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Rambling Noise Vol.113 「SOMEDAY MY NEIGHBOR WILL COME その7」

そういえば、さっき出てきた岡田斗司夫氏も、今のアニメはワカリヤスクに舵を切ってしまっていることをこんな動画で解説している。


・ワカリヤスクしろと言われる。


「製作委員の人たちは、ちょっとでもワカラナイところがあると、ワカリヤスクしてくださいと、すぐ会議の中でそう言ってくる」
「セリフで「嫌い」と言って、実は好き・・・ってのが、全然通用しなくなった」

「いや、ワカリヤスクすると面白くなくなりますよとハッキリ言うと、製作委員もハッキリと、面白くなくなってもいいからワカリヤスクしてくれと言ってくる」


・自分の頭が悪いと認めない


「セリフで全部を説明しなかったら、どういうことが起きるのか。観客は自分で意味を考えて解釈しなければいけなくなる。そうすると「誤解」や「ワカラナイ」が発生する可能性がある。「誤解」とか「ワカラナイ」こそが映像作品の醍醐味であり、それが自由度の高さだと思っている製作者に対し、今の観客たちはそれを「不親切だ」と言って怒り出す。自分の頭の悪いことを認めたくない。だから

「理解できない」と作品の所為にする」


・ワカンナイはツマンナイ


「幼稚な人は、セリフの無い映像だけのシーンになると、情報量が少ないから飛ばしてもいいと解釈して、そのシーンはスマホを見ちゃう。その結果

「ワカラナイ」

とか

「ツマラナイ」

と言われてしまう」

なるほどねぇ。面白い作品を作りたいという作り手と、判じ得ない人たちとのギャップとでも言いますか。

動画の中で岡田斗司夫氏が持論として言っている様に、賢くない人を考慮して過剰に説明してやらないと、『鬼滅の刃』も邦画史上最大の400億円のヒットにはならないワケですね〜、いやはや。

・・・と、先に岡田氏を登場させておいたのがまるで前振りだったかの様に見せているが、そんな構成は考えていもしなかったのだ。
単なるアレだ。いつものヤツ。

おわ〜お、Rambling Noiseでの既定路線。


さ・て・と、そんなこんなで、判り易く親切な作品作りを目指しつつ、尺も短くするべぇと獅子奮迅してみるも、色々切ってみてもどうにか10分0秒。
自分ではこれが限界。あとは加藤さんの指示を受け、なんの考えも挟まぬまんまにカットするしかない。
そうしてやっとこさ6分34秒の動画に収まって、浅野組『SOMEDAY MY NEIGHBOR WILL COME ショートVer』として2020年10月31日に「ドラマチック×シネマチックスクール」のYouTubeチャンネルにて公開されたのでした。
ありがとうごじゃまーす。

そして一応、11分22秒のオジリナル、いやいやオリジナルのフルバージョンの動画はこっちなの。


(続く)

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