプスの少女ハイジ』『あしたのジョー』『ムーミン』『ゲゲゲの鬼太郎』なんかが、たまになんとなーく思い出した様に放送されてもいた。


除け者にしては可哀想だから触れておくと、東京十二チャンネルには、アメリカのテレビ漫画を放送する『マンガのくに』という番組枠が伝統的にあって、そこでは、『チキチキマシン猛レース』『大魔王シャザーン』『少年シンドバッド』とかをローテーションして放送していた。


ついでに言っておくと、初回放送時には低視聴率に喘ぎ、打ち切りとなってしまった『ルパン三世』は、繰り返し繰り返し再放送をされたことで人気が高まって、PART2が作られることになったのだ。

そして、裏チャンネルの『アルプスの少女ハイジ』や『猿の軍団』に負け通して同じく低視聴率であった『宇宙戦艦ヤマト』に至っては、再評価された結果、テレビシリーズを再構成した映画化というパターンのハシリとなり、続く新作映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が制作された際には、『月刊アニメージュ』という初のアニメ雑誌も創刊され、やっとこさ「アニメーション」という言葉が一般化され出した。

アニメブームの到来だ。


(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?